初心者から中級者レベルの方で日本にいて勉強するなら、これに勝るものはないと思います。私は基本的に中国でしか勉強できていないのでテレビ学習を実践しているとはいえないのですが、録画をして帰国した際にまとめて見たりしています。基本的な会話から始まってある程度の意思の疎通ができるレベルまでがカバーしている範囲のようですが、内容は非常に充実していて、ネイティブと日本人が出てきて用語や文章の意味、発音、応用練習などをきめ細かに説明します。日本人が間違えやすい表現や発音なども丁寧に解説してくれます。これをキッチリとやり切ればかなり実力がつくものと思われます。
ただ、難しいのはやっぱり継続することだと思います。1週間ごとなので意外と間延び感があってやる気の維持が難しいですし、飲み会などの予定が入って見られないこともあります。また、一人でやるので強制力が働かず、学習意欲が下がってくるとなんとなくやめてしまったりします。そこで提案したいのが撮り溜めしておいて適度に数回分をまとめて見るやり方です。1回30分なので4回分をまとめて2時間で見るくらいが丁度いいのではないかと思います。休日の午前中など自分の時間が取りやすい時間帯を決めて週末のイベントにしてしまうのです。そうすると外乱が入り難く、ある程度習慣付けて実施できるので続け易いと思います。私の場合は意図せずそういう状態になっている訳ですが、まとめて集中学習する方が効果的だと認識しています。
出演者にイケメンや美女が多いのも魅力の一つです。出演者のファンになってモチベーションを向上しましょう!
話しているうちにだんだん論旨がすり替わってきて、諭しているつもりが知らぬ間に責められているようなことが度々ありました。相手に問題があるという話をしていたのに何やら枝葉の話に引っ張っていかれて知らぬ間に「あれ?こっち悪かったんだっけ?」みたいに流れていき、ぐるぐる回って訳が分からなくなる、「アンタが悪いのか私が悪いのか、ハッキリしてくれ!」状態に陥ってしまいます。これを私たちは「無間地獄」といって恐れていました。
例えば「失敗したのはあなたのせい」というすり替え。「①私たちではできないので支援して下さい→ ②(教えると)そんな難しいことは私たちにはできません→ ③失敗したのは支援できなかったあなたのせいです→ ④次回から責任を持って支援をして下さい→ ⑤①に戻る」
例えば「成功したのは私のおかげ」というすり替え。「①私たちではできないので支援して下さい→ ②私たちに分かるようにやってみせて下さい→ ③私たちの奮闘努力で成功しました→ ④元々支援は不要でした→ ⑤①に戻る」
こういう議論をしているうちにだんだん訳が分からなくなり、更に通訳さんも相手の会社の人なので「いい加減にあなたが悪いと素直に認めて下さい!」とか言い出して、流されてしまう人は「ごめんなさい」なんて謝ったりしていました。
しかしこれも続けていると慣れてきて適当にあしらうことができるようになってからは楽しめるようになりました。ポイントは「善かれと思って」をやらないことです。「できないので支援して下さい」と言われると「それは大変だね。あなたの仕事だから頑張ってね」と放置する→ 必死でやり始めます。やり方を教えて「そんな難しいことはできない」と言われると「そうか、じゃあ成功は難しいね。残念だね」と放置する→ なんとかできるようになろうと頑張ります。いよいよ失敗しそうになると涙目で本気でお願いしてくるので、その時に具体的に依頼してきたものだけを小出しに支援する。そうすると相手はなにやら大変感謝して「成功できたのはあなたのおかげです!」なんて両手で握手して乾杯を求めてきたりします。そして「次回もまた支援して下さい。谢谢合作!」とか言われると、「いえいえ、もうあなたたちに教えられることは何もないです。自分たちで頑張ってね」とちょっと褒めながらも放置する→ ますます支援を求めるようになる。だいたいこの方法でコントロールできるようになりました。
人はいくらでもいる中国、替えはいくらでもいます。失敗したら簡単にクビになってしまいますので相手も必死だったのだと思います。友人と「無間地獄を楽しめるようになったら中国ビジネスのプロだな」なんて話したりしていましたが、あっという間に中国人のビジネスモラルが格段に上がり、知らぬ間にそんな能力は不要になっていました。良いことなのですがスキルを身に付けた私としてはちょっと残念です。
