真偽が定かでない中国のお話:焼き餃子は水餃子の売れ残り?

以前餃子の王将が中国に進出しました。元々餃子が好きな中国人、そこに日本で味に磨きをかけた焼き餃子で乗り込むのだから大いに繁盛するものと思われました。しかし蓋を開けてみるとさっぱりダメでした。中国では餃子というと水餃子で、焼き餃子は余った水餃子を腐らせないように火を入れたもの、つまり王将の焼き餃子は「残り物」とみなされて全く人気が出なかったようです。

中国雑学団(電子特別編集版)~アッと驚く! 知っておくべき中国ネタ話

真偽が定かではない中国のお話:北京ダックの起源は南京?

南京で鴨が好んで食べられることは有名ですが、ある人によるとかの有名な北京ダックも南京が起源なのだとか。明の第3代皇帝の永楽帝が首都を南京から北京に遷都した際に南京人が鴨食文化を北京に持ち込み、それが北京ダックの起源になったということです。ネットで調べてみると確かにそういう説がありますが、山東発祥説もあるようです。

中国雑学団(電子特別編集版)~アッと驚く! 知っておくべき中国ネタ話

中国の日本語マニアを見習う(★★★)

中国にも日本語を熱心に勉強されている人がたくさんいらっしゃいます。日本経済の減退に伴って日本へ留学される方、日本語を専攻する人が減りました。しかし近年は日本のアニメやドラマの人気のおかげで、専攻まではしないものの、日本語が好きで個人的に勉強しているという方が若い世代を中心に増えてきたように思います。以前よりも日本語が中国人の生活に入り込み気軽に使われるようになってきました。

日本語を勉強されている方の中には、マニアレベルの人がいて、その熱心さに驚かされます。こういう状態になると学ぶことが楽しくて仕方がなくなるようです。見習いたいものだと思います。

ある知人は、大学時代に日本語を専攻し、九州の大学に留学していたそうですが、中国に戻ってからも日本人との交流を楽しんでいて、日本商工会の世話人などをやっています。とにかく日本語が好きで、日本人との会話で知らない言葉が出てくると必ず確認して覚えてしまいます。だから一般の日本人が知らないような言葉をたくさん、しかも正確に知っていて驚かされます。

ある知人は、外国語の名門、大連外国語大学で日本語を専攻して、日本へ行った経験がないのに驚くほど正確な日本語を使います。まるで日本に長い間住んでいたのではないかと思うほどです。その方によると、なまじ日本に留学して場慣れによって習得するより、しっかりと勉強する方が正確に習得できるそうです。「私の日本語の文法は一般の日本人よりも正確だと思いますよ」と自信を持って語ります。

ある知人は、日本語を専攻しているわけではないですが、日本のアニメが大好きでそれを楽しむために日本語を覚え始めて、次第に日本のドラマや、更に高じてコスプレなどを楽しむようになったそうです。好きな言葉だけを覚えているうちに日本語でコミュニケーションができるまでになっていて、元々優秀な方なのでしょうが、その肩の力を抜いた自然な習得の仕方は大いに参考になると思いました。

私はあまり会ったことがないのですが、日本人にも中国語マニアの方はたくさんいると思います。私たち中級レベルの兼業学習者も自分なりの中国語マニアになって、楽しく習得するようにしたいものです。好きこそ物の上手なれです。

中国人の僕は日本のアニメに救われた!

授業の要点を記述する(パワポの是非)(★★★★)

中国語学校や大学などで学んでいる人は授業の要点を記述してまとめる一手間をかけるべきだと思います。学習効果が高いのは、非常にアナログではありますが、先生が板書してそれを書き写し、自分が理解し定着しやすいようにまとめることです。

最近の講義では先生はパワーポイントの説明資料を使うことが多くなりました。このパワーポイントは教える側には効率的ですが、学ぶ側にはあまり良くないと思っています。先生はもちろんパワーポイント資料を作成する時にはしっかり考えます。何度か授業を繰り返して見出した反省点は資料に織り込まれます。また、説明効率が良いので多くの情報を詰め込みます。そして授業当日にはそれをそのまま説明します。そうすると標準的で膨大な量の内容を機械的に説明することになり、先生は伝えるべきことを伝えたと満足します。現場の生徒の基礎知識の有無や理解度に応じた個別対応はほとんどできません。

生徒の方はそんなスピードと量を見聞き考えながらメモを取るのは至難の業なので、手っ取り早くパワポの写真を撮って、後から見直そうと考えます。しかし、写真を撮った時点やった気になり安心してしまい、後から見直すことはほとんどありません。つまり、先生も生徒も脳を使っていない授業になっている可能性が高いのです。

先生が板書する授業では、先生は生徒の様子を見ながらポイントのみを書きます。量が絞り込まれてゆっくり伝えられるので、生徒の方もしっかり考えながらメモしていくことができる訳です。情報量は少ないかもしれませんが理解度は高くなり、結果的に習得は早いと思います。

そうは言っても、生徒側から教える側の効率を落とす話をするのは難しいです。次善の策として、可能であればパワーポイントを事前に提供してもらい、授業で強調されたり補足説明されたりした内容や自分自身の気付きをメモしていくようにすれば効果が期待できると思います。

「授業に参加した、パワーポイント資料の写真を撮った、その後見直すことなくお蔵入り」ということにならないよう、何らかの形で要点を記述して復習することをお勧めします。

