よく「中国人は面子を重んじる」といいます。そう言われるとなんとなくプライドが高かったり取っつきにくいイメージを持ってしまったりするのではないかと思います。私も異文化交流の講座でそう教えられて、少し構えて応対してきました。しかし、15年ほどの中国人との付き合いを経て思うのは、「面子を重んじるのは日本人も同じ、むしろ日本人の方が気にするのでは?」ということです。つまり日本的常識で付き合えば、中国人との交流において過度に気を付けることはないと思います。
もちろん「大勢の前で非難しない」とかの配慮は必要ですが、それも日本人には常識的に判断できると思います。中国も日本も儒教がベースになっている点で共通性が高いのだろうと思います。
日本はその上に「恥の文化」といわれる、他人に対して恥ずかしい振る舞いをしたくないという観念があって常に言動に気を配っているので、非難されると大いに狼狽えたりします。
中国人で特徴的だと思うのは、他人を慮るがあまりに会議などで人の意見に反することをあまり言わないため、なかなか結論を導き出せないことです。個人では直接的で分かりやすい性格の人が多いのに、集団になると急にモゴモゴした感じになってしまうのは、そういうところに原因があるのだろうと思います。
以前はよく「値引き交渉で中国語を練習する」というような話がありました。今でも中国語の練習方法を紹介する読み物に値引き交渉を推奨しているものもあります。実は私はあまりそういう経験がなく、特に最近では値引き交渉そのものを見る場面がほとんどないので、本当にそれで練習になるのか疑問です。
私が経験したのは20年ほど前に台湾で現地の同僚が夜市に連れて行ってくれて、私が買うものを彼が値切ってくれたことです。当時は私は中国語が全くできなかったのですが、ものすごい言葉の応酬に、「これは外国人には絶対に無理だな」と思った記憶があります。
自分では10年くらい前に北京のおみやげ屋さんで見つけた置き物を値切ったことがあります。難しい言葉は使えないので、ただひたすら「安くして」と言い続けただけでした。3割くらい安くしてくれて交渉自体は楽しかったのですが、言葉の練習にはなりませんでした。
その後中国で生活する機会を得ましたが、現在は社会が発展してきたこともあって、値切ることができる店は周囲にはほとんどなくなった気がします。値切っている中国人もほとんど見ません。大きなデパートや高級店は以前から値切れませんでしたが、一般的な個人商店や商業ビルでも値切れません。一声かけようとすると最初から「不 谈价钱 」と言われることもあります。
日本にいると中国社会の急激な変化を認識するのは難しく、過去の固定観念や古い情報で判断してしまいがちです。現在の中国では値引き交渉で言葉を練習するのは無理だと思います。
中国人の知人と微信でチャットをすると、生きた言い回しや小粋な表現に触れられます。それらを丸覚えすることで表現力を豊かにすることができます。
一対一のチャットでは相手が気を遣って、日本人に分かりやすい表現を使ってくれたりします。これは有難いことなのですが、中国語の勉強という意味ではあまり良くはありません。相手には遠慮なく通常の言い回しを使ってもらう、あるいはグループチャットで中国人同士が交信している言葉に注目するのが良いと思います。
注目したいのはテキスト学習だけでは事前な使い方が分からない、ニュアンスが加味されたような表現です。
怎么回事(何事?)、肯定可以啊(きっといいよ)、有点逗(ちょっとからかう)、摔了一跤(つまづいて転んだ)、大意了(油断した)、怪胎(変わり者)、迷住了(魅せられた)、无所谓(どうでも良い)、愚蠢的事情(ばかなこと)、无比珍贵的(この上なく貴重な)などなど。
チャット会話の中で出てくると、どういう状況で使う言葉なのかよく分かります。なので自分からも自信を持って発信することができて、頻繁に使っているうちに自然と丸覚えできます。有用な表現をたくさんストックしておきましょう。
中国人は日本人に比べて怪我が多い気がするのは気のせいでしょうか?男性はもちろん、女性でも傷跡がある人が多い気がします。