みんな考えてみるけど実際にはやらないことの一つに、中国語と英語を同時に学ぶというのがあると思います。実際中英日を併記した単語帳などもあるのでそういうニーズはあるのでしょう。
私は経験ないのですが知人で実際にやってみた人がいました。仕事で中国に出向している時に中国の英語学校へ行って勉強したのです。先生が英語を説明する際に同じ意味の中国語の単語や文章を使うので、両方丸覚えしたら効率的だと考えたそうです。結論からいうとあまりうまくいかなかったようです。
まず英語も中国語も分からないのだから中国語を英語で説明されても分からない。当たり前ですが彼はなんとかなると思っていたようです。そしてこれも当たり前ですが覚える量が二倍になるのでかなり大変で、次第にやる気が失せてしまいます。そして同時に覚えられるのは共通性の高い名詞を中心とした単語とごく単純な文章だけで、ある程度意味を持つ文章になると文の構成や文法が異なるので難しいです。そして何より、日本人には中国語と英語を切り替えながら使って覚えていくというのは想像以上に難しいです。頭が中国語モードになっている時に英語で話しかけられたらうまく言葉が出てこないという経験をした人は多いと思います。よほど頭のキレがいい人でないと難しいと思います。
知人はしばらくはなんとか続けていたようですが、結局数ヶ月で止めました。
やってみようかと考えている方、あなたが「たぶんこういうことになるだろうな」と想像する通りになることはほぼ間違いないので、別の方法を採ることをお勧めします。
マルチリンガル教育への招待―言語資源としての外国人・日本人年少者
これは工夫というか必ずやるべきことです。学習が進んでくるとネイティブと楽しく会話ができるようになりますが、もちろん全て正しく話せている訳はなく、伝えることを最優先に適当に言葉を繋いで話している場合があります。聞き手の方も相手の言いたいことが分かればとりあえずそれでいいので会話はそのまま流れていきます。この状態では話し手の方は意思疎通ができたことに満足しますが、自分の中国語の間違いに気付くことはありません。他の国の人との会話でもあり得ることですが、特に中国人は相手の面子を大切にしますので、相手の間違いを殊更に指摘することはほとんどありません。だからあえて間違いを指摘してもらうことが必要なのです。
お願いするのは親しい人数人でいいと思います。多いと話すたびにいちいち間違いを指摘されて、自分の能力のなさにがっかりして凹んでしまったりします。私は一時期それで軽い対人恐怖症になり言葉が全く出てこなくなってしまったことがあります。
そして指摘してもらったら、なぜ間違いなのかを教えてもらい、それを記録しておくことが大切です。きちんと納得して印象付けることで一度で覚えてしまいます。これをやらないと同じ間違いを何度も繰り返します。もちろん繰り返して覚えても良いのですが、指摘する側にとっては簡単なことなので、一度言って覚えていなければ相手が自分の指摘を軽視していると感じて、その後指摘するのをやめてしまう可能性があります。一度で覚えるというのは教えてくれる人への礼儀です。しっかり覚えましょう。
間違い事例集は個人の学習の宝、ノウハウの塊です。どんどん話して指摘してもらい、知識を蓄積していきましょう。
これは昔の東北地方特有のものかもしれませんし、あるいは今でもどこでも同じなのかもしれませんが、印象深かったのでご紹介したいと思います。
以前台湾で結婚披露宴に参加させて頂いたことがあり、ものすごい大きな会場で親族や友人、友人の友人がたくさん集まって延々と飲み食いしながら楽しんでいました。中国東北地方で協力会社の副社長の娘さんの結婚披露宴に招いて頂いた時には、台湾での経験を思い出し、昼からでしたが夜にも延々と飲むのだろうなと思いました。服装は中国だからある程度カジュアルなものでいいのだろうなと思いながらも、やっぱり失礼があってはいけないということで日本人の同僚と相談して礼服っぽい格好で行くことにしました。
大きなホテルの会場に着くと中国人の招待客たちは予想通りくだけた服装、我々日本人グループだけ正装で浮いていましたが、これは想定の範囲内なのでOKということで会場入りしました。大きな会場で招待客は二百名ほどはいたのではないかと思います。やがてものすごい大音響と大きなスクリーンに映る二人のにこやかな映像を背景に、新郎新婦の入場です。二人の席には大量の花、招待客の席には美味しそうな食事と大量の酒、豪華な式の始まりです。市政府のお偉いさんとか会社のお偉いさんとかのスピーチが終わった後、会場全体で祝い声高らかに乾杯です。すごい熱気でした。日本であれば恩師や上司のスピーチ、友人による出し物や新郎新婦のお色直しと続いていくところですが、この宴では新郎新婦とご両親が各テーブルに挨拶にまわり始めました。彼らが行く先々でお祝いの言葉と共に乾杯です。この調子で全席回ってその後イベントが続くのだろうから、ものすごく長くなるだろうなと思われました。