AI時代の中国語学習の意味

近年AIの登場で翻訳機が格段に進化しています。Google翻訳を使ってみてもその正確さ、言い回しの流暢さは以前とは比べられない高度なレベルになっています。AIの持つ学習機能で使われるたびに進化するそうです。ポケトークなども素晴らしい精度で翻訳してくれます。しかも74もの言語の翻訳に対応できるそうです。Face to Faceで正確な翻訳が普通の会話のスピードでできるようになる日も近いと思われます。世界中の誰とでも言語の壁を越えた交流ができる、コミュニケーション革命とでも呼ぶべき夢のような変化がすぐそこまで来ています。

そんな時代を迎えるのに、果たして外国語を学習することに意味があるのだろうか?という疑問が頭に浮かびます。言葉で意思の疎通を図るというだけなら間違いなくAI翻訳機で代用可能です。しかし、言葉を学習することにはコミュニケーションをより進化させる効果があると思っています。とりわけ人間関係を築くという面で重要な意味を持ち続けると思います。

一つ目は、言語を学ぶことはその国の文化や考え方を学ぶことに繋がっていて、それによって相手のことをより深く理解できるということです。言葉というのはコミュニケーションツールですが全てではありません。相手の言葉の背景にある文化や考え方を理解してこそ深く分かり合えるようになります。これはAI翻訳機には難しいことです。可能かもしれませんが、AIは瞬時に思考判断できても、その情報を受け取る人間の方がそれを会話のスピードで理解することができないだろうと思います。

もう一つは、自分の国の言葉を覚えようと努力することに好感を持たれることです。日本に来ている外国人がが英語ではなく日本語を話したら、それが例え下手でも親密感は格段に高まります。私もなんとか中国語を話すようになって、英語で話していた頃より中国の皆さんが面白がって相手をしてくれるように思います。これはAIにはできません。むしろAIが代行可能な時代であるからこそ、自ら学習して使うことで相手が持つ好感は大きいと思います。

AI翻訳機はあくまでもコミュニケーションのサポートツール、より素晴らしい人間関係を築くために、自分自身でもしっかり学習することが基本だと思います。

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愛すべき老中国:白酒

白酒は中国の伝統的なお酒です。アルコール度数はほとんどが40度以上で、60度に近いようなものもあります。昔の中国ビジネスでは懇親会で白酒で乾杯を繰り返すのが一般的でした。そのために日本の会社では中国に社員を派遣するのに「お酒が飲めること」を、公式ではないにしても考えて人選していました。その飲み方は一般の日本人には考えられないほど激しく、中国人との宴会で日本の会社員が急性アルコール中毒で亡くなったこともあり、社会問題にもなりました。

ご経験のない方は「嫌なら自分の意思で飲まなければいいじゃない?」と言われると思います。ある知人は奥さんから「強要されると言っても、押さえ付けられて口を開けさされてお酒を流し込まれる訳ではないよね?」と言われていました。その通りなんです。しかし中国人の熱烈歓迎、お酒を通して仲良くなろうとする文化、「これからよろしくお願いします」という挨拶等々の中、一方的に飲ませるのではなく中国人側もしっかり飲みます。男性だけでなく女性もしっかり飲みます。しかも以前は飲酒運転も当たり前でしたから制約が全くありませんでした。そんな中で自分だけ飲まないというのは本当に難しいのです。

何回も乾杯を繰り返す飲み方なので、小さなお猪口のようなグラスが用意されます。しかし小さいといっても強い酒なので何度も乾杯するとすぐに酔います。しかも酒が豪快なことで有名な東北地方では、小さなグラスはまどろっこしいと下げさせて、普通のコップでガンガン乾杯していました。

そんなにバカ飲みするお酒を後日店で見付けて、何千元もする高価なものだと知った時は驚きました。ただ、偽物も横行していましたし、粗悪なものもたくさんありました。粗悪な白酒を飲んで死亡する人もかなりいると聞きました。飲食の安全管理がデタラメな時代でしたので、得体の知れないものを飲むのは怖かったです。

どうしても飲みたくない場合は中途半端に飲んだりせずに、最初から一滴も飲まないことが重要です。「お酒は弱いのでちょっとだけ」とか「ビールだけ」とか言っていると、「お酒が飲めるのに私の乾杯を受け入れてくれない」=「私を拒絶している」と感じます。飲めないと言えば言うほど頑なに相手を拒絶していることになるのです。中国人が相手に飲めないと言われても必死で飲まそうとするのは、友情を深めたいからなのです。だから飲むのか飲まないのか(飲めないのか)最初からはっきりしておく必要があるのです。

時代の変化と共にお酒の文化も大きく変わりました。ワインブームが起こったり外国から軽いお酒が入ってきたりして、白酒以外もたくさん飲まれるようになりました。贅沢を抑制する政策によって宴会も減りました。飲酒運転の刑罰が厳しくなり、乗る人は飲まなくなりました。若い人の中にはお酒そのものを飲まない人が増えました。

そのような中、改めてじっくりと白酒を飲んでみると、芳醇まろやかで美味しいんです。強要されるからイヤで、それがトラウマになって飲みたくなかった白酒ですが、元々は中国の銘酒なんです。これからはその美味しさに改めて気付く人が増えて、人気が出始めるのではないかと思います。