公園などで小さな子供を観察していると、周囲を確認せずに急に動き出す子がたくさんいます。結果、ぶつかったり転んだりしています。子供の頃に刃物で遊んでいて頭を切ったとか、振り回している棒で頭をぶん殴られたとか、乱暴な遊びの話も聞きました。
道を歩いていても、たくさんの人や電動自転車などが交通ルールを無視して横切ったりしているので、ぶつかったり転んだりしています。
特に電動自転車は危ないです。最近宅配の需要が増えたので激増しています。リミッターを解除すれば実質50キロくらい出るアレが、ルール上は自転車として扱われていて何でもアリ状態になっています。信号無視、歩道走行、逆走、危なっかしくて仕方がありません。人にぶつかったり車にぶつけられてひっくり返っていたり。規制すべきだと思います。
中国の皆さんには、もう少し注意して行動することをお勧めしたいです。
日本も中国もそうですが大きな大学では管理が緩いというかおおらかというか、講義に紛れ込んだりしていたりしても咎められることは少ないです。私のような年配者が学部生の教室に入ると明らかに怪しいのでそこまではしませんが、教室の外をぶらぶらしているくらいなら大丈夫です。
MBAの講義などは社外人が中心で、しかも週末に開講したりしていますので、おじさんがいても全く怪しまれることはありません。私もいくつかの大学に聞きに言ったことがあります。ネームプレートを用意している場合もあるので教室には入りませんが、講師はマイクを使って話すことが多いので、声は外まで聞こえます。外の椅子に座ってしっかりと聴講させて頂きました。MBAだとビジネスの話が多いので、社会人には比較的分かり易く、かなりレベルが高いリスニングの勉強になります。
若い人だと教室まで潜り込んでちゃっかり聴講してしまう人もいます。手を上げて発表までしてしまうツワモノもいるようです。
大学の講義を聞くことは中国語そのものの練習というより、学びの環境に身を置くことでやる気になるという心理的効果が高いと思います。
最後になりましたが、この方法は明らかにセコイので正式にお勧めできるものではありません。当たり前ですが、時間とお金に余裕がある方はちゃんと入学して受講して下さい。
言葉はコミュニケーションツールなので、自分が伝えたいことに関する言葉を覚えるのが効率的で有益だと思います。伝えたいことを喜怒哀楽でみると、喜と楽は比較的早期に覚えようとしますが、怒と哀はネガティブ要素なので意外と積極的に覚えないように思います。しかし、実生活の中では使うケースが多いので、結構頻繁に使ってよく覚えられると思います。
特に中国で生活していると、文化や考え方の違いからどうしても腹が立つことがたくさんあります。中国もマナーが向上してきたので以前よりはずいぶん減りましたが、それでもあります。最近の経験を紹介します。
中国国内線の飛行機内、搭乗した時点から、隣の女の子が携帯で大音量でドラマを見てゲラゲラ笑っていてイライラしていました。そして離陸してしばらくすると、後ろの席のオバさんが私の肘掛のところに足を突っ込んできました。これが超臭い。しかも私の肘に触れて何やらヌルッとした感触でむっちゃ気持ちが悪い。怒りがピークに達したのでエルボで撃退しましたが、暫くするとまたそおっと入れてきました。呆れてもう笑うしかありませんでした。
私の日本人的感覚では、もちろんそもそもこういうことはしないのですが、少なくともエルボをされた時点で相手が嫌がっていると察して止める筈と考えます。しかし中国人の知人によると、「こういう人にははっきり言わないと伝わらないよ」ということです。「あなたの汚い足が私に触れて気持ち悪い。とても臭い。私は怒っています。迷惑なので止めて下さい。止めないなら係員に言って席を変えてもらいます」これくらい言わないと分からないのだそうです。
本当にここまで言うかどうかは別にして、日本人的に「相手がどう思っているか察しなさい」というのは通用せず、言葉で言う必要があるのは確かなようです。いくつかクレーム用語を覚えておいたほうがよさそうです。意外に使う機会が多くて習得に役立つと思います。