ところが、テーブルでの乾杯が終わるとお客はそそくさと会場を出ていきます。アレ?と思い観察しているとどのテーブルも乾杯が終わったら退出してどうやらそのまま帰宅しているようです。やがて主賓たちが私たち日本人グループの席に来て乾杯。しかしその後どうすべきなのか分からず、他のお客に聞いたところ「主賓に挨拶さえしたら帰っても残ってもどちらでもいい」とのことでした。周囲は次々と帰って行きましたがやはり我々は最後までいた方が良いだろうと考え残っていました。一時間もしたら客は全員いなくなり、知らぬ間に主賓たちもいなくなり、残っているのは大量の食事とお酒、そして酔っ払っていい気持ちになった我々正装の日本人だけでした。片付けを始めたホテルの係員にちょっと迷惑そうに「ワイン持って帰っていいですよ」と言われ各自一本ずつワインを抱えてようやく退出したのを覚えています。日本人にとっては不思議な経験でした。
その後、同僚の結婚披露宴に招かれた際には、前回の経験を生かしカジュアルな服装で参加して、主賓にお祝いの言葉伝えて乾杯してから、スッと帰りました。
随分減ってきましたが以前は観光地や日本料理屋に行くと必ず愉快な日本語に遭遇していたものでした。文字でいえばひらがなカタカナの形がおかしいもの、ひらがなとカタカナが混じっているもの、音でいえば間違って聞き取った音をそのまま文字にして恥ずかしい内容になってしまっているもの、意味でいえば中国語を直訳して滑稽な内容になっているもの、これらを幾つ見つけるか友人と競争したりしていたものです。しかしそんな中にもおかしいながらも秀逸なものもありました。一番感心したのが西塘で見つけた案内地図の表記で、所在地を示す赤い矢印の上に英語では「You are here」、これは普通ですが、日本語では「私の居場所が分からない」と書いてありました。最初は「なんだこりゃ?」と笑ってしまいましたが、よくよく考えてみると確かに“居場所が分からない私がいる位置”を示しているわけで、間違いどころか極めて正確に状況と位置を表しているのだ!と気付き、感心してしまいました。考え過ぎでしょうか?
近年では日本語の有識者が増えてきましたし、観光地については政府主導で大学などに依頼して修正が進んでいます。今ではすっかり少なくなった愉快な日本語、見付けたら大喜びで写真を撮って友人と共有したりしています。しかし何故中国にはこんなに愉快な日本語が多いのかと考えると、間違っていても気にせず使う人が多いということもありますが、なんとか日本語を使って日本人と交流しようとしてくれている人が多いということもあると思います。そう考え付いた時から私には愉快な日本語が中国人のありのままの温かい心を伝えてくるように思えてきました。
中国人は日本人に比べて人と人との距離が近いです。私の経験では中国人は近過ぎて日本人は遠過ぎるので、日本人にとって中国人の距離の取り方は非常に近く、異性が平気で接近してきてビックリすることがあります。体臭や口臭なども気にする様子がなく間近で話をしますし、異性間でも同性間(女性)でも老若男女問わず仲睦まじく手を繋いで歩いています。カップルの公衆の場でのいちゃつき方も全く遠慮がないものです。これらは以前も今も変わらず、日本人と比較した場合の中国人の特徴だと思います。
以前は日本人には更にビックリするようなことが多々ありました。例えば一時期都会で流行ったスケスケファッション。黄色やピンクのレースで作られた妖精のような服装でしたが下着が透けて丸見えでした。日本でも見せ下着みたいなのが流行ったことがありましたがその比ではなく、全身透けて丸見えでした。その姿で会社にも来るので日本人を中心に「さすがにどうか?」という声が上がり、やんわりと禁止することになりました。