中国語と日本語の関係を調べる(★★★)

言語に興味がある人には特に面白いと思うのですが、現代中国語と日本語の関係を調べることで楽しく覚えられるかもしれません。

日本の漢字や多くの言葉が中国から来ている訳ですが、日本から中国に逆輸入された言葉もたくさんあるようです。こう言った言葉は和製漢語と呼ばれて、19世紀から20世紀初期に日本で作られて中国で普及しました。中国が近代化を遂げる過程で、中国人留学生によって日本の書物が多く翻訳されたことが大きいようです。日本が西洋から言葉の概念を日本語に翻訳したものと、日本にもともとあったものの2種類があるそうです。意識/運動/階級/共和/失恋/系統/電話/電気/旅行/科学/歴史/哲学/病院/派出所/弁当/寿司/文化/雑誌/投資/企業/広告/国際/社会などがそれに当たります。まさか日本語から中国語になったなどと思いもしない言葉が沢山あっておもしろいです。そして最近では日本のアニメやドラマの人気によって改めて日本のいろんな流行り言葉が中国語になっています。壁咚、壁ドンです。萌、萌えるです。现充、リア充です。卡哇伊、可愛いです。大丈夫、文字通り大丈夫で、真的大丈夫?みたいな使われ方をしています。草食男、肉食女、そのままです。

一方の日本語には中国語が語源の言葉が大量にある訳ですが、面白いものもあります。日本語の「まあまあ」、これは中国語の「马马虎虎」が語源だとか?あるいは「ちんぷんかんぷん」、これは「听不懂看不懂」が語源だとか?賛否両論があるようなので断言はできませんが、そう聞くと面白くてすぐに覚えてしまいます。

漢字言語同士のお隣さん、これからも互いに影響しあって上手に発展していけたらと思います。

漢詩を楽しむ(★★★)

中国の詩「漢詩」には長い歴史があり、数多くの名作があります。好きな詩を探して覚えるというのも楽しく良い勉強になると思います。丸覚えが難しければ好きな部分を覚えるだけでもいいと思います。何かの機会にちょっと使ってみると、言葉以上に考えや感情が伝わり、教養があり情緒豊かな人だと好感を持ってもらえるという利点もあります。

私は中国の歴史が好きで、以前は王朝の攻防ばかりに興味がありましたが、中国語を学び始めてからは文学にも多少興味を持ち始めました。ネット記事からの抜粋ですが漢詩の歴史を簡単に紹介します。最古の「詩経」から始まり、楚、漢を経て、三国の時代に魏の曹操ら三曹が国家芸術としての漢詩を確立しました。唐の時代に入ると詩は宮廷を離れて黄金期が築かれました。この頃に日本人にも広く知られている、歴史の教科書でお馴染みの杜甫や李白、白居易などが活躍しました。唐の後にも有名詩人が多く現れました。

中国人の同僚(80后女性)に好きな詩をあげてもらうと、张九龄という唐の詩人の「自君之出矣,不复理残机,思君如满月,夜夜减清晖」という詩を紹介されました。「只要一想到你,世界在明亮的光晕里倒退(あなたのことを思うと世界は明るい光の中に後退する)」みたいな簡単な現代語訳になるということですが、元の詩の方が意味は分かり難いですがムード満点で、何ともロマンティックで美しく感じます。また、同じく唐代の李益の「水波珍簟思悠悠,千里假期一夕休,从此无心爱良夜,任他明月下西楼」も素晴らしいとのことでした。意味は考えてみましょう。この同僚は比較的文学が好きな方だとは思いますが、中国では漢詩が現代でも愛されているということだと思います。和歌を一般には受験勉強や百人一首でしか触れない日本との違いを感じます。

ネットで検索するといろいろな名作を見付けることがことができます。たまには日々の過酷な勉強を休んで、お気に入りの漢詩を探してみると面白いと思います。

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セミネイティブと中国語で会話する(★★★★)

中国語は使用者が世界で最も多い言語ですが、使用者の中には中国人だけでなく、東南アジアなどで生活する華僑の子孫、中華系の人々が沢山います。彼らは母国語を使うと同時に曽祖父や両親が使っていた中国語を使える人がほとんどです。そういう人たちをここではセミネイティブと呼ぶことにします。

中国語を学習中の非ネイティブの人と中国語で会話する楽しさとその課題は別のコラムでお伝えしました。非ネイティブとの会話での課題は、互いに正しい使い方ができているか分からないこと、発音など互いの悪いクセが移ってしまうことなどです。それらがなく楽しく会話できるのがセミネイティブとの会話です。これはあくまで中級程度の人に有効な施策です。

私の知っている範囲ではマレーシアにそういった方が多いと思います。マレーシアに出張に行った中国人の同僚によると、クアラルンプールは街に中国語の表示が溢れているし現地の人も中国語が話せる人が沢山いるので、中国語ができる人なら困ることは全くないということでした。私自身はマレーシアには行ったことがないのですが、何人かマレーシアの知人がいます。彼らのうちの一人が中華系で、中国語がある程度話せます。彼と最初に会った時は英語で話していたのですが、私が中国語を学習していることを告げると彼が中華系で中国語ができることが分かり、中国語に切り替えました。私の方は英語より中国語の方が下手なので少しぎこちなくなりましたが、彼の方は中国語の方が上手く「親族との会話で慣れ親しんだ中国語で話せることが嬉しい」と、とても楽しそうに話していました。慣れ親しんだといってもネイティブではないので、比較的平易な言葉を使ってゆっくり話すので、私レベルでも分かり易かったです。発音や文法も正しいのだろうと思います。(少なくとも学習中の非ネイティブよりは正しい)マシンガンのように早口で難解な言葉を使ってさっぱり解らないネイティブとの会話よりずっと練習になると思いました。

