中国の自動車産業の歴史

中国の自動車市場は現在世界一の規模です。国産・外資・合弁の自動車会社が乱立し、EV車等の先進技術への移行に取り組んでいて、経済と科学技術の発展に大きく寄与しています。

1931年が中国が最初に車を作った年、張学良の指示でトラックを試作したそうです。その後その工場は満州事変で日本軍に奪われ、同和自動車という名で月300台程度の生産をしたそうです。1936年には上海に中国汽車製造公司が設立され、ベンツとの技術提携でトラックを2000台程度生産したそうです。

1950年が本格的なモータリゼーションの始まりの年、中華人民共和国建国の翌年です。旧ソ連の協力のもとで準備が開始され、1951年に第一汽車製造廠の建設計画が承認され1953年に長春で着工、4トントラックを年間3万台の規模で生産していたそうです。現在の中国ビッグ3の一つ、第一汽車です。

1958年からはメーカーが乱立して南京汽車や北京汽車などが一汽と並ぶメーカーになりました。乗用車が試作されましたが販売は振るわず、クライスラー車をベースに開発した一汽の紅旗モデルだけが細々と生産を続けました。1968年には湖北省に第二汽車製造廠が設立さえてトラックの生産を開始しました。現在のビッグ3の一つ、東風汽車です。

1978年からの改革開放期に、政府は乗用車の国産化を目指して外資との合弁企業を企画しました。いち早く応じたのがフォルクスワーゲンで、1984年に設立した上海汽車との合弁の上海VWは大成功を収めました。フォルクスワーゲンはその後一汽とも合弁し、「中国で車といえばフォルクスワーゲン」と言われるほどの不動の地位を築きました。一方の上海汽車は90年代にGMとも合弁会社を設立し、こちらも大成功を収めました。上海汽車もビッグ3の一つです。

日本の会社は輸出を続けていました。中国はトヨタに現地化を強く求めましたが、技術の流失を嫌ってか高コスト化を懸念してか、応えませんでした。この時にトヨタが進出していたら今のフォルクスワーゲンの地位はトヨタのものだったのでは?と言われています。

その後は外資企業が次々と参入し市場が拡大し続け、現地メーカーも次々と興り、激しい競争で淘汰統合されながら現在に至ります。

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日本の中国留学の変遷

世界四大文明の発祥の地、古代先進国だった中国へ、日本人は古くから学びに行っていました。最古の留学は遣隋使です。遣隋使は600年に始まり計4回行なわれました。1回目と2回目の目的は朝鮮半島への遠征のために隋を味方につけようとする政治交流が目的でした。2回目の607年には小野妹子が派遣されましたが、隋の冊封体制を受け入れなかった為もの別れに終わりました。

608年の3回目の遣隋使で再度小野妹子が大和朝廷の返書を持って行ったのですが、何人かの留学生も同行しました。これが最初の日本人の中国留学だと思われます。彼らは20年以上も中国で学問や仏教を学び、隋の滅亡と唐の建国を見届けて帰国しました。帰国して学問の振興や政治改革に貢献したそうです。特に唐の精度を真似た律令国家を作り上げるにあたって、彼らが得た知識は重要な役割を果たしたそうです。

隋が滅亡して唐の時代になると遣唐使として派遣が続けられました。630年から894年まで、約250年続きました。唐の進んだ文化や政治の制度、当時日本で栄えていた仏教を唐で学び、それを日本に持ち帰って活かすことが目的でした。阿倍仲麻呂や空海、最澄、山上憶良などが有名です。阿倍仲麻呂は唐で官僚を育成するための「太学」に入学し、国家公務員試験の科挙の進士科(最難関)に20代半ばで合格した超優秀な人だったそうです。その後玄宗皇帝の信任を得たが故に帰国が許されず、許されても航海事故で帰国できず、唐で官僚として命を全うしました。また、鑑真など、唐の僧侶が日本に仏教位を広めるために渡航してくることもありました。遣唐使は唐の衰えと共に菅原道真の進言により廃止されました。

その後は日宋貿易や明国との勘合貿易へと続きますが、政治的な交流と貿易が主な目的だったようで、記録が少ないことから中国から何かを学ぼうという意図は少なかったのではないかと推測されます。その後は日本が室町の乱世から戦国時代になり、その後の江戸幕府が鎖国政策をとったため、明国・清国との公式な交流はほとんどありませんでした。その後明治維新で近代化のモデルを西洋に求めたため、留学生は欧米に派遣されることになり、中国への派遣はありませんでした。

中国への留学が復活したのは近代です。中国の改革開放の成果が出て経済発展を始めた1980年代後半頃から日本にも中国に注目する人が増え、国の政策ではなく自費で留学する人が出てきました。日本人の留学先はアメリカ、イギリス、オーストラリア、カナダの英語圏が多いですが中国が年々増えてきています。中国に留学した学生を採用したいとする企業も年々増えています。今後中国は国際社会で更にプレゼンスを高めるでしょうから、中国を目指す日本人もますます増えていくと思われます。

