以前の中国は飲み会がすごかったと聞いて違和感を感じる人が多くなったのではないでしょうか?先日参加した職場の飲み会では8人のうち3人が酒を口にせず、3人がビールを一二杯だけ。白酒が一本あったのですが飲むのはリーダーと私だけだったので、空けるのにとても苦労しました。もう飲み会というよりは完全に食事会の様相です。
以前は酒を飲むのが出世の条件や手段の1つで、飲み会では上司や取引先に挨拶しながらアルコール度数がバカ高い白酒で何度も何度も乾杯(一気飲み)をしていたものです。仕事は全くできないのに高い職位にいる不思議な人がたくさんいましたが、おそらく酒で構築した人脈による昇進だったのだろうと思います。そういう環境なので酒が弱い人も必死で飲んでいました。宴会後半はみんな酔っ払ってバカ騒ぎになってその後はトイレにこもってしまうのがお決まりの光景でした。翌日は二日酔いで仕事にならないながらもなんとか会社には出て、机に突っ伏して寝ていたりトイレにこもったりしていました。そういう生活を長年続けると当然体に良い筈がありません。出世はしても体を壊して競争から脱落する人もたくさんいました。
飲み会ならぬ食事会になった今となっては酒が出世の条件ということはありません。昔のノリで飲んでいるおじさんは、避けられこそしませんが少し浮いた存在になりつつあります。中国らしくなくなって面白くないと思いつつ、飲み会を恐怖する必要がなくなりほっとしています。
私は中国への行き来が出張・駐在含めて16年以上になりますが、理由は違えど一貫して中国でモノを買う気になりません。恐らくこの先もそうだと思います。
最初の頃に買う気にならなかった理由は、モノが悪かったことでした。服や靴にしてもちょっとした小物にしても、センスが悪い上、粗悪品や偽物が多かったです。安かろう悪かろうの典型みたいなものばかりで、いくら安くてもとても買う気にならないシロモノばかりでした。唯一買ったのは違法コピーの映画やドラマのDVDと友人から頼まれた偽物のブランド時計くらいなものでした。お土産もお茶以外に喜ばれるモノがなくて、トランジット先の仁川空港で韓国海苔を買ってみたり、博多で明太子、大阪で肉まんを買ったりしていたものです。
時を経て、近年では買う気にならない理由が変わりました。それは価格が高いことです。経済発展に伴ってモノの値段は瞬く間にビックリするほど上がりました。日本がデフレ状態が続いているということもあり、もはや日用品や高級品やブランド品は中国の方が高く、日本で買った方が安くて安心という状態です。中国人の同僚からも中国にもあるモノなのに日本で買ってきて欲しいと代購を頼まれることがよくあります。食事も高くなり、そんなに高級な店でなくても外食すると明らかに中国の方が割高です。中国にお世話になっているのだから何か買って経済に貢献しようと思うのですが、同じモノが日本では良くて安いと思うとなかなか買う気になれません。個人的には中国国内観光旅行なども一段落した今となっては、食材と散髪以外にお金を使う機会がありません。たまに使うのは友人や同僚との飲み会くらいなものです。
最近ではITなどで中国が先端技術を開発するようになってきたので、中国にしかない優れモノが増えてくると思います。そうなれば購入するようになるかもしれません。携帯電話やスマートWatch、AIを使った各種商品には安くて面白いモノが出始めています。
中国の人たちとの会議で以前よくあったのが、議論とはほど遠い演説会のような会議です。例えばワークレベルが現状を説明して別の人がそれに対する改善策を提案したら、後はリーダーが長い長い訓示を語り、参加者はそれを黙々とメモするスタイルです。ちゃんと考えながらメモしている人もいるでしょうが機械的にメモしているだけの人もいます。これが始まってしまったら基本的にはもう他の意見は受け入れられず、リーダーの話に割って入ったり終わってから否定するようなことを言うとKY的な扱いを受けて相手にされません。もちろん他の意見などメモする人はいません。目的がリーダーへのアピールである人にとっては他の人の話などメモする必要性がないのです。ビジネスが近代化・グローバル化するにつれてこういうスタイルは減ってきましたが、基本的な構造は踏襲されています。こういうスタイルで議論をして結論を見出すには少々コツがあります。