東南アジアやオーストラリアのアジア系の知人がいる人は是非中国語ができるか聞いてみて下さい。素晴らしい練習台になってくれる人が身近にいるかもしれません。

同じテキストをやり込む(★★★)

私はこれまでにいろいろなテキストや参考書を買い漁ってきました。それぞれにいろいろな工夫がなされていて一長一短あります。それはそれで楽しいし、書籍を揃えることによって「こんなに勉強しているぞ!」というズレた達成感を覚えて満足したりしていました。ただ、こう言ってしまうと身もふたもないですが、HSK6級及第点レベルの兼業学習者であれば、きちんと作られた書籍でありさえすればそれをしっかりやれば十分だと実感しています。むしろあれやこれやといろんな書籍を眺めていたのでは集中ができず、知識が定着しないように思います。もちろん自分に合う/合わないはありますから、内容を確認した上で数冊を厳選し、その書籍のどこに何が書いてあるかが頭に浮かぶくらいやり込むことが最も重要で、習得の近道だと思います。

「書籍のご紹介」のコラムに私が使ってみて良かったと思った書籍を載せています。学習初心者で何から始めたらいいか分からない人には参考にして頂けるのではないかと思います、例えばこの中からご自分の観点で数冊を厳選して、やり込んで頂ければどうかと思います。もちろん、更に上級を目指す人は使う書籍もランクアップしていけば良いと思いますが、とにかく「しっかりやり込んだ上で次にいく」ことを徹底されるべきだと思います。

気分にムラがありなかなかやる気が継続しない私は、その気になった時に書籍を買い込み、「大金をはたいて買ったのだからやらなければ!」というふうに自分を追い込もうと工夫したりしていますが、結局ちょっと開いただけで本棚の肥やしになっている書籍がたくさんあります。「積読」もほどほどにしないと単なるお金の無駄遣いになってしまいます。

愛すべき老中国:今なら分かる不可解な言動の理由

古代中国は世界の文明を開きました。老子、孔子、荀子など優れた思想家も多く輩出しました。世界に先駆けてさまざまな発明をし、世界の発展に貢献しました。中でも「紙、印刷、火薬、羅針盤」は四大発明と言われ、後世の私たちもその恩恵を受けています。また、科挙制度を高度に発展させ、優秀な人材を数多く輩出しました。日本は昔から中国から学びながら発展してきました。そんな偉大だったはずの中国人が、近代になって何故他の地域より遅れてしまったのか、マナーの悪いパクリ国家になってしまったのか、もともと中国の歴史が好きでその素晴らしさを知っている私には本当に不思議でした。

ほんの10年前まで、一言で言えば「自分さえ良ければそれでいい」という人ばかりでした。順番を守らない並ばない、我先に取ろうとする。公共の場はゴミを捨て放題、唾を吐き下水や残飯を辺り構わず撒き散らす。野菜には水、肉には油を注入して高く売ろうとする。カニの腹に漂白剤をかけて白くして高級蟹だとして高く売ろうとする。廃油を再利用して調理して平気で客に食べさせる。言い訳ばかりして全く仕事をしない。失敗は全て他人のせいにする、等々。そこには古代の偉大な中国人の片鱗はおろか、知性のかけらも見当たりませんでした。怒りを通り越して悲しくなるような出来事ばかりでした。中国人はこんな人ばかりになってしまったのだと思うようになっていました。或いは仕事などでは、反日教育もあり日本人が嫌いだからむやみやたらと反発してくるのだろうと思っていました。

様子が変わってきたのは若い世代が育ってきてからです。80后と呼ばれた世代の人たちは、いろいろな問題は指摘されながらもしっかりとした教育を受けていて、近代人として常識的な判断ができる人が増えてきました。今となっては大変失礼なことですが、その時私は「中国人でもちゃんと教育を受ければちゃんとした人になるんだ」と心の底から驚ろきました。

そう考えるとやはり疑問なのが、以前は何故あんなに自分勝手でいい加減な人が多かったのか?ということです。同じ血を引いているのに若い人たちができてその前の人はできないというのは、時代環境と教育の欠如が原因だったのだろうと思います。内乱と戦争、その後の計画経済、文化大革命。あの時代とその影響を受けた世代がたくさんいたということだと思います。仕事はやってもやらなくても同じ、物資が足りない中、並んでいても自分の順番は来ない、我先に自分から取りに行かないと家族が飢え死にしてしまう。或いは人はいくらでもいる、自分が多少頑張ろうが頑張らまいが替えなどいくらでもいるので最初から諦めている。そんな環境で生きていたら自分勝手になるのは無理もないことだったのだろうと思います。

経済的に奇跡的な発展を遂げてきた中国、でも名実共に世界から尊敬される近代国家になるのはこれからだと思っています。

孔子様に祈る(★★★)