中国から日本へ、日本から中国への留学の変遷をみてきて分かったのは、日中対立と各々の国の混乱があった時期以外は、教え教えられの歴史が繰り返されていることです。大きく見ればまずは日本が中国から多くのことを学び、近代化は中国が日本に学び、現在は相互に学び合っている状態だと思います。引き続き互いに刺激し高め合う関係を構築していきたいものだと思います。

日中関係史 1500年の交流から読むアジアの未来

中国の日本留学の変遷

中国人の日本への留学は清朝末期の1896年から始まりました。日清戦争に負けた清朝は近代化の必要性を痛感し、西洋のモデルを学ぼうと考えました。当時は日本が先んじて西洋モデルを導入していたので、近くてコストがかからない、言語が似ていて理解が容易な日本への派遣を決めたそうです。最初に派遣されたのは13名、嘉納治五郎の塾で学び、早稲田の政治科を卒業した人もいました。地方政府からの派遣も始まり、その多くは軍事を学んだそうです。

1900年の義和団事件で八カ国連合軍に首都北京を占領され巨額の賠償金を取られてから、清朝政府は富国強兵を目指して新政を開始しました。そのために大量の知識人が必要とされ、1903年から大規模な日本留学が実施されました。官費生だけでなく自費生も多く、そして政治的関心が高く法制や教育を学ぶ人が多かったそうです。欧米の留学生から科学者が多く出たのに対して、日本留学生からは政治家や軍人、文学者や芸術家が多く出ました。前者では周恩来、陳独秀、蒋介石ら、後者では魯迅などが知られています。清朝政府が清国を強化するために派遣した留学生たちが国を変える人材に育ってしまったことは、歴史の避けられない流れだったのでしょう。ただ、あまりに多くの学生が送り込まれたために教育が不十分だったケースもあったそうです。

中華民国成立後も日本への留学は続き、1914年頃から1930年代まで多くの留学生が日本に向かったそうです。その時期は日本軍の中国侵略により日中関係が徐々に悪くなり続けた時期なので、抗日救国のためにまず日本なるものを見極めようという意味あいが強かったと分析されています。数量的には清朝末期の方が多いですが質的に大きく向上して、東京帝大や京都帝大などの名門大学を卒業する人が増加したそうです。そして1937年の盧溝橋事件をきっかけに中日全面戦争が始まって、日本への留学は中止されました。

再開したのは1973年、中華人民共和国との間で中日国交回復の翌年です。僅か5名でしたが和光大学の聴講生として日本語や日本史を学びました。そして本格的な再開は改革開放後の1979年からで、国費による158名の派遣でした。文化大革命の影響で学校教育期間が短縮されていたのでそれを補うために長春の東北師範大学で赴日留学予備校を設置し、予備教育を施した上で日本に派遣されていました。大学院への派遣が進むと大連外国語学院でも予備教育が行われました。日本から派遣された教員が教育にあたっていたそうです。

その後時を経て、現在では自費留学生が増えました。彼らの進路は全て個人の意思によって決められるので、以前は日本で職を得たり結婚したりして日本に留まったり、第三国に向かう人も多かったですが、中国が経済発展するに伴って帰国する人が増えてきたそうです。留まるにしても帰国するにしても、留学生が中国と日本の相互理解に果たす役割は大きく、友好関係の構築に向けた重要な人材です。

中国人エリートは日本をめざす なぜ東大は中国人だらけなのか? (中公新書ラクレ)

中国の留学の変遷

近代中国の留学がどのような経緯で進んできたか調べました。大きくは、①1870年代の官費でのアメリカ留学、②1890年代の欧米・日本への留学、③1950年代から60年代の旧ソ連への留学、④文化大革命後・改革開放時代の国費留学、そして近年の⑤自費留学の拡大と分けられるようです。④⑤についてみていきます。

改革開放では自然科学や科学技術の習得を目的に、海外への留学を体系的に実施しようと政府教育部主導で公費派遣が企画されました。かなり試行錯誤があったようです。1978年に選ばれた優秀な学生3000人の派遣先として選定されたのが、最多がアメリカで700人、そして日本、西欧諸国、カナダ、オーストラリアやニュージーランド等の二十数か国に30人から400人とし、各国の支援を要請しました。自費での留学も徐々に認められてはいましたが少なかったそうです。78年から80年代中盤までは留学して知識を身に付けたら基本的には帰国して、国の発展に尽くすというスタイルでした。

1986年からは経済発展の状況に応じて制度面で拡大がみられました。国家派遣、機関派遣、自費留学の調整が進み、多様化されていったそうです。この時期に私が通っていた日本の大学にも多くの中国人留学生が大学院生として来られていました。非常に優秀な方々だったそうですが、昼は講義、夜はアルバイトとずっと活動されていて、私はほとんど話す機会はありませんでした。この頃から、帰国しても良い就職先もないということから、留学を終えても帰国しない学生が増えて、中国は人材の流出に悩まされました。そのため、公費留学を帰国を前提の制度に変えるなどコントロールを強化しました。