中国人は人間関係を大切にするので、誰かにお世話になる時にはお土産を持っていく場合が多いです。会社の人の場合、特に多いのが多いのが白酒です。両手にいっぱい抱えて持ってきます。しかし、私が知る限り白酒が好きだという日本人は少ないので、正直言ってあまり喜ばれません。もらっても持て余してしまいます。そこで、事前に「要りません」と告げても、やっぱりニコニコ笑いながら大量に持ってきます。ひょっとして遠慮して断っていると認識されているかも?と思って、はっきりと「持ってきてくれても日本人には好きな人が少なくて飲まないのですよ」と告げても、やっぱりニコニコ笑いながら大量に持ってきます。
何故そこまでして持ってくるのか不思議に思って、ある人に聞いてみると「白酒は中国の文化の象徴で、友好の証です。だから、それをプレゼントして受け取ってもらうことに意味があるのです。味や好みの問題ではないのです」と。
なるほど、そう言われては受け取らない訳にはいきません。そのようにして職場の物置には行き場のない白酒が積み上がっていくのです。
日本人的感覚ではなかなか理解し難いことの一つとして、部下が上司に奢るということがあります。日本では通常上司が部下に奢ります。一般に収入も多い訳ですし、先輩が後輩に奢るというのが極めて自然であるように思います。しかし、中国の会社では逆で、部下がお世話になっている先輩や上司に奢ります。また、下請け会社やサプライヤーが客先企業の関係者に奢るというのも普通に行われます。考えてみれば、その人のおかげで自分の繁栄があるのだとしたら、その人を接待するのは当然といえば当然で、合理的だと言えるのかもしれません。
私も中国人の部下がいることもあったのですが、出張先などで食事をしたりすると必ず部下が払おうとします。支払いも上手なもので、先にこっそり会計を済ませていたりします。日本人的には、奢ってもらった嬉しさより申し訳ない気持ちが先立って、何ともすっきりしない気持ちになったりします。
サプライヤーとの飲食などでは、大いに飲み食いさせ、夜の娯楽も奢り、最後にはお土産を持たせたりします。日本では会社によっては完全にコンプライアンス違反になります。お金を払うと言うと相手の好意を受け入れないことになり、失礼に当たります。だからサプライヤーとのお付き合いは最初からお断りせざるを得ないことになります。
同じ意味で割り勘も嫌われます。奢り奢られで関係を続けていくという考えなので、割り勘にするというのはその場で関係を終わらせるという意味にとられます。だからといって次回は奢ろうとすると「いやいやここは私が!」と言われて、結局払わせてもらえなかったりします。
文化・習慣の違いということなのですが、相手の面子も立てないといけないので、大変難しいです。日本人としてはこうして奢られてもちっとも嬉しくなく、むしろ申し訳ない気持ちでいっぱいになるということも理解してもらわなければなりません。
通訳さんは外国人同士のコミュニケーションに重要な役割を果たします。見ていると毎日毎日大変な苦労をされているのが分かります。
まずは下手な日本語を通訳させられることです。私は日本人なので詳しくは日本語しか分からないのですが、日本人が聞いても何が言いたいのか分からない人は沢山います。当然相手側にもそういう人はいる筈です。そういう人の通訳をする時、何と訳したら良いのか分からない様子がありありとうかがえ、気の毒になります。内容もさることながら、方言がきつかったり、ぼそぼそ喋って聞こえなかったりする場合も大変苦労されています。はっきりものを言う通訳さんは、「何が言いたいのか分からない。一度頭の中で整理してから話して下さい!」とか「もっと大きな声ではっきりと話して下さい!」とかズバズバ言って、日本人がタジタジになるようなケースもよくあります