「人事を尽くして天命を待つ」尽人事而待天命と言いますが、ただ待っているというのも芸がないので「困った時の神頼み」、最後は祈りましょう。日本の太宰府天満宮のように、中国でも学問の神様を祀っているところが沢山あります。中国で学問の神様、というか古代の偉大な思想家は何人かいますが、なんといっても一番有名なのは孔子です。中国各地に孔子廟があり、多くの受験生が合格祈願に出向き、许愿牌(お札)にそれぞれの願い事を書いて残します。実際になんらかの恩恵があるかどうかは分かりませんが、祈ることそのものには力があると思います。短い時間ではありますが、心静かに自分の目標と希望を見つめ直すことになるので、決意と共にやる気がみなぎります。場合によっては最善を尽くしたと思っていた「人事」がまだまだ甘かったと認識して更に頑張る気になるかもしれません。また、昔の科挙の試験場跡などがあれば訪ねてみましょう。立身出世を志してひたすらに頭脳を磨いた偉人たちのパワーに触れて、やる気になるかもしれません。

私は現時点で南京に通算で4年くらい住んでいるのですが、近くの観光地にある孔子廟や科挙の試験場は外から眺めるだけで中まで入ったことがありませんでした。近所の観光地はそれが有名なものでも身近すぎて、お金ももったいないとか考えて、何となく中までは入らないという、よくある話です。しかし、私の中国語の能力がいまひとつ伸びないのは、こんな良い環境にいるのに活用していないからではないかと思い付き、先日4年目にして初めて入場料を払って中まで入り、これまで外から眺めていた孔子像を近くで拝んで、科挙の試験場を見て昔の偉人たちに思いを馳せました。何となくモチベーションが上がった気がします。ちょっと恥ずかしくて许愿牌に願い事を書くまではしなかったのが少々心残りですが、次回のHSKで効果のほどを確認しようと思っています。

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自分をその気にさせる(★★★★)

何事もモチベーションや好奇心によって上達するものだと思います。そして好きになる、楽しくなる、そうすれば努力も苦にならなくなります。もちろん中国語の学習も同じことが言えると思います。モチベーションを上げるにはどうすれば良いか、私自身がやる気になった出来事から考えてみます。

まずは「褒められたこと」です。仕事で中国を担当することになって、どちらかと言うと仕方なく中国語を始めた私です。正直言って大して興味もありませんでした。だから最初は「生活の必要最小限の会話ができるようになればいいかな」というモチベーションが低い状態でたらたらと勉強していました。そんな中、最初にやる気になったのは褒められたことがきっかけです。どちらかというと与えられたタスクは真面目にこなす方なので、先生に宿題として課せられた単語と拼音覚えることを毎回淡々とこなしていきました。すると、他にはそういう生徒がいなかったのか先生がすごく感心し「真面目だ、頭が良い」と褒めてくれました。私は極めて単純にできているので、これですっかり気を良くして前向きに取り組むようになりました。以降、「字が中国人より綺麗だ」とか「発音をマスターするのが速い」とか言われるたびに脳内麻薬が分泌され、モチベーションが高まっていきました。今にして思えば私をやる気にさせるために先生が少しでも良いところを見付けて褒めるようにして下さっていたのだと思います。その目論見は見事に当たりました。そのようにしてハイテンションを維持して学習を続けたのでHSK5級にも比較的早く合格しました。「仕事をしながらそんなに早く合格できる人はいない」(実際にはたくさんいらっしゃるのですが)などと最後まで誉め殺しにあい、そのいい気分が今も尚続いています。先生に感謝です。

次に「聞き取れるようになったこと」です。中国語を習っていない時は、当たり前ですが中国人の会話がただの雑音にしか聞こえませんでした。しかも一般に中国人の声は大きいですし公共の場でも周囲の迷惑を気にしないので、正直言って不快なことが多かったです。それが、学習を進めていたある時、街で聞いた簡単な会話が完璧に聞き取れたことがあったのです。これは私にとっては衝撃でした。それまで雑音にしか聞こえなかった音が突然意味がある言葉に変わったのです。それに伴って中国人への親近感も突然高まりました。意味不明の雑音を発する外国人からコミュニケーション可能な隣人になった瞬間でした。

そして「会話ができるようになったこと」です。中国語の先生と勉強に付き合ってもらっていた運転手さん以外の人と、初めて中国語で会話できた時は嬉しかったです。もちろんごく簡単なやりとりですが、それまで通訳さんを介して話していた人と直接意思の疎通ができたのは感動でした。なかなか進歩しないけど諦めずに続けてきて良かったと心から思いました。

振り返ってみると、語学を学習する人にとってごく当たり前の事に、当たり前の感動と達成感を覚えてきたのだと分かります。そしてその時の感動を思い起こすことで新たなモチベーションが湧いてくるように思います。嬉しかったこと、楽しかったこと、自分自身のストーリーを振り返って、自分をその気にさせる。モチベーション喚起に有効なことだと思います。

中国の動画を見る(★★★)