1992年には制度の大きな見直しが行われ、公費留学の選抜方法は改善され自費留学の政策が緩和されました。そのため都市部を中心に留学ブームが起きました。その後、自費留学者が公費留学者を上回るようになりましたが、帰国促進政策を充実したこと、そして経済発展により国の魅力が高まってきたことで、帰国率も高まってきました。紆余曲折はありましたが、最終的に海外で学んだ優秀な学生が帰国して国の発展に尽くすという好循環になっているのが現在の状況のようです。

実際今の中国では、海外からの帰国者が経済発展や技術イノベーションに貢献する事例が多くなってきているようです。現在もたくさんの中国人が海外に留学していますが、将来彼らがグローバルに活躍することで、中国のプレゼンスを更に高めていくでしょう。

中国の大学進学率の変遷

近代中国では文化大革命によって10年以上の知識人の冷遇や抑圧があり、1977年に制度を見直し78年から大学教育を本格的に再開しました。後に大成功した改革開放は教育制度の改革から本格的に始まったといえるようです。しかし、当初は大学の研究員や教員などは極めて乏しくなっていて、量的不足、質的貧弱といった状態だったそうです。そのために海外先進国から学ぼうと、留学制度も改めて設定されました。

大学教育本格再開当初の進学率は3%程度で相当優秀な人ばかりだったですが、勉強ができても家庭条件などを理由に入学を拒否される場合もあったそうです。アリババ創業者のジャック・マーは80年代の高考経験者で、入試に2度失敗して3度目にようやく合格したことを謙遜して語っていますが、全体の中ではひと握りの優秀な方だといえます。短大専門学校を含む大学進学率は、78年から91年までは3〜4%(日本は35〜40%)、92年頃から増え始めて98年に9%(日本は約48%)、2010年には約25%(日本は約55%)、現在では約50%、日本はここ数年約55%のままで横ばい状態なので、日本に追いつき追い越す勢いです。

私はこの数字を実体験から納得しています。私が本格的に中国の方々と仕事をするようになったのは2004年ですが、合弁事業としてしっかりタイアップして仕事ができると実感し始めたのが10年後の2014年でした。会社の実務リーダーが仮に35歳から40歳だとすると彼らは1992年から97年に大学に入学する年代、大学進学率が急増し始めた時の18歳です。優秀な方が政府機関だけでなく民間企業にも入ってきて、会社の中枢を担い始めるタイミングだったのだと推測します。

今や中国初のイノベーションが次々と出て科学技術や経済の発展を加速しています。時間はかかりましたが、教育改革の大きな成果が出てきたのだろうと思います。

中国の子供の躾と空手道

中国では経済が発展していく中でのひとりっ子政策で、甘やかされ、勉学のみに偏った子供たちが増えました。大人になっても協調性がなくものごとを自分で決められないことが懸念されてきました。ひとりっ子政策は取り止めになりましたが、教育などの経済的負担を嫌って、2人目3人目をつくる夫婦は多くないのが実態のようです。ひとりっ子は両親と4人の祖父母の期待を一身に背負い、それ故に大変甘やかされてわがままに育っていきます。いわゆる「小皇帝」です。

そういう子供たちに礼節を教えるのに空手道は最適ではないかと考えます。中国で子供に習わせる武道は韓国のテコンドーが多いのですが、テコンドー教室を見学に行くとスポーツ的要素の指導がメインで礼節の指導は練習前後のお辞儀くらいしかありません。対して日本の空手は礼節、挨拶、教えてもらう態度や受け答え、道を極めるための心構えなど、大人子供に関わらずしっかりと教えます。それが中国の子供にも良い教育になると思うのです。

一方の教える側も、日本で空手をやってきたのにそれを十分に活かすことができない人がたくさんいるので、空手を仕事にする機会があるというのは非常に良いことではないかと思います。まさにwin-winです。

東京オリンピックで空手が再度世界中に認知され、中国でも盛り上がることを大いに期待しています。

「三体」紹介Part2

以前中国語の読解力を上げるために適した中国の書物として「三体」を紹介しました。紹介したものの私自身は最後まで読破できた訳ではなく途中で挫折していました。挫折した理由というか言い訳として、ストーリーを知らない複雑な内容を中国語で読み解いていくにはパワーと根気が必要で、続かなかったと説明しました。しかし遂に日本語翻訳版が出てストーリーを把握できましたので、改めて中国語版を最後まで読む気力が蘇りました。

日本でも話題になっているようなのでご存知の方も多いと思いますが、三体は中国でもアメリカでも大ヒットし、アジア圏では初となるヒューゴー賞(最も優れたSF作品に贈られる賞)を受賞しました。

三体は地球往時と呼ばれる三部作の一作目にあたります。小説のタイトルは天文力学の「三体問題」からきています。内容を簡単に紹介しますと、文化大革命の頃の中国から話が始まり、物理学者の父を殺害された女性天体物理学者が宇宙にメッセージを発信します。次に場面は現代に移り、ナノマテリアルの専門家の男性のまわりで優秀な物理学者が次々と自殺する不可解な事件が起こります。専門家はその謎を突き止めようとしますが、自身の目にも謎のカウントダウンが見えるようになり困惑します。実は異星文明が持つテクノロジーに彼らのナノテクノロジーが深く関係していて、研究の妨害をしていることが分かってきました。事件を追いかけるうちに三体と名付けられたVRゲームに行き着きます。三つの天体の中では複雑な相互作用が起こって軌道が予測できず、その環境で生きることがどれだけ過酷かということが疑似体験されます。