有名なニーハオトイレ。私が訪問し始めた頃はさすがに男女は分かれていましたが、溝の上に低い仕切りがあるだけのものがたくさんありました。前のおじさんの頑張る姿を見ながら・・日本人の私には無理でした。公衆トイレは有料で管理者がいました。当時システムも言葉も分からなかった私はお金を払わず、監視のおばちゃんが何やら叫んでいるのを無視して立ち去ったこともありました。ドアを閉めない、あるいは閉めても鍵をせずに用を足している人も多く、開けて入ったらおじさんがいてビックリしたことも度々あります。しかも洋式の便座は汚れ放題なので便座を取り外した上にしゃがんでいたりします。女性社員の報告によれば女子トイレも状況は同じでおばさんがドア、鍵を閉めずに便器の上にしゃがんでいたそうです。高速道路のサービスエリアにトイレ休憩に寄るとトイレがない、見廻すとそう遠くない草むらにたくさんの人がしゃがんでいました。日本の女性が一番驚き、そして中国を敬遠する理由がこのようなトイレ事情でした。出張帰路に韓国の仁川空港でトイレに行くと文明圏に戻ってきた感じでホッとしていたものでした。
近年の生活やマナーの向上により随分改善されてきました。唾を吐く人も減りましたし公衆トイレも政府主導ですっかりきれいになりました。クチャクチャ音を立てながら食べる人も減ってきました。私にとってはあとはガニ股で歩く女性が気になるくらいです。
街を歩いていると気を付けなければならないことがたくさんありました。人混みでガチガチ人にぶつかったり、食べ歩きしている人の串が服に触れてタレが付いてしまったり、車のタイヤで足を踏まれたり。どれも日本では大変なことですが住んでいると大抵のことには慣れて対処できるようになります。しかし中でも対処が難しかったのは「狙撃」と「ニオイ攻撃」でした。
まずは狙撃。空気の悪い中国、気持ちは分かるのですが、多くの人がそこら中で「ぺっ」と唾を吐きます。おじいさんから若い女性まで遠慮なくやります。気を付けていないと命中させられてしまいます。最初の頃は「ぺっ」とやられたらサッと避けていたのですが、次第に予兆があることに気が付きました。「ぺっ」の前の「かあ〜」です。どこからか「かあ~」と聞こえてきたら素早く周囲を見回し、狙撃手を見付けて避難です。コロンビアで仕事をしていた時は銃声らしき音がするとサッと伏せる訓練ができていた私ですが、中国では「かあ〜」でサッと避難できるようになりました。しかし問題は予兆がない狙撃、片鼻を押えて「ふんっ!」とやります。これには対策の取りようがなく至近距離でやられたらほぼアウトでした。不幸にも命中させられて「あああ〜!」と言うと狙撃手は「没问题」と。どういう意味の没问题だったのか今でも分かりませんが、せめて「吗?」を付けて欲しかったです。
他に困ったのがニオイ攻撃。いい天気の日に完全に気を許してのんびり歩いていると、突然生ゴミが腐ったような臭いに襲われて仰け反ってしまいます。「くさ〜い」とかそんなレベルではなく、強烈な刺激臭に目がチカチカするほどでした。これも予知するのは不可能で、ある区画に入ったら突然鼻がひん曲がる刺激臭に襲われます。いい気分を一瞬で台無しにしてくれます。「くさいかもしれない」歩行をするしか予防策はなく、気を許せません。
他にも、突然上から水が落ちてきたり。アパートの上の部屋で脱水をしていない洗濯物を通りの真上に干したり、エアコンの室外機が通りの上にあって水がボタボタ落ちてきたり。これも命中させられるといい気分を一瞬で台無しにしてくれていました。
近年かなり改善が進んだような気がしますが、以前の状態に慣れている私は今でも警戒心いっぱいで街を歩いています。
以前は床がゴミだらけの店が美味しい店だとされていました。人気がある店はお客がたくさん入ってたくさん食べてゴミを床に捨てるからということです。海鮮であれば剥いたエビやカニの殻、貝殻、魚の骨などを床にポイポイ捨てる、殺菌のためだとかじる生ニンニクのカスもペッペと床に吐き捨てる、ついでにタバコの吸い殻もポイポイ捨てるといった具合です。酔っ払ってビールの瓶をひっくり返す人もたくさんいて、床はゴミと液体でヌルヌル、すごい臭いになっていたものでした。酔っ払いがトイレに行こうとするとズルッと滑って転んで殻で手を切ったりしていました。
煙台など海沿いの都市は海鮮料理屋が多い(というかどこに行っても海鮮ばかり)で各店がそういう状態だったので、街中が海鮮とニンニクの臭いでいっぱいだったように思います。
もちろん肉料理でも同じ、羊肉の塊を食べれば骨を床にポイポイ、串焼きを食べれば串を床にポイポイしていました。日本の習慣で育った日本人は最初は眉をひそめますが、次第にゴミを捨てる手間がないことに心地良さを覚えて、遠慮なくポイポイし始めます。
近年公衆衛生の意識が高まってきたことで、都市部ではそういう店はほとんど見なくなりました。良いことなのでしょうが、以前のあの雑然とした活気ある風景が見られなくなってきたのは少々寂しいです。