中国の面白い動画を見ることで中国語を気軽に楽しめます。ネイティブの言い回しや流行り言葉なども出てきて勉強になります。

中国ではSNSが急速に発展していて、参加型のアプリがたくさん開発されています。ユーチューブがもっと手軽で便利になったようなものです。その中で現時点で最も流行っているのが「抖音(douyin)」です。2016年に登場したそうですが今では若い人を中心に大人気で、地下鉄で携帯をいじっている若者は微信か微博か、この抖音を見ているように思います。(ただ、中国では変化が本当に速いので数年先には別のサービスが登場していると思います。)抖音は音楽と映像を融合させた動画アプリです。音楽やリズムに合わせて歌ったり踊ったり動いたりと、手軽に作って投稿しています。日本版がTik Tok(ティックトック)の名前で出ていますのでご存知の方も多いと思います。ユーチューバーのように、このアプリを利用して人気者になっている投稿者なども現れ、芸能界への登竜門としても注目されているようです。

私は日本版のTik Tokを使ったことがないので中国版についての紹介ですが、お笑い、イタズラもの、何かの紹介、教育もの、感動話、カラオケ、ダンスなど、あらゆるジャンルの動画が投稿されています。時系列に表示できたりオススメを表示できたり、面白いのは場所で検索できたりします。住んでいる街の知っている場所が出てきたり、時には知っている人が出てきたりしてとても面白いです。

ただ、かなり面白くて病み付きになるのでご注意を。中国語の勉強のために見ようと思ったら、面白動画を求めて時間を忘れてひたすら漁ってしまっていたということがよくあります。真面目に取り組んでいる兼業学習者には、学習を阻害することになるかもしれません。移動中などの空き時間に眺めることをお勧めします。

やる気になる学習場所を見付ける(★★★★)

自宅での学習スペースの確保もさることながら、自宅以外での学習の場の確保も重要です。一人で学習しているとモチベーション面で行き詰まることがあり、そんな時に他の人が学習している中に身を置くと周囲に影響されてやる気になったりします。「みんな頑張っている、私も頑張ろう!」ということです。つまり勉強場所の中でも単なる空きスペースではなく、比較的たくさん人がいてそれぞれが黙々と勉強に取り組んでいるような場所が理想です。

高校生や大学生なら学校や予備校の教室や図書館の自習スペースなど、選択肢はいろいろありますが、学生ではない大人にはなかなか身近にいい場所がないものです。地元の公民館などでは、近所の人に会ったりして勉強しているのがなんとなく照れくさかったり、話に花が咲いて勉強にならなかったりします。私としては大学の図書館や学習スペースがお勧めです。学びの環境に身を置くと気が引き締まりますし、学生さんたちもたくさんいて勉強しているので影響されてその気になり易いです。一般開放しているかどうか問い合わせてみると良いと思います。国公立大学や大きな私立大学なら使わせてもらえる可能性が高いと思います。適当な大学がない場合は、街中の比較的大きな図書館や文化交流センターなどで、自習している人が多い場所を探すべきかと思います。

私は日本でも外国でも行く先々で地元の大学を見に行くのが好きです。環境や建築物、若い学生さんたちの様子を眺めることもさることながら、やはり一番の理由は自分の学ぶ意欲が刺激されるからです。特に中国の大学では、休日には日本とは比較にならないほど多くの学生が図書館や教室で勉強して、大いに刺激を受けます。基本的に全学生が大学敷地内の寮で生活していることもありますが、子供の頃から勉強漬けの日々を送ってきているので学習に対して非常に真面目であることが起因していると思います。多くの中国の大学は開放的で一般人でも自由に入って(近年ゲート管理が導入されるところも出てきましたが)使えるところが多いので、中国在住の人は是非一度見に行ってみて下さい。私はたまにシラっと教室に入って自習することがあります。規則的に良いのかどうか分かりませんが、学生さんに聞くと問題ないと言いますし、これまでにつまみ出されたこともありません。

学習環境を整える(★★★)

やる気になって集中できる環境を整えることはとても重要だと思います。人によって最適な学習環境は異なりいろいろなスタイルがあると思いますが、一般にはその場に行けば気が引き締まってやる気になり、邪魔されることなく集中できるスペースを作るべきだと思います。

私の場合、単身生活をしている時は、誰にも気兼ねがないので、中国語の教材も趣味の本もテレビもパソコンも仕事の資料等も、全てのものを近くに自分が便利なように配置、というか放置してしまいがちです。その結果、何もかもが同じ部屋に置かれ手が届きやすい場所に散乱した状態になります。これは思い付いたらすぐに教材を確認することができる一方で、楽しいものに気持ちが移りがちです。気軽に着手できることを重視して成り行きでこのような状態を試してみましたが、結果的には長時間集中するには適していませんでした。やはり、部屋の一角にでも中国語学習専用のスペースを作り、そこでは中国語しかできないという状態にしておくべきです。テレビ、パソコンなど何となくつけて見入ってしまうようなものとは別の場所にするべきです。すると今度はその場所に行くのが億劫になったりもしますが、中国語として楽しい雰囲気を醸し出すものを配置するなど、工夫することで克服したいです。私の場合は読書が好きなので、中国関係の本を並べることでその場に行きたくなるようにしています。本をたくさん並べるとアカデミックな気分になり、気が引き締まります。