それが第二部の「黒暗森林」、第三部完結編の「死神永生」へと続きます。現時点で第二部と第三部は日本語訳はされていませんが、英語版を読んだ方によると話がどんどん壮大に広がっていくそうです。

三体は2006年に発行されていて、第三部完結編は2011年に発行されています。発行して14年も経っているSFのストーリーが高評価を得て評判になっていることは驚きです。逆にいうと私も含め中国語ができない人は中国人よりも14年も遅れて知るということです。言語というのは新しい知識をタイムリーに得るための重要なツールであると、改めて思い知らされました。第二部・第三部は邦訳はまだ先のようなので、原書で読むことに改めて挑戦しようかと思っています。

日本語版の三体と中国語版三部作のリンクを貼っておきますので参考になさって下さい。

三体

三体(1-3)(套装共3册) 中国語版書籍

バイリンガル育成のポイント

日本と中国との交流が盛んになるにつれて国際結婚をされる方も増えてきました。私の周囲にも日本人と中国人の夫婦がたくさんいます。そういう方々の子供さんは簡単に日本語も中国語もできるようになる気がしますが、実際には幼少期からバイリンガルを育成するのはかなり難しいようです。ハーフの知り合いもいますが、両言語どちらも完璧な方はあまりいらっしゃいません。居住場所の言語に慣れ親しむ一方、もう一つの言語が維持できないケースが多いようです。その中で、ご主人が日本人、奥様が中国人のご夫婦で、息子さんの語学力を上手に伸ばしている方がいらっしゃるのでコツを聞いてみました。その息子さんは15歳で日本語と中国語がほぼ完璧、英語もマスター中です。奥様は中国大学の日本語講師です。

①  基本的に父親は日本語で、母親は中国語で子供と会話をするそうです。その効果は単に両方の言語をインプットするというだけではなく、気持ちが伝わるのが大きいそうです。人は母国語で話すのが最も自然で感情豊かに気持ちを表現できるので、幼い子供にでもしっかり伝わるそうです。

②  ①の基本は念頭においた上で、家庭内では非居住国側の言語を多めに使うそうです。例えば中国に住んでいると子供は自然に中国語に親しみますので、家庭内ではあえて日本語を多用するそうです。

③  話すだけではなく早いタイミングで文字を覚えさせる必要があるそうです。特に中国語にはない日本のひらがなとカタカナを早いうちに覚えさせて本を読めるようにして、幼少時点から言葉が耳からだけではなく目からも入ってくるように工夫したそうです。

④  言葉だけではなく双方の国の文化に触れさせて興味と理解を持たせる、これが最も重要だということです。アニメなどの子供が興味を持つものを年代に合わせて上手に与えたり、定期的に旅行してみたり。このご夫婦は、仕事の都合に合わせて数年間日本に住んで、子供さんを日本の小学校に通わせたりしました。友達ができるとやはり言葉の習得は速いそうです。

我々のような兼業学習者が参考にすべきは、やはり④の文化の理解だと思います。私は日本にいる頃は正直言って中国に興味を持つことは少なかったです。中国関連で興味を引かれることは特になく、あえて言えば中国史が好きと言う程度でした。しかし、中国が発展してくるにつれて中国発の文化や先進技術が生まれてきて次第に面白い国になってきています。中国語の学習を始めようという方は中国と何らかの関係を持つ人だと思いますので、言葉の詰め込みばかりで苦労するのではなく、中国の面白いところを見付けながら楽しく進めていきましょう。

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ジャック・マーの成功にみる言語学習の重要性

ジャック・マーは中国アリババグループの創始者で近年最も成功した経済人の1人です。彼の経歴は広く紹介されているのでご存知の方も多いと思いますが、現在の巨大なIT企業の創業者が華々しい経歴を持つ中で、かなり苦労した経歴の持ち主です。杭州で生まれ育った彼は普通の学校に通い、その中で成績はあまりよくなかったそうです。大学入試には2度失敗し、就職後に再度大学受験を目指し、3度目で抗州師範大学になんとか補欠で入学したそうです。ただ、80年代の中国では大学に進学するというのは大変なエリートだったそうなので、優秀な上に努力をして重ねられたのだと思います。しかし、その後就職をしようと就活するも30社受けて全滅、なんとか大学の講師の職にありついて細々と暮らしていたそうです。このままではいけないと起業をして、その関係でアメリカに行った際にインターネットに出会い、それを中国に持ち込んでアリババを創業して大成功したという略歴です。

そんな彼が子供の頃から必死でやっていたことは英語だったそうです。中学生の頃に近所の外国人が宿泊するホテルに行って無料で観光案内をやっていたというのは有名な話です。大学まで行っていろいろ学習しましたが就職は失敗、仕方なく自分で興したのが唯一使える英語能力をいかした翻訳会社。その仕事を通してアメリカ訪問の機会を得てインターネットを知り、英語でのコミュニケーションで知識を得てビジネスを拡大し、成功へ繋げました。