あるいは板挟みになってしまうことです。双方の主義主張が違う時には、間に入っている通訳さんがどちらからも嫌われてしまったりします。「私が怒っている時はあなたも怒った口調で、感情を込めて訳して話して下さい」などと言われると本当に困っています。結果的に双方に対して怒った口調で話すころになるので、どちらからも反感を持たれてしまい、何故だか通訳さん一人が嫌われ者になってしまったりします。
そしてやっぱり一番苦労しているのが飲み会です。一対一ならまだしも、大勢が参加する宴会に通訳さんが一人だと、全員が勝手気ままにいろんな角度から話す訳ですから、とても対応できません。ちょっと会話が途絶えた隙にサッと食べようと思っても、またすぐに誰かが話し出します。そうやってなかなか食べられないのですが、お酒だけは何故か一緒に飲まされます。そうして喋り疲れてクタクタ、空腹のところにキツイ酒を何杯も流し込まれフラフラ、そうやって可哀想な通訳さんの夜は更けていくのです。
そんな通訳さんたちを見ていると、私は仮に中国語が上手くなったとしても、通訳をするのは無理だと痛感します。そんな苦難をものともせず、いつもタフで明るい通訳さんを心から尊敬しています。
中国人が気さく過ぎるのか日本人が警戒し過ぎるのか、中国では街を歩いていると日本ではあり得ない頻度で声をかけられます。特に多いのが宅配便の人や旅行者に道を聞かれるケースです。こちらが話せなくてモゴモゴしていても平気でどんどん聞いてきます。何とか「我是外国人」と言ってみても、それがどうした?という感じでどんどん聞いてきます。考えてみれば外国人であろうが喋りが下手であろうが、聞きたいことを教えてくれれば良いだけなので、そこで止めるというのも確かに変な話ではあります。やはり日本人が警戒し過ぎという部分もあるのでしょう。
中国に来た当初は言葉が分からないのにしつこく聞かれるのが嫌で、なるべく目が合わないようにするとか、近付いてきたらサッサと立ち去るとか、「帅哥!」と話しかけられても気付かないフリをしたりしていました。でも、ある時思いっ切り正面からしっかり目を見て近付いて来られて避けようがなく、仕方がないので聞いてみました。すると意外にも結構分かって、道を教えてあげることができました。これに気を良くした私はそれ以降は避けずにとりあえず聞いてみるようにしました。旅行者の場合は方言がキツくて全然分からないようなこともありますが、うまく教えてあげられるととても気持ちが良いです。
ある時には、公園で中国でお馴染みの婚活ビラを眺めていると、親御さんとおぼしき女性に「どんな女性を探しているの?」と話しかけられました。「日本人だ」と言ってもおかまいなしに聞かれましたが、「既婚だ」と告げるとやっと売り込みをやめて、今度は娘の自慢話や心配話を延々とされました。
知らない人と話すのは現代の日本人にはやや抵抗がありますが、中国人、特に年配の人は、こちらが言葉が下手でも面白がって話してくれる人が多いので、臆せずコミュニケーションを楽しんだら良いと思います。
アメリカ人がプレゼンテーションが上手いのは広く知られていることですが、実は中国人もかなり上手です。日本人が下手なだけかもしれませんが。
中国人は滑舌良く大きな声で堂々とやるので、言葉は分からなくても見ていてカッコいいです。20年くらい前に台湾のある会社の副社長のプレゼンテーションがカッコよくて感動したのを今でも覚えています。最初の挨拶や締めの言葉など、ある程度パターン化されているのを丸覚えして使ってみると暗記効果が高まると思います。
私も少し前にちょっと大きめの会議でプレゼンをやったのですが、いつかやりたいと思っていた「尊敬的领导,亲爱的朋友们,大家下午好!」を大きな声でやってみました。もちろん下手くそなのですが、聴衆は私が日本人だと知っているので問題はなく、笑いもとれて気持ち良かったです。こういうのをやってみると、その時の記憶と共にセリフがしっかりと定着して忘れません。
お気に入りの言い回しを覚えて是非やってみて下さい。