家族と暮らしている場合は、学習に対しての外乱が多いので更に工夫が必要です。学生さんなら良いですが、大人で家族の用事や家事を担っている場合は、好きな時間に気ままに勉強するという訳にはいきません。単身生活の場合と同じように専用の学習スペースを設けることに加えて、家族に協力してもらえるよう、学習に充てる時間を決めて了解を得ておく必要があります。一般に昼は仕事をしてますし、夜は家族団欒の時間を持ちたいものです。だから学習時間は早朝が最適だと思います。一人の時間が確保しやすいですし、朝は脳が効率的に機能しますからお勧めです。そして勉強中はなるべく声をかけないよう家族にお願いしておくべきです。もちろんその分、他の時間は家族としっかり交流する必要があるのは言うまでもありません。家族の幸せと仕事と学習をうまく成立させてこそ、一人前の兼業学習者です。頑張りましょう。

愛すべき老中国 : 特権地域

これは私の経験というよりは、私より少し前に中国で活動していた人から聞いた話がほとんどです。私自身はその時代の最後の方に少しだけ経験しました。

ある国営企業の企業城下町での話です。日本でいえばトヨタ自動車がある豊田市のようなイメージです。しかしその中身は全く違っていました。その街に住む人のほとんどはその企業と関連会社の従業員と家族でした。関連会社もほとんどが国営か国有の会社なので従業員は公務員のようなものでした。役場や警察などもそれらの企業関係者がやっていて、いわば大きな自治都市のようでした。そこに技術支援で行った人がその企業の人に言われたのが「人に害を及ぼすことでない限り、この街の中でならあなたは何をやっても大丈夫」でした。酔っ払い運転から喧嘩、器物破損から汚職関係まで、本当に何でもありの治外法権状態だったそうです。警察まで関係者なので、本当に事件性が高いことでない限り何でも見逃される訳です。その中でも職位が高い中国人はちょっとした特権階級のようなもので、かなりえげつないことにまで手を染めていた人もいたそうです。一方の小市民日本人たちは「何でもOK」と言われてももちろん大したことができる訳ではなく、せいぜい泥酔して街を徘徊するくらいのことでした。そして、そういう環境に身を置いていたことをちょっとした武勇伝として語って悦に入ってました。

そういう地域も近代化の中でどんどんクリーンな街になってきました。汚職撲滅、打黑が進んできた今では、ほんの数年前にそういうことがあったことは信じられないほどです。「中国はもうあのような時代に戻ることはないのだろうな」と懐かしく思い出されます。

中国学生の「勉強」を見習う(★)

勉強という言葉は中国語では「学習」ではなく「無理に強いる」という意味です。現代の中国学生の勉強は、日本でいう勉強より本来の意味で表すに相応しい状況になっていると思っています。中国の受験戦争が凄まじいことは広く知られてきたと思います。以前は生まれや親の人脈の有無で人生がほぼ決まってしまう国で、人々は無駄な努力はしなかったり海外に活路を求めて出て行ったりしていました。その反動もあるのだと思いますが、能力さえあれば生まれに関係なく成功を手にできる国になった今、みんな気合を入れて勉強します。一人っ子政策が続いたので親や祖父母の期待や応援も尋常ではなく、子供たちはものすごいプレッシャーの中、必死で勉強をしています。

2019年の高考(日本のセンター試験にあたる大学共通試験)の受験者は約1031万人だそうです。日本のセンター試験受験者数は約58万人ですから、日本のなんと約18倍です。人口比よりも大きく、中国の方が若年者の比率が大きいことを考慮しても、大学入試にチャレンジする人の比率は日本と同等かそれ以上だと思います。さすがは科挙の国です。そして近年では各地の高考の試験会場前で、チャイナドレスを着た母親たちが子供の試験が終わるのを待っている姿が見られます。チャイナドレスは中国語で「旗袍」なので、成語「旗开得胜」(幸先の良いスタートをきる、好成績をおさめるという意味)にかこつけた一種の「ゲン担ぎ」なんだそうです。親の力の入れようが分かります。

子供たちは幼少の頃から勉強漬けの生活をしています。幼児から習い事を始め、小学校に上がると学校でガッツリ勉強です。クラブ活動などはなく進学校では体育の時間も算数などに切り替えられます。授業は6時とか7時とかまで続きます。そして大量の宿題を与えられ、帰宅してからは夜遅くまで宿題です。教師は担当する生徒の成績で評価が決まりますから、こちらも必死です。生徒何人かのグループを作って、母親に夜の宿題の進捗を管理させ、微信で報告させます。各生徒の母親たちは子供の宿題が終わったらグループのリーダーの母親に報告をし、リーダーの母親は全員の終了が確認できたら先生に報告します。先生は各グループの宿題完了時間を公表して、遅いグループを叱り指導します。そんな仕組みを作っているので親も子も必死にならざるを得ません。中国では女性もほとんどが会社で働いているので、母親は昼は仕事、夜は子供の宿題のサポートでクタクタになっている人が多いです。窓から見えるマンションの部屋では、小学生高学年くらいの子供が、平日は夜遅くまで、休日は朝から夜まで母親がついて勉強する姿が見えます。

そんな状態を見聞きしてきて、中国語もこれくらいやったらできるようになるだろうなとは思うのですが、さすがに見習う気になれません。80后くらいから言われ始めた「詰め込み学習で知識は多いが創造性や協調性に欠け、何でも親にやってきてもらったから自分では何もできない、そんな人が増えている」が、90后になるとさらに増え、現在の中国の教育に疑問を感じる人も増えています。私の知人にも中学生くらいからアメリカやシンガポール、マレーシアなどに留学させる人が増えています。選択肢に日本が入っていないのは残念ですが、考えてみれば日本も暗記詰め込み教育なので選ばれないのは当然かもしれません。中国も日本も教育について今一度考えてみるべき時期なのかもしれません。