英語を学ぶことが成功に繋がるというビジョンが彼に見えていた筈はありません。しかし、英語というコミュニケーションツールを得ることで、自分の知らない新たな世界が開けるのでは?ということは、当初からではないにせよ、直感的に理解していたのではないかと思われます。

もちろん英語学習だけが彼の成功要因ではなく、類まれな起業家精神と行動力に起因するところが大きいと思いますが、英語学習を継続したことが基盤になったことは間違いないと思います。

現代では多くの分野で中国が最先端をいく技術やビジネスがたくさんあります。私たちも中国語学習を通して新たな世界を切り開いていければ素晴らしいと思います。

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フードデリバリーの変化

中国では過去十年間で食品の宅配が急速に普及し、利用者は5億人を超え市場規模は約4兆円規模と言われています。配達員だけでも300万人規模。主要プレイヤーは合わせて市場シェアの9割を占める美団点評とアリババです。そのビッグビジネスが新型コロナの拡大によって変化してきているようです。

まずコロナ初期に外出を控えるということでフードデリバリーの需要は急増しました。しかしコロナが次第に深刻化していくにつれ、誰が調理したのか、配達中の衛生がどの程度保たれているか分からない、特に配達員は毎日多くの人と接するので感染リスクは高いのでは?ということで避けられるようになったそうです。しかし、自粛期間はフードデリバリービジネスにとってはまたとない商機です。大手二社は衛生不安を払拭するために、配達員にはマスク着用と体温測定、宅配ボックスの消毒を実施した上で、接触機会を出来るだけ少なくするために特定の配達地点で商品を受け渡しするサービスを展開しました。

そして最近目立ってきたのが食材のデリバリービジネス、農家や生鮮プラットフォームや従来型市場と連携し、安全新鮮な食材を配達しています。以前からあったビジネスですが一年くらい前から需要が急拡大し、コロナの影響で更に加速しているようです。特に若い会社員夫婦の利用が多そうです。いくら美味しくても毎日外食していたら飽きるように、加工食品のデリバリーもやっぱり飽きてきます。食材を得て自分で料理する良さが認識されてきたので、今後ますます拡大すると思います。

日本でもコロナ自粛が続きフードデリバリーが徐々に始まっていますが、それが進んでいくとやはり食材に行き着き、やがて新しいライフスタイルとしてコロナ後にも定着していくのではないかと思います。先行しているのはオイシックス、中国にも進出しているようですので、頑張って欲しいものです。

いつか分かり合えるのか

20数年前、90年代の終わり頃にいろんな国で仕事をしてきた会社の先輩から聞いた言葉に、「一旦南下して東回りに進んで最後の北上する順にだんだん分かり合えなくなる」というものがありました。その方の経験によると日本人が分かり合える順番は、台湾・パラオ→アメリカ→イギリス→欧州→中東→インド→東南アジア、そして最後が中国だというのです。西を向けばすぐ隣、見た目も使用する文字も似ているのに、価値観が違い、不思議なほど全く分かり合えないということでした。まだ私は中国のことを知らない時期だったので、とても不思議に思ったものです。自身の経験では、80年代終わりに住んでいた大学の寮に何人か中国人留学生がいたのですが、彼らは授業とアルバイトばかりで接点が全くなかったので、どんな人たちなのか知る機会はありませんでした。

2004年から中国の仕事を担当するようになったのですが、実際に中国の人と付き合ってみて先輩が言っていたことを実感しました。中国の前に担当していたコロンビアやタイの人たちと比べて明らかに分かり合える部分が少なかったのです。たとえ外国人であっても常識的にこう考えるだろうということを中国人たちはことごとく違う解釈をして、私が思いもしない方向に進んでいきます。特に不思議だったのは、個人で話している時は通じる話も複数人での話になると途端に訳の分からない方向に外れていくことでした。当時の私にはそれが全く理解ができず悩んだものです。古代から高度な文明を築き上げて常に日本の手本であった中国と、当時の中国人たちが全く繋がりませんでした。

そのうちに中国には日本ではあまり教えられない文化大革命などがあって、社会が混乱し教育が断絶していたことを知りました。よく観察するとどうやらその世代と彼らに影響を受けている世代が分かり合えない、そして近代的な教育を受けてきた下の世代には案外話せば通じるということが分かってきました。年配の人を敬う、トップダウンで上司は絶対、という考え方であるため、上がおかしなことを言っても慮ってあからさまに否定しないのだということも分かってきました。

中国はめざましい発展を続け、生活も経営も近代化してきたので、分かり合える度合いがどんどん増えてきました。最近の若い人などは日本の若い人よりも素直でスマートな人がたくさんいます。引き続き交流を続けることで更に分かり合えるようになると思います。

中国を過度に擁護するつもりはないですが、中国人がダメだという人の中には、90年代の中国人の印象が根強く、変化してきていることを知らない方が多いと思います。変わってきた中国を自らの目で確かめられたら印象は変わるだろうと思います。