因みに、海鮮料理の殺菌用の生ニンニクですが、私にはあまり効果がなく、十中八九お腹を壊していました。無菌状態で育ってきた日本人の抵抗力の弱さですね。
日中で喧嘩ばかりしていると次第に追い詰められていくのは通訳さんです。良い人であればあるほど苦労します。彼らは日方中方両方の言い分を聞いてコミュニケーションを成立させようと頑張ってくれるのですが、ダメなものはダメ。結局喧嘩になってしまい心を痛めることになってしまいます。ある日親しい通訳さんが来て「私はもうあなたの仕事の通訳をしたくないです。日中両方からお前が悪いみたいに言われて辛いです。」ということでした。反省した私は「なるべく仲良くします。間を取り持つようなことはしなくていいから互いに言ったことだけを淡々と訳して下さい。」とお願いしました。それ以降その通訳さんは言ったことだけを淡々と訳すようになったのですが、罵り言葉までそのまま訳すので互いに感情的になって更に激しく喧嘩するようになってしまいました。ただ、通訳さんは心の平穏を取り戻したようでした。
中国人のリーダークラスと会議をしている際に、都合が悪くなってくると電話がかかってきて「ウェイ?」と返事をしながら会議室から出て行き、そのまま帰ってきません。これは頻繁にありました。もちろんいつまで待っても戻ってきません。リーダーがいなくなったら残ったメンバーでは話はできず、そのうちに一人二人と何も言わずに退出していき、残っているのは生真面目な日本人だけ、という場面がよくありました。
あまりにタイミングが良いことが多かったので、ひょっとしたらその場から逃れるために誰かに電話をかけさせていたのか、あるいはかかってきたふりをしていたのかもしれません。
他にも「上司に呼ばれた」とか「政府の要人が急にやってきた」とか様々な理由で、「後はこの人(部下)と話してくれ」と言い残して出て行きます。そしてたいていの場合は指名された部下は「権限がないから決められない。話の内容を上司に伝えておく」と言って、こちらに喋らせるだけ喋らせておいて、後日確認すると案の定何も伝わっていない、そんなことの繰り返しでした。
真相は今でも分かりませんが手玉に取られている感がアリアリでした。そしてうすうす策略だと分かっていても他になすすべもないという、なんとももどかしい状態でした。
まずはお昼寝です。もちろん日本の会社員でも勤務中にうつらうつらします。ここで言いたいのは当時の私が一緒に仕事をしていた会社の中国人たちは「遠慮なく」寝ていたということです。机に思いっ切り突っ伏してグーグー寝ていました。よく見ると耳栓やアイパットをしている人もいました。やることがないのだから寝ようが何しようが勝手でしょ?という感覚でしょうか、空き時間に自分の仕事を整理したり改善案を考えたり、そういうことは全く考えないようでした。
次に怠慢、監視の目がないと仕事をしない。製造会社の検査ラインを確認した時のこと、目視検査のステーションに行ってみると人がいない。仕方がないので腕組みをして立っていると申し訳なさそうな顔をした検査員が一人二人とやってくる。30分くらい立っていると八名ほどのフルメンバーが揃って製品をチェックするようになる。で、ステーションを離れて一時間くらいして戻ってみるとまた人がいない。腕組みして立っていると一人二人とやってくる・・この繰り返しでした。
また、検査員たちの理解度を確認しようとヒアリングを行った時のこと、私:「あなたの仕事は何ですか?」検査員:「ここに書いてあります(作業手順書を見せる)」私:「やってみて下さい」検査員:「・・・(できない)」私:「できないということは仕事をやっていないということですね?」検査員:「いえやっています。ここに書いてあります(作業手順書を見せる)」私:「???」全く理解できない受け答えでした。後から聞くと工場作業者は地方の農村からきた人がほとんどで、そのうち半分は字が読めない人でした。現場の責任者は作業手順書を渡して「この通りにやれ」という指示だけをして生産・検査ラインで働かせていました。字が読めないなんて知ったことではない。手順書を読めと指示したことで責任者の仕事は終わりです。
そんな状態ではいい製品ができる筈がありません。管理者に改善を促そうと事務所に行くとマネージャーは夜の宴会に備えて既に帰宅していました。無間地獄とはこのことかと痛感しました。