最近はほとんどなくなってきたと思いますが、キャッシュレス移行期には現金払いオンリーのものが併存していて困ったことがありました。お店ではいろいろありましたが、個人的に意外に思ったのがエアポートリムジンバスの支払いで、たまたま現金を持っていた私が持っていない同僚の分を払ったこともあります。もし現金を持っていなかったら、言葉が通じない外国人には難しい局面でした。
博物館なども現金払いオンリーのところがありました。中国人の知人が実際に困ったことを紹介してくれました。
「キャッシュレスが今ほど発達していなかった2年ほど前、ある博物館に行ったら現金払いオンリーだった。でも私は現金を持っていなかった。その上悪いことに携帯の充電が切れてしまっていた。(その場で誰かに送金して現金をもらうこともできない)仕方がないので周囲の人たちにお金を貸してくれないか頼んだのだけど誰も貸してくれない。ある20歳くらいの男性にお願いしたところやっぱり怪訝な目で見られたが、詐欺ではないことを一所懸命に説明してやっとお金を貸してくれ、チケットを購入できた。後日アリペイで彼にお金を送ったのだが何故か受け取ってもらえず、その時から30元を借りたままになっている。」
「現金を持っていない、携帯の充電が切れた」ちょっとできすぎた話のようですが、本人の名誉のために言っておくと、詐欺を働いた訳ではありません。(たぶん)
やはり移行期にはいろんな愉快なトラブルがあるものです。
中国のキャッシュレス社会は高度化し、ほぼ全ての場面で現金を必要としなくなっています。携帯一つでなんでも可能と思われるほどです。中国人の友人は今の中国で最も怖いのは携帯の充電切れだと言っていました。確かにその通りです。
そんな現代の中国で現金払いはどうとらえられるのでしょうか?ある時、使う機会がなくて大量に貯まっていた手持ちのコイン小銭を処理したくて、小さな店での買い物を全部小銭で支払いました。なんとなく申し訳に気がして店員さんに「ごめんね〜」と言ったら「いえいえ、助かります」と。
大半の人がキャッシュレスで支払いますが、外国人やお年寄りなど、現金使用者もそこそこいて、お釣りの現金が慢性的に不足して困っているそうです。どの店も同じ問題を抱えているので、小銭を調達しようと銀行に両替に行ったら多くの人が順番待ちをしていて、かなり待たなければいけない状態だそうです。
過渡期の一時的な課題ではあるでしょうが、当面は現金も使用していけそうです。
中国は以前に比べるとずいぶんマナーが良くなりました。並んでいたらちゃんと順番が回ってきますし、交通ルールなどもだいぶ守られるようになってきました。それでももうちょっとなんとかならないのかな?と感じることがあります。
最近の、とある中規模都市での私の経験から。車が来ていないと、多くの人が歩行者信号が青になる前から渡ります。しかしそこはマナーに定評がある日本人、模範を示そうと信号遵守、ちゃんと青になってから渡ろうとじっと我慢です。やっと青になって晴れ晴れとした気持ちで渡ろうとすると、左から信号を無視して走ってきた電動自転車の大群に遮られて足止め。そうしているうちに歩行者信号は赤になって結局渡れず…
この憤り、虚しさを誰かに分かって頂きたい…
中国で仕事をしていると多くの人と出会いますが、名前が覚えられなくて困ります。こちらは覚えていないのに向こうは自分を知っているというケースです。改めて会った時に向こうは親しげに話しかけてくれるのに、こちらは思い出せなくて非常に気まずい思いをすることになります。
中国に仕事をしに来る日本人は、多くの場合少数、あるいは単独で、多くの中国人と接します。名刺交換をしても相手の数が多過ぎてなかなか覚えられません。懇親会などで次々に乾杯の挨拶に来てくれると、向こうは新密度を増して覚えてくれますが、こちらは相手が多いのでやっぱり覚えられません。しかも次第に酔っ払ってきて記憶が怪しくなるのでさっぱりダメです。二日酔いで目覚めた翌日に、ポケットにたくさん名刺が入っているけど、誰が誰だかサッパリ覚えていません。しかも中国人は同じ姓の人がたくさんいて、それも覚え難い要因になっています。