中国人の考え方が2時間でわかる本

外国語を学ぶことの意外なメリット

私は義務教育で英語を勉強しましたし、スペイン語もやってみました。(ほぼ撃沈でしたが…)そして現在は中国語をやっています。残念ながらどれも大した結果に繋がっていないのが現状ですが、外国語を学習することで合わせて向上する、対象言語そのものとは別の能力がある気がしていました。

ネットでいろんな方が検証結果を発表していました。まず言語にまつわる能力としては「母国語も合わせて進歩する」「総合的にコミュニケーションが上手くなり外交的で人に好かれるようになる」等々があります。それらは一般に想像できるしその通りだと思います。

「数学を始めあらゆる学習が速くなる」これについてはアメリカマサチューセッツでの研究で立証されたそうです。言語学習は論理的思考能力や記憶力の向上に寄与するそうです。

個人的に実感するのが「創造性が向上する」です。新言語を学習することで母国語にはない思考回路や視点を獲得できる上、使い慣れていない言葉で物事を考えて伝えようとすることが知識を駆使して最適策を見出す訓練になり、創造性が高まるそうです。私は創造力が他と比べて高いという訳ではないですが、自分自身の過去と現在の比較において、中国語を学習し始めてから新たな思い付きや業務課題の新たな解決策が広く発案できるようになってきたと思っています。

嬉しい驚きは「アルツハイマーや認知症などの脳の病気を予防する」ことです。2つ以上の言語を話すと脳の中の神経経路を増やすことになり、情報処理のチャンネルが増えるという研究をアメリカ神経学学会が発表しているそうです。それによって脳の病気の予防になるか或いは発症を4.5年遅らせることができるそうです。

私のように中国語学習に伸び悩みを感じ、挫折しかかっている人も多いと思いますが、言語そのものがなかなか習得できなくてもその他の能力が向上している、特に脳の病気の予防になっていることを踏まえて、気を取り直して頑張っていきましょう。

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中国で最も有名な平仮名「の」

日本製品やアニメ人気の高まりや日本への旅行者が増えたにもかかわらず、反日教育やドラマの影響なのか、日本文化は今ひとつ中国大陸には浸透しない気がします。日本人にとって外国に来た気がしないほど日本文化が浸透している台湾と比べると、歴史的背景があるにせよ今ひとつの感が否めません。それでも少しずつ日本的なものが増えてきています。飲食店や行楽施設に日本語が使われるものも増えてきました。

温泉や抹茶などの日本のものがそのまま展開されているものに日本語が使われるのは当然ですが、中には中国のものにも無理やり?日本語が使われるようなケースがあります。その中でも最も多用されているのが「の」だと思います。

機械的に変えているだけなので意味的に首を傾げるようなものもあります。しかしそれは別の狙いの新しい使い方だと考えることができます。日本に和製英語がたくさんあります。ある記事で、アメリカ人が京都のお肉屋さんに「Flesh Shop」と書いてあるのを見て「Meat Shop」だと教えてましたが、店主らは頷いただけで変更はしなかったそうです。彼らにとってFleshかMeatかは問題ではなく、英単語を使っていたのは単に注意を引き付けるためで、肉屋であることは外から見れば分かるので、意味を伝える目的はなかったからだ、という解説がありました。

中国人はアニメなどの影響で日本的のものに楽しいオシャレなイメージを持っていて、日本語を入れることでその雰囲気を醸し出しているのだと聞きました。やり方として簡単な中国語の「的」の部分を「の」に変えて使うケースが多いようです

つまり中国でも日本の和製英語と同じ現象が起こっているのだと思います。「の」を使う中国の人たちも意味ではなくイメージを求めているのでしょう。それに気付いてからは意味的におかしな「の」の使い方でも納得するようになりました。

日本語が使われる新言語、今後の展開が楽しみです。

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知中派が中国の全てを肯定している訳ではない

中国のことを知る人が中国の全てを肯定している訳ではないということを知った上でコミュニケーションしないと、不要な誤解を招くので注意が必要です。

最近新型コロナのパンデミックの責任を問う話が引き金になり、知中派の方々の中国擁護のコメントに非難中傷が多くみられるようになってきました。しかし、ビジネスや文化交流を通してある程度中国との関係が深い方々は、中国の良いところを知っている一方、当然ながら悪いこともたくさん知っていて、実際に被害を被ったり苦々しく思っていたりしているものです。私自身も現在中国で暮らしている訳ですが、未だに定期的に中国への嫌悪感が高まって帰国したくなったりします。

知中派側の問題もあります。過剰に中国を擁護してしまうことがあります。まずは反発心からくるもの。報道や他人の意見が自分の知る中国と違って違和感を感じる場合、必要以上に擁護することがあります。次に同情心からくるもの。確かにまだまだ悪いのだけど良くなってきた改善代を過大に評価してしまうことがあります。客観的にみて私はこのパターンが多いです。