仕事では日本人は協働当初は先生として尊重されていましたが、やがて中国人も実力を付けてきて、考え方の違いから対立するようになりました。当時私が相手にしていたのは何事にも率直で感情の起伏が激しい東北人です。毎日机を叩いて怒鳴り合うことになるので、出勤前にはテンションを上げて喧嘩モードで会社入りしていたものです。
日本人に喧嘩をふっかけて恫喝して要求を通すようなことが度々ありました。机をぶっ叩いて怒鳴って出て行くことは日常茶飯事。それにしてもよくやるなあと不思議に思っていたのですが、ある日日本人の同僚が見つけた彼らの業務マニュアル、そこにはその戦略が明文化されていました。「日本人が言うことを聞かなかったら怒鳴って机叩いて出て行け。そうすれば彼らは本社と相談して譲歩してくる。」という内容でした。まさにその通りです。敵(?)ながら日本人をよく観察してうまい戦略を立てたものだと妙に感心したものです。相手の恫喝が戦略だと分かってからは私も遠慮なく怒鳴り返すようにしました。
そんなことをする一方、人情味が厚く誠実なのが当時の東北人、その夜の宴会に「あの時は興奮してすみませんでした。」などと謝ってくる人もいました。もちろん許して気持ちよく乾杯です。そして翌日はもちろんまた怒鳴り合いです。
昼間の仕事は喧嘩ばかりで全く進まないのに夜は一起加油!谢谢合作!で毎晩宴会。当時は普通の日本人だった(?)私はストレス一杯でしたが、次第に馴染んでいきました。慣れとは恐いものです。時々帰国する目的は休暇や出張ではなく、日本人としての常識を取り戻すことでした。
まだまだ改善されたといえるレベルではないですが深刻な大気汚染に対して様々な取り組みが進んでいます。北京オリンピックの後くらいから問題が指摘され始めてPM2.5の状況が広く知らされるようになりましたが、特に酷かった2013年頃には500とか600という信じられない数値に達したこともあります。これは日本の健康基準を15倍以上も上回るひどい値です。こうなると昼間でも近くのビルが霞んで見えませんし視界が悪く危ないので高速道路は閉鎖になります。児童は外出禁止、学校は休校になります。ホテルに宿泊していても部屋の中にまでモヤモヤが侵入して白くなるような逃げ場のない状態でした。そんな中でも平気な(というかよく分かっていない)中国人が大半で、マスクもせずに平然と外を歩いたりしていました。3M社などからPM2.5対策用のマスクが販売されましたが、そういうのを着用しているのは外国人だけでした。中国人の友人にマスクをした方がいいのでは?と勧めると「中国人は愛国心が強いから自分の肺で中国の空気を浄化してるのです」と答えられたのが印象に残っています。その後徐々に健康意識が高まって、大気汚染が随分改善されてきた近年になってようやくマスクを着用する人が増えてきました。個人的には手遅れだったのでは?と思っています。多くの人が汚染がひどい時期を無策で過ごしたので後に健康被害が続出しないか心配しています。
そういう時期を経験した者にとっては中国で最近ちょくちょく見られる青空には感動します。思わず外出して散歩したくなります。しかしそれでも日本に帰国した際に外を見るとやっぱり日本の方が格段にキレイで、視界が良く遠くまで見渡せるので急に目が良くなったような気がします。
政府主導で改善が進められて環境意識も高まってきましたので、今後さらに改善が進むと思います。
現在は贅沢や浪費を抑えることを政府が指導してきたこともあって、派手な宴会や食事会などはずいぶん減ってきました。しかし元々は接待する際にはお客が食べ切れないほどの量を振る舞うのが礼儀とされてきた中国です。以前の宴会や食事会ではものすごい量の食事と酒が振舞われていました。大皿に山盛りになった山海の珍味がどんどん出てきます。そして白酒とケースで準備された何十本ものビール、壮観でした。一方でもったいない精神で育ってきた日本人、食事は残さず食べなさいと両親から教育されています。お客が食べきれない量を出そうとする中国人、全て食べようとする日本人、この両者が出会うと互いの善意による壮絶な戦いが繰り広げられます。
大量の飲食物を供してご満悦の中国人、一方それを見て喜びながらも内心冷や汗をかく日本人、頑張ってなんとか完食します。すると焦る中国人、これでもか!とばかりに出し続ける中国人、ホストとしてのメンツの問題なので必死です。それを見てげんなりしながらもまた必死で食べる日本人。最後は胃袋の限界にきた日本人が健闘虚しく敗退です。中国人はご満悦。
