中国の留学の変遷

近代中国の留学がどのような経緯で進んできたか調べました。大きくは、①1870年代の官費でのアメリカ留学、②1890年代の欧米・日本への留学、③1950年代から60年代の旧ソ連への留学、④文化大革命後・改革開放時代の国費留学、そして近年の⑤自費留学の拡大と分けられるようです。④⑤についてみていきます。

改革開放では自然科学や科学技術の習得を目的に、海外への留学を体系的に実施しようと政府教育部主導で公費派遣が企画されました。かなり試行錯誤があったようです。1978年に選ばれた優秀な学生3000人の派遣先として選定されたのが、最多がアメリカで700人、そして日本、西欧諸国、カナダ、オーストラリアやニュージーランド等の二十数か国に30人から400人とし、各国の支援を要請しました。自費での留学も徐々に認められてはいましたが少なかったそうです。78年から80年代中盤までは留学して知識を身に付けたら基本的には帰国して、国の発展に尽くすというスタイルでした。

1986年からは経済発展の状況に応じて制度面で拡大がみられました。国家派遣、機関派遣、自費留学の調整が進み、多様化されていったそうです。この時期に私が通っていた日本の大学にも多くの中国人留学生が大学院生として来られていました。非常に優秀な方々だったそうですが、昼は講義、夜はアルバイトとずっと活動されていて、私はほとんど話す機会はありませんでした。この頃から、帰国しても良い就職先もないということから、留学を終えても帰国しない学生が増えて、中国は人材の流出に悩まされました。そのため、公費留学を帰国を前提の制度に変えるなどコントロールを強化しました。

1992年には制度の大きな見直しが行われ、公費留学の選抜方法は改善され自費留学の政策が緩和されました。そのため都市部を中心に留学ブームが起きました。その後、自費留学者が公費留学者を上回るようになりましたが、帰国促進政策を充実したこと、そして経済発展により国の魅力が高まってきたことで、帰国率も高まってきました。紆余曲折はありましたが、最終的に海外で学んだ優秀な学生が帰国して国の発展に尽くすという好循環になっているのが現在の状況のようです。

実際今の中国では、海外からの帰国者が経済発展や技術イノベーションに貢献する事例が多くなってきているようです。現在もたくさんの中国人が海外に留学していますが、将来彼らがグローバルに活躍することで、中国のプレゼンスを更に高めていくでしょう。

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