中国はなぜ「学力世界一」になれたのか – 格差社会の超エリート教育事情 (中公新書ラクレ)

食べ物の名前を覚える(★★★)

やる気になるには基本的な欲求に合ったものにリンクさせると効果的です。一般に人間の三大欲求のうち最も強いと思われる食欲と中国語学習をリンクさせると効果があると思います。実際、食い道楽の人は食べ物の名前をすぐに覚えます。その他、睡眠欲は学習と絡め難いですし、性欲だと場合によってはトラブルの元です(笑)。やはり食欲を活用すべきだと思います。中国に住んでいるとある程度は食べ物の名前を覚えないと食事ができません。いつも日本料理屋ばかりだと高くつきますし、どんなに美味しくてもそのうち飽きてしまいます。いろんなローカルフードに挑戦して食を楽しみながら中国語の語彙も増やしましょう。

美味しくてまた食べたいと思う料理の名前を覚えるのが一般的です。渇望するようなものほどしっかり覚えます。私の場合は、烤羊肉串,夫妻肺片などです。よくある失敗が、メニューの中から適当に選んだものが出てきて、食べてみたら意外にも美味しかった。でも、メニューを下げられていてそれが何という名前だったか分からない、とか、メニューがあってもどれだったか覚えていないということです。服務員に聞けばいいのですが、それができないのが中級レベルの学習者の悲しいところです。だからやはり頼んだ料理の名前をメモしておく等の工夫が必要です。そして、意外と重要なのが二度と食べたくない不味い料理の名前を覚えることです。中国料理は多彩で良いのですが、見た目と味が全然違ってガッカリするものがよくあります。焼きそばっぽい味かと思って食べたら甘酢味だったとか、中国料理あるあるです。大抵の場合、見た目で好きな味を想像して注文するので、次回も見た目で同じものを頼んでしまうリスクが高いです。幸せな食生活のために、嫌いなものの方もしっかりメモして覚えるようにしましょう。

中国料理の基礎知識 エイムック

愛すべき老中国:習慣の違い

中国人と日本人は同じ東アジア人として大きな意味では似ていますが、生活習慣は違います。近代化途上の中国の習慣は日本とは大きく異なり、興味深かったです。

挨拶や会話について、中国人は日本人ほどこまめに挨拶はしません。出勤して「おはよう」と言う人は稀ですし、帰る時に「お疲れ様」的な言葉をかけることもありません。「ありがとう」もあまり言いません。中国人からみると日本人は「ありがとう」を言い過ぎで、そんなにいつもお礼を言っていたら本当にお礼を言うべき時にありがたさが伝わらない、と批判されます。「すみません」や「ごめんなさい」もほとんど言いません。日本人なら謝まるような場面で謝らないのでムカっとしたりしていました。ただ、近年は若い人を中心にきちんと謝る人が増えてきました。声が大きくてよく話します。日本人からみると無駄に大きな声で話している気がします。ある人に聞いてみたところ、それは礼儀なのだと。「聞こえないような小さな声でゴニョゴニョ話すのは相手に対して失礼。大きな声ではっきりしゃべるように」と親から教育されているのだそうです。本当かどうかは分かりません。

飲食について、中国人は冷たいものは体に悪いという理由であまり飲みません。だから以前は店には冷やしたビールは置いていないのが普通でした。ぬるいビールで乾杯してなんとなく冴えない気分だったことを思い出します。お酒は強い酒から飲み始めます。だからビールなどは最後です。「とりあえずビール」が習慣の日本人にとっては最初から白酒が出てくるのは恐怖でした。そして飲む時は必ず誰かと軽く乾杯してから飲みます。一人で勝手に飲んではいけません。一人で飲もうとすると周囲の中国人が慌ててコップを取って乾杯してくるという経験をした方は多いと思います。そしてお酌はしません。日本の習慣で相手のお酒が減ってすぐに注ぎ足そうとすると怪訝な顔をされます。店にお酒を持ち込みむのが基本的にOKです。だから中国人が日本に来た際に、店で持ち込んだ酒を開封してたしなめられることが多々ありました。中国料理でお馴染みの回転テーブルは、時計回りにゆっくりと回すのがマナーとされています。中国では上下の関係に厳格で座席もそう配置されているので時計回りになったということです。ただ、方向はあまり厳密ではないそうなので、誰かが箸をつけようとしている時には止めることさえ守ったら大丈夫です。日本人は面白がってグルグル回す人が多いので要注意です。串焼きのステンレスのトレイに被せてあるビニールはかけたまま使います。洗うより剥がして捨てる方が速くて安いそうです。そして支払いですが、基本的におごるかおごられるかです。今回おごってもらったから次回は私がおごるということで、関係を継続するという考えです。割り勘はその場で関係を清算するような意味になるので好まれません。

近代化に伴って伝統的な習慣が薄れてきて、若い人などは見た目も言動も日本人と同じようになってきました。それでも電車に乗っていてお年寄りが乗ってくるとサッと席を譲る光景を見ると、やっぱり中国だなあと思います。いい習慣は継承していってもらいたいです。