先ずはとにかく早いタイミングで自分の意見と得たい結論を表明して、そこに議論を導くことが最も重要です。自分の意を通したい場合は自分が最初に発言してイニシアティブを取るのが一番です。相手があれlこれ話すのを日本人的に黙って聞いていたら、あっという間にリーダーの訓示の時間になってしまいます。そして議論の際に相手と意見が異なる場合は真っ向から否定するのではなく、一旦は理解を示した上でそれではダメな理由を具体的に示すことです。人によりますが、一般に中国人は相手のメンツを潰さないように慎重に言葉を選んで話します。日本人もそれは理解して慎重に議論を誘導しないといけません。そのようにしてリーダーの訓示に自分の意見を織り込めたらひとまずOKなのですが、訓示が抽象論ばかりで具体的指示になっていない場合が多々あるので、訓示を注意深く聞きながら(アピールメモは不要です)5W1Hの指示が抜けている場合は「いつまでにやりますかね?」等さりげなく指摘して決めてもらいます。
それらをやっても結局ダメで自分の意に沿わないリーダー訓示になってしまった場合はもう手遅れです。諦めて次回角度を変えて議論するしかありません。中国語の勉強だと割り切って、周囲の中国人と同じようにひたすらメモをとりましょう。
中国語を学習する者としては、中国人の宴会に招かれた際には中国語で会話したいものです。普通宴会では懇親が目的なので礼儀をわきまえて限り、言葉が下手でも問題ありません。酔いに任せてどんどん話せば良いです。ただ、話すと言ってもネタがなかなかないもので、自分のことや日本を紹介しているうちは良いですが、2回目3回目の人には自己紹介関係のネタは尽きているので工夫が必要です。私は出席する人を事前に確認してその人たちの仕事や社会活動などでの活躍を調べておき、それをみんなの前で伝えるようを心がけています。
中国の宴会ではお酒を1人で飲むことはせず、必ず誰かと乾杯して一緒に飲むのが慣習です。隣同士だけでなく万遍なく全員と乾杯していきます。中国料理屋によくある回転式丸テーブルはこうして乾杯しながらみんなと会話するのに適しています。しかし会話といっても外国人は言葉が下手でネタも少ないので、乾杯だけしたら後はダンマリ、その後もただ乾杯して酒を飲み続けて気が付けば一人でベロベロに酔っ払っているという状態になりがちです。その状態に陥らないために、乾杯する際にその人の活躍を一言紹介するコメントを言えば会話が広がります。できれば人から聞いた良い評判、なければその人の仕事が全体業務に貢献している点などを簡単に言えば良いです。なければちょっと具体例をつけて「ありがとう」でも良いです。必ず喜んでくれます。用意してきたその一言を言ってしまったら、その後続けて話す能力はないのですが、気にすることはありません。あとはその話をみんなが引き取って続けてくれます。それを聞いていてタイミングを見計らってまた同じセリフで褒めれば良いのです。日本人でも中国人でも褒められて喜ばない人はいません。好意的な雰囲気で会話が弾むと思います。
会話のコツという以前に人付き合いの当たり前の気配りですね。
比較的長い間中国関係の仕事をしてきて中国の変化を内側から観測してきたつもりですが、いつからあったのか、或いはいつから増えたのかはっきり解らないのが監視カメラです。00年代前半に頻繁に中国に来るようになった当初は町が整備されていなかったこともありカメラはあまり見かけなかったような気がします。しかしそれは私が注視していなかっただけで実際にはたくさんあったのかもしれません。それがある日突然(私的には)街中監視カメラだらけになっているのに気が付きました。交差点、標識の上、信号機の上、地下道のエスカレーター、地下街、店舗の出入り口、マンションの柵の上、至る所にカメラがあります。こういう光景に慣れていない外国人はその多さにびっくりすると思います。
常時誰かに監視されているというのは確かにあまり気持ちが良いものではありません。自由がないと感じます。ただ、一般市民として普通に日常生活を送っている分には特別な制限がある訳ではなく、何の問題もありません。そしてこれだけカメラがあると見付からないように悪いことをするのは難しく、悪人に対しての抑止力になり、一般市民にとってはそれが治安維持になっていると思います。
監視社会として有名になっている中国ですが、一般生活を送る分には特に問題がないことをお伝えしました。ただ、外国人は何かと注目される存在なので、疑われるような言動は慎みルールを守って過ごしましょう。
南京に住んでいて鄭和関係の遺跡や遺物に触れることが多かったのですが、鄭和は世界史で有名なバスコ=ダ=ガマやコロンブスより評価されても良いのでは?と思われる功績を残しています。南京には鄭和の艦隊の船のドックだった長江に面した宝船公園、鄭和の墓