困り果てた私は、考え抜いた末に素晴らしい解決策を見付けました。それは、中国人に多い姓の李/張/王を日本語読みにして混ぜて早口で、且つ「さん」を付けて堂々と呼びかけることです。「(リ)チョワンさん!」みたいなイメージです。そもそも日本人の下手な中国語の発音は通じないので、自分の名前の日本語読みっぽい呼びかけを「さん」付きで聞いたら、何となく名前を呼ばれた気になります。李/張/王を混ぜているので類似発音のものを含めて多くの姓をカバーしているはずです。そして何より、何やら堂々と呼びかけられるので、知人だと認識して挨拶しているという好意は伝わります。そして、その後会話をしながら「この人誰だっけ?」とじっくり考えるのです。私はこの秘策で多くの窮地を脱してきました。
今となっては中国語レベルが多少なりとも上がりましたし、冷静に考えると相手に失礼ですしちょっと恥ずかしいのでもうやりませんが、中国語初心者で中国赴任の初期に人間関係を構築する暫定策としては秀逸だと思っています。笑
日本語人にとって中国語の発音はとても難しく、悩みが尽きません。
なぜ難しいかというと日本語よりも発音の数が圧倒的に多いからです。中国語の発音にも日本語の50音図に似た母音(あいうえお)と子音(かさたなは・・・)の関係があります。しかしその数は膨大で、母音は36個、子音は21個あるため、単純計算でも400以上の組み合わせがあります。 また、日本語にない四声の発音が難しい。日本語でも飴(あめ)と雨(あめ)や橋(はし)と箸(はし)など、音とアクセントの違いによって意味が異なるものがありますが、中国語では四声(4つの音の変化)があり、声調の変化によって意味も変わります。つまり中国語の発音は約400音、さらに四声が加わると、なんと約1300音の発音があることになります。しかもそのうちローマ字読みできるものは7割ほどで、できないものが3割もあるそうです。これだけの差があるのですから、なかなか上達しなくても過度に凹む必要はないかもしれません。
しかし通じないとやっぱりガッカリします。基本的には自分で発音できないものは聞き取れないので、リスニング能力もなかなか伸びません。いくら集中して聞いても分からない言葉が、書いてもらうと「なんだ、それか」となる時にもやっぱりガッカリします。
しかし、私が一番凹むのは、一所懸命に中国語で話しかけているのに、「Sorry,I cannot speak Japanese.」と返されることです。悔しくて「I am speaking Chinese.」と言うと「えっ⁉︎」という申し訳ない顔をされて、また凹みます。中国語を話していると認識されるまでの高い壁、何としてもこれを越えないといけません。
私の場合、実力で越えるのは難しいので策を弄します。会話を始める時に発する最初の言葉を、絶対的に自信がある言葉、例えば「你好」を大きな声でゆっくりと発し、「中国語を話しているんですよ」をアピールをするのです。相手が「你好」と返してくれたら認識OK、返してくれなかったらもう一言得意な言葉を投げかけて相手の反応をみます。それでも中国語を話していると認識されないようであれば、自分の心が折れてモチベーションが下がるのを防ぐため、諦めて英語で話します。
因みに、英語で会話していると面白いこともあります。中国人も英語が上手ではない人もいるので、聞いていると「Can you speak Chinese 吗?」と中国が混ざってしまう人もいます。いわゆるChinglishです。こちらが中国語で凹んでいる時に相手のこういう愉快な間違いを聞くと微笑ましい気持ちになります。
中国人の教え子が東京のFラン大学に留学しました。正直言って高いお金を払ってわざわざ日本まで行って入学するほどの大学ではありません。単に日本で生活して日本語力を高めることだけが目的かと思っていました。しかし聞いてみるとそれだけではなく、目的は日本の大学で日本語力を磨きながら日本文化を理解し、卒業後は有名旅館で職を得て日々の仕事を通して一流の接客サービスを習得すること、ということでした。