同じ事象でも捉え方の違いによって事実認識が変わってしまいますし、そこに感情的なものが加わると解離がどんどん大きくなります。中でも中国に関する認識の乖離は他国に関する認識の乖離よりも大きいのではないかと思います。世界一の人口、広大な国土、政治経済の変化の速さ等々、中国を最大公約数的に一律表現することにそもそも無理があります。そういったことを踏まえて非難中傷ではなく建設的な議論ができれば良いと思います。

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中国EVの現状(2020年5月時点)

自動車業界100年に1度のパラダイムシフトを実現すべく、中国は電気自動車化に向けて国をあげて邁進してきました。莫大な補助金を与えて規模を拡大してきましたが19年7月に購入者への補助金を半減させたことをきっかけに販売が低迷するようになり、今では市場崩壊かとまで言われるようになっています。当初は100社以上といわれたEVスタートアップ企業も現在では体力がある20社程度に絞り込まれているそうです。そこに新型コロナが追い討ちをかける形になって20社も、そして上海に工場を建設したテスラも販売不振に悩んでいます。政府は2020年中には補助金を終了するとしていますが、終了したらそのままなくなってしまうのではないかといわれるほど深刻なようです。

実際に南京の状況をみてみると、中国のテスラを目指してようやく工場建設〜生産にまで漕ぎ着けたBytonは実生産に至れておらず休止中です。立派な外観の工場ですが静まり返っていました。NIOのディーラーにも人影は疎で、購入が進んでいる様子はありません。インフラの整備も充電スタンドは休止状態のものがありますし、以前より増えている様子もありません。街を走る電気自動車も数年前より減っている気がします。知人によると今では電動車は「网约车」ネット契約車=ネット上で騒いでいるだけで宣伝しているような実態がない車、などと揶揄されている状態です。

しかしそれでもこれからの大きな潮流は電気自動車なのだと思います。今後ドイツや日本のメーカーも参入して商品の質も量も上がっていき、生き残ったローカルスタートアップ企業との熾烈な戦いになります。そこで淘汰、統廃合を繰り返しながら高度化していって、本当のパラダイムシフトが起こるのだろうと思われます。

まだまだこれからだと思います。楽しみです。

2030 中国自動車強国への戦略 世界を席巻するメガEVメーカーの誕生

大人気の日本AV

現代中国の特徴として外すことができないのが日本のAV人気です。中国で人気の日本人女性といえば、山口百恵、酒井法子、浜崎あゆみ、石原さとみ、と経緯してきましたが、近年では飯島愛、蒼井そらといったAV女優の人気が高まりました。

中国では性の話がタブーとされています。教育現場でも性教育は重要視されておらず「思春期の身体衛生」の授業が1~2回ある程度、家庭でも親は性についてほとんど語らないそうです。当然AVなどのポルノ系コンテンツの製作は禁止されていて、テレビで性的描写を見ることはほとんどありません。

しかし性は人間の3大欲求の一つ、止められるものではありません。禁止されればされるほど逆に興味を持つということもあり、ネットでAVを検索し続けます。中国人は欧米のAVはあまり興味がなく、想像で自分事化し易い(外見が似ているから)日本のAVが好きです。結果、日本のAV女優の蒼井そらがメディアに登場するほどの大人気になっていました。中国の男性で蒼井そらを知らない人は少ない思います。尖閣諸島の領有権が問題になった際のデモで「釣魚島(尖閣)は中国のもの、蒼井そらは世界のもの」との幕が作られていたのには驚きました。

日本にあって中国にないという意味で性関連ビジネスは大きな可能性を秘めています。ただ、やはりAVは文化的にはアンダーグラウンド、日本人として「日本=ポルノ」というイメージが強化されてしまっているのは少々残念ではあります。最近街にも無人のアダルトグッズ販売店ができていますが、そこに「日本」の文字が冠されているのはやはり抵抗があります。

先に通じる喜びを味わう

語学は習得するのにとにかく時間がかかります。コミュニケーションができる喜びを感じる前に先の見えない学習で挫けてしまい、やめてしまうケースが多々あります。道半ばでやめてしまうとそれまでの労力と時間が無駄になってしまい、大変もったいないことになります。そんなことにならないように、先にコミュニケーションができる喜びを味わうことをお勧めします。完全習得を待たずに先に楽しんでしまうのです。

そうは言っても下手な状態で外国人と向き合うのには抵抗があります。そこでお勧めなのが、日常でよく使う決まり言葉や文章を一つ二つ完璧にまる覚えして使ってみる方法です。多くは必要ありませんし難しいなら文字を覚える必要もありません。音だけを完璧にコピーして使ってみるのです。人によって違いはありますが音だけをコピーして口に出すとまず伝わらないということはありません。そして伝わるととても嬉しく、もっと話せるようになろうとモチベーションがアップします。

題材としてお勧めなのはアルク社の「起きてから寝るまで表現」シリーズです。私は学生の頃に英語ができず、社会人になって必要に迫られた際に「とにかく簡単な会話だけでも」と手に取ったのが同書の英語版でした。いつくか自分の好きな表現を丸覚えしてアメリカ人に使ってみたところ、意外にもうまく通じてとても嬉しかったものです。だから中国語でも同じアプローチをやってみて、その時の喜びをモチベーションにして何とか今でも学習を続けています。

もちろん、このやり方で通じるのは自分が覚えているセリフだけなので、その後先方から何かを聞かれても話は続きません。ニヤニヤしながら何とかその場をやり過ごのみです。ただ、一言でも意思が通じ合えたら以降は話し易くなり、ブロークンでも良いから会話をしようと頑張るものです。それがまた学習しようとする気持ちを高めます。

是非試してみて下さい。「超入門」がオススメです!