私は中国人の友人に「日本人ってよく食べますよね」と言われたことがあるのですが、普通の状態なら明らかに中国人の方がよく食べます。きっとこういった壮絶なバトルを経験したのだろうなと可笑しくなりました。日本人の友人からは「あんなにたくさん出されたら食べ切れないよね」と言われるので「残して良いのですよ。残した方が先方は満足するのですよ」と教えるようにしていました。
かつてはこれができる人が中国通だと言われていた、と聞くと意味が分からない人もいることでしょう。以前は信号も横断歩道もない大通りを中国人たちは臆することなくスタスタと渡っていました。日本人的感覚では止まって待つ、車が迫ってきて危ない状況でもスキがあれば平気で渡ります。車線が複数ある大きな道路では道の真ん中で車が通り過ぎるのをやり過ごしたりします。車の方も心得たもので人がいると適当に減速したり逆に赤信号でも誰もいなかったら平気で進みます。最初の頃は「こんなことをしていてよく今まで事故に遭わず生きてこれたなあ」と感心していました。(でもおばちゃんが車にはねられてひっくり返って喚いている場面に遭遇したりもしていました)
日本人は最初はおっかなびっくり中国人を盾にして渡りますが、慣れてくると自分でもチャレンジし始めます。コツはただ一つ「臆せず躊躇なく淡々と」渡ることです。車が迫って来て止まったり急に走ったりすると車の方も通常と違う動きに戸惑って返って危ない状態になったりします。一定のペースで淡々と渡ります。車が迫って来たら走り出したりせず目力で運転手を制します。これが出来るのが中国通と言われ尊敬を集めていた、ということです。
私はこれが中国人並みにできる技能を身に付けていたのですが、困るのが日本に戻った時です。中国にいる感覚で何の気なしに道を横切って危険な目に遭ったり、小学生たちに「あれっ?」という目で見られたりしました。教育に良くなかったと反省しています。
また、地域差もありました。大連に街中に行った時のこと、私としては普通の感覚で道をブラブラ横切っていると地元の中国人たちに「あれっ?」という目で見られました。「どこの田舎者だろう」と思われたことでしょう。
そして近年では信号や横断歩道が整備され、交通ルールの遵守が呼び掛けられるようになり、都会では以前のように横断する人はほとんどいなくなりました。私が身を危険に晒して苦労して習得した技能は知らぬ間に不要になってしまいました。社会としてはもちろん良いことなのですが、個人的にはとても残念な思いです。今でもたまにこの技能を披露して自慢したい衝動に駆られたりします。
以前の中国を知る人は現在の中国人が列に並んでる姿を見るとビックリすると思います。若い人を中心に整然と並びます。これは以前では考えられないことでした。
私の初めての中国経験は出張で海南島だったのですが帰国時の空港での出来事は今でも忘れられません。空港のチェックインカウンターに行ったのですがまず並んでいるのかどうか分からない密集状態でした。よく見ているうちに列らしきものを見付けたのでそこに並んでいました。すると次から次へ人が割り込んできます。当時は中国語が全く分からず、何やら前の人に話しかけながら入っていくので知り合いかな?と思ってされるがままにしていました。でもどんどん入ってくる。これは単なる割り込みだ!と気付いた時には既に搭乗時間の直前になっていて、慌てて人混みにダイブして怒鳴りながらチェックインしました。
バス乗り場でも同じ、全員が密集してダンゴ状態になっていて、バスが来たら全員が入り口に殺到します。満員になっても押し入ろうとするので、運転手が側に人がいるのにドアを閉めて走り出そうとします。電車でも同じ、並びもせず中の人が出る前に押し入ろうとするので降りられない人乗れない人の怒号が飛び交います。車の運転も同じ、前に隙ができると我先に頭を突っ込むので全員が身動きが取れなくなり大渋滞。買い物でも同じ、我先に殺到して何やら叫びながら商品を取って買っていくので言葉ができない外国人には太刀打ちできません。イライラして「並べこのバカ!」と日本語で怒鳴り付けたりしていました。もちろん誰も気にする人などいません。
こういう場面に遭遇するたびに笑いや怒りを通り越して「この人たちはいったい何を考えているのだろう?」と思っていました。「運転手がルールを守って整然と運転できるようになったら中国は発展するだろう」と思っていました。
しかし考えてみると、そう遠くない過去の中国は並んでいても自分の番は永遠に来ない社会だったのです。自分のものはどんなことでもして自分で勝ち取らないと死んでしまいます。こういう時代を経験した人は我先に殺到するというのが当たり前の習慣になっていたのです。そう考えると、今でも年配の田舎の人は割り込んだりしますが許す気になれます。今では並んだらちゃんと自分の番が来る社会になりましたので、これからマナーはどんどん向上していくことでしょう。
