中国の自動車産業の歴史

中国の自動車市場は現在世界一の規模です。国産・外資・合弁の自動車会社が乱立し、EV車等の先進技術への移行に取り組んでいて、経済と科学技術の発展に大きく寄与しています。

1931年が中国が最初に車を作った年、張学良の指示でトラックを試作したそうです。その後その工場は満州事変で日本軍に奪われ、同和自動車という名で月300台程度の生産をしたそうです。1936年には上海に中国汽車製造公司が設立され、ベンツとの技術提携でトラックを2000台程度生産したそうです。

1950年が本格的なモータリゼーションの始まりの年、中華人民共和国建国の翌年です。旧ソ連の協力のもとで準備が開始され、1951年に第一汽車製造廠の建設計画が承認され1953年に長春で着工、4トントラックを年間3万台の規模で生産していたそうです。現在の中国ビッグ3の一つ、第一汽車です。

1958年からはメーカーが乱立して南京汽車や北京汽車などが一汽と並ぶメーカーになりました。乗用車が試作されましたが販売は振るわず、クライスラー車をベースに開発した一汽の紅旗モデルだけが細々と生産を続けました。1968年には湖北省に第二汽車製造廠が設立さえてトラックの生産を開始しました。現在のビッグ3の一つ、東風汽車です。

1978年からの改革開放期に、政府は乗用車の国産化を目指して外資との合弁企業を企画しました。いち早く応じたのがフォルクスワーゲンで、1984年に設立した上海汽車との合弁の上海VWは大成功を収めました。フォルクスワーゲンはその後一汽とも合弁し、「中国で車といえばフォルクスワーゲン」と言われるほどの不動の地位を築きました。一方の上海汽車は90年代にGMとも合弁会社を設立し、こちらも大成功を収めました。上海汽車もビッグ3の一つです。

日本の会社は輸出を続けていました。中国はトヨタに現地化を強く求めましたが、技術の流失を嫌ってか高コスト化を懸念してか、応えませんでした。この時にトヨタが進出していたら今のフォルクスワーゲンの地位はトヨタのものだったのでは?と言われています。

その後は外資企業が次々と参入し市場が拡大し続け、現地メーカーも次々と興り、激しい競争で淘汰統合されながら現在に至ります。

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