元気なお年寄りが感染を広げる?

日本に比べて中国には元気なお年寄りが多いと思います。女性であれば中高老年が夕方から広場に集まって音楽を流して華麗に?踊っています。男性は公園で凧揚げやコマ回しをやっています。そして男女問わず、麻雀やトランプを大勢が集まってワイワイやっています。とても楽しげな光景なのですが新型コロナの感染が広がっている時にはこれがクラスターになる可能性が高く、政府によってすぐに禁止されました。

お年寄り、特に男性はマスクをせよ、消毒をせよと言われても「ワシは大丈夫」みたいな思い込みでやらない人が多いです。それは中国でも同じらしく、武漢に住んでいるある人のお父さんは市政府から厳戒令が出されているにも関わらず普段と同じようにマスクをせず出歩いていて、奥さんにキツく叱られてやっとやめたそうです。私も近所のスーパーへの入場時にマスクをせず検温にも応じないお爺さんが警備員と喧嘩している場面に出会しました。南京弁だったのではっきりとは分かりませんでしたが、「ワシは(コロナが)流行っている時から今まで全く何にもなかった、予防など必要はない」みたいなことを言っていました。

中国南京では新規感染者ゼロが長く続いていて終息に向かっていると判断されていますが、まだまだ油断は禁物だと思います。5月だというのに35度にもなった南京では案の定お年寄りたちがマスクを外してワイワイしゃべりながらトランプを楽しんでいました。コロナ第二波のクラスター発生などということにならないよう、注意して頂きたいものです。

日本語が堪能な親しい中国人の中国語が最も分かり難い?

少数意見かもしれませんが、日本語が堪能な親しい中国人が中国語を話すと全然分からないという人がいます。私も同類で、友達、同僚、通訳さん等々の日頃日本語で会話している人が急に中国語に切り替えるとサッパリ分からないという経験をよくします。感覚的に、付き合いがあって慣れた人の中国語の理解度を+、初めて会った人が話す中国語の理解度を±0とするなら、日本語で付き合ってきた人の中国語の理解度は-というくらい、分かり難い感じがあります。しかもそれはアメリカ人など他の国の人よりそのギャップが大きいと感じます。皆さんは如何でしょうか?

自分自身の感じ方を深掘りしてみると、そういう人たちは自分にとって日本人と同じような対象になっているのだと気付きました。日本語を学ぶ人は基本的に親日で日本の文化や考え方に理解があります。その上同じ東アジア人として見た目が似ているので、ほとんど違和感なく日本人のように接しています。その(自分にとっての)日本人が突然流暢な中国語を使うと、日本語で交流する時とのギャップ大きさへの戸惑いに、こちらが中国語を上手く使えない気恥ずかしさ等が加わって勝手に焦ってしまい、分かるものも分からない心理状態になっているものと思われます。その人の中国語だから分からないのではなく、自らが勝手に作り上げたメンタルブロックが原因だと思います。

「◯◯さん、ちょっと中国語で話をしてみようよ」と言われた時は要注意、ひと呼吸おいて「この人はいつものあの人とは違う人」と認識を切り替えた上で会話に入るようにしています。その工夫で少しは改善してきたと思っています

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日本再生に向けた中国語習得

シン・ニホンという日本再生の必要性を論じた書籍が出版されました。過去15年でデータ×AIの技術革新に日本は完全に取り残されていて、当該先進国と同じプラットフォームを作り出すのはもはや無理。しかし江戸の鎖国から明治維新後に西欧を模倣し実用と連結の技術を磨いて発展してきたやり方を今から実施しよう。そのための出口産業は既にできている。今こそ意識変革して再生を目指そう、という、とても勇気が出る内容です。新型コロナで社会のあり方が激変しましたが、それにも合致した納得性の高いものです。

当該プラットフォームを持つ先進国といえばGAFAを持つアメリカとBATHを持つ中国です。日本は先ずそれらの国々でどんなIT革新が進んでいるのか、具体的に何が実用化されていてどんな課題があるのか、知ることから始める必要があります。どちらの国から学ぶかはケースバイケースで選ぶことになりますが、どちらにしても先方からわざわざそれを日本に紹介してくれる訳ではないので、とにかく先ず情報を取りにいくための言語能力を身に付ける必要があります。

英語でも中国語でも、今後は必須になる、という曖昧な追従思考ではなく、日本再生に必要な能力として主体的に習得していきましょう。

シン・ニホン AI×データ時代における日本の再生と人材育成 (NewsPicksパブリッシング)

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