中国の店員さんの接客については今でも多くのクレームを聞きますが、私に言わせれば格段に良くなっています。
以前の接客というのはびっくりするほど酷いものでした。事務作業を嫌々こなしている状態というのが正確だと思います。お店のレジであれば商品は台の上に投げてよこす、お釣りももちろん投げてよこします。お札はメモ書きしたり丸めてポケットに入れたりしているのでグチャグチャです。おしゃべりしながらダラダラ作業するのでとても遅い、客が割り込もうが何しようがおかまいなしです。客が来るまで突っ伏して寝ている、カップラーメンをズルズル食べながら作業する、その食い汁や唾が商品やお金に飛び散る。商品の問い合わせには答えない、答えないから繰り返し聞くとめんどくさそうに「不知道」。もちろんいらっしゃいませもありがとうございましたもなし。笑顔などは望むべくもなくほぼ100%仏頂面でした。当時はモノを買うという行為が本当にストレスいっぱいで嫌でした。
契機は2008年の北京オリンピックでした。国際大会を開催するにあたり国を挙げてサービス向上活動に取り組みました。開始当初は店員さんのぎこちない作り笑顔が気持ち悪かったものです。更に、経済的に裕福になり海外に旅行して外国の行き届いた接客サービスを経験する人が増えるにつれて、国内の接客サービスの改善を求める人が増えてきました。そこからは急速に近代化したと思います。
今では、爽やかな笑顔、明るい挨拶や受け答え、それなりに行き届いた応対、更にはキャッシュレスの発展でレジでのストレスが大幅に軽減されました。本当に住みやすい国になったものです。私は心から感動しています。
改革開放の加速期は、昼の会議は単なる表敬訪問、夜の宴会で白酒をグイグイ飲みながら大きなビジネスが決まるような豪快な時代でした。その宴会がとにかくすごかったです。当時私は東北地方の国有企業と仕事をしていたのですが、同時期に南で仕事をしていた知人に聞くと東北ほど強烈ではなかったものの、やはり似たような状況だったそうです。宴会は毎日、酒は50度以上の茅台などの高級白酒が基本。白酒用の小さなグラスが用意されるのですがそれは全て下げさせて、普通のコップになみなみと注いで乾杯します。乾杯というのは文字通りの意味で、一気飲みしてコップを逆さにして相手に飲み干したことを示します。これを一人ずつ入れ替わり立ち替わり全員とやり、一周して撃沈しなければ更に続きます。私も酒は嫌いな方ではなく返り討ちにするくらいの気持ちでグイグイ飲んでいたので、酒の場では結構面白がられていたように思います。中国人はみんな酒が強いなあと思っていましたが彼らもやはり同じ人間、よく見ると撃沈しないようにいろいろと工夫していることが分かってきました。
①酒豪を参加させる
各部門に何人か底なしに酒が飲める人がいました。今思えば宴会要員として意図的に配置していたのかもしれません。その酒豪を参加させて前半の乾杯合戦をリードさせます。酒豪がターゲットを決めて攻め始めるとそこに他のメンバーが押し寄せて怒涛の乾杯攻撃が繰り広げられます。
②知らぬ間に消える
何人かが乾杯合戦を繰り広げている間に、何人かはトイレに行ってゲーゲーやってスッキリして戻ってきて合戦を再開します。飲んだふりしてやり過ごすとか水に入れ換えるとかこっそり捨てるとかといった方法も人に聞いたことがありますが、基本的にはそれらはご法度なので飲むべき時はみんなしっかり飲んでいたと思います。
③後から現れる
幹部社員クラスは残業だなんだと言って客人が半死状態になった宴会中盤に現れたりします。しかもアルコール度数が異常に高い故郷の地酒などを持ってきて改めて客人にふるまいます。一般の日本人はだいたいこれで全滅していました。
そんな飲み会なので終わるのは結構早かったです。私は勝ち残る(?)こともあったのですが、気が付くとみんなトイレにこもっていて、待っていても誰も戻らずそのままお開きということもありました。凄い勢いで乾杯合戦、あっという間に全員死んで終わり。何度もやっているとそのリズムに慣れてきて、前半とばして相手の様子を見てから中盤以降の戦い方を決めるという余裕もできてきました。今では不要なスキルですが。
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