中国では富裕層が日本の行き届いたサービスを求めてわざわざ渡航します。彼女の考えは、そのサービスを中国国内でできればビッグビジネスになるはず、というものでした。日本のアニメやドラマをみてはしゃいでいるだけの子供だと思っていましたが、しっかり考えていて感心しました。
ある知人によると、「中国はとにかく人が多い。優秀な人もいくらでもいる。いい会社に職を得たとしても自分の代わりなどいくらでもいるので、いつ失職するか分からない。そんな状況に諦めている人がいる一方、自分独自の付加価値を身に付けてより高度な職を求めたり、自分で事業を始める人も多い」ということでした。
街を見ていても小さな事務所や店が突然できて、気が付けばなくなっているというようなことが頻繁にあります。もちろん成長していくものもあります。中国人の「とにかくやってみる」というチャレンジ精神の表れだと思います。
日本では理系の優秀な学生は高収入と安定を求めて医師を目指します。少子高齢化の進展に伴ってその傾向はますます顕著になってきています。一方中国では理系の優秀な学生はIT技術者を目指します。清華大学など国内トップクラスの学生はもちろん、アメリカなど海外留学組の多くがAIなどの先進技術の研究に従事しています。医師にはワンランク下の学生がなるそうです。
産業の発展という観点でいうと、理系の優秀な学生が医師になる日本と、IT技術者になる中国(しかも圧倒的に数が多い)では比べ物にならず、近い将来にはその差が顕著になり、どんどん差が開いていくことでしょう。日本人としては寂しいことですが、だからこそ隣同士の国として相互協力を活性化すべきだと思います。
因みに、私の中国語の先生によると、最近中国の女性の間では結婚相手として「程序猿(員)」IT企業のプログラマーが大人気なのだとか。理由を聞いてみると「給料が良い上に、残業休出時間が長いから相手をしなくていいし浮気をするリスクも少ないから」だそうです。なんとも現実的なお考えです。
大物ぶりたいのかいい格好をしたいのか、はたまた理解できていないのか、以前は課題に対していとも簡単に「没问题(問題ない)」と即答する人がやたらと多かったです。本当に大丈夫なのか疑問に思い、その根拠を聞こうとするのですが、ただただ「没问题」を繰り返したり、「私の信頼する○○さんがやるから大丈夫」とか、「日本人は細かいことまで気にし過ぎですよ」とか言われて、全く確信が持てません。仕方がないので任せて、しばらく経って状況を確認したら、「没办法(どうしようもない)」という返答が。そして周囲がそのリカバリーに必死になる。これは以前の中国ビジネスでよくある構図でした。もちろん「没问题」を繰り返した人はそしらぬ顔、お咎めもなしです。
根拠のない「没问题」でも一旦は相手の面子を立てて了承すべきケースが多いので、その「没问题」が「没办法」に変わるタイミングを見極め、それより先に手を打つことが、以前の中国ビジネスに欠かせない能力でした。
さすがに今では根拠のない「没问题」を連発する人は減ってきました。タイミング見極めの能力も不要になってきたのが少々残念です。
中国にも良いものが比較的安く出回るようになって、爆買いと言われたひと頃の勢いはなくなりましたが、化粧品等でまだまだ日本での買い物は人気があります。我先に買い占める中国人たちに眉をひそめた人も多いと思いますが、中国人同士でもいろいろあるようです。
教え子の中国人が東京の大学に留学して、デパートの化粧品売り場でバイトをしているのですが、一番嫌な客は中国人の代購のおばさんだと言っていました。店の方針で個数制限等のルールが定められているのですが、完全に無視して何度もやって来て何個も買おうとする。見かねて注意すると「いいじゃない、お店が儲かるのだから」から始まり、何度も諭していると「あんた同じ中国人なのになぜ協力しないのよ!」と逆ギレ。中国人だからとか日本人だからとかではなく、ダメな人はダメ、個人の資質の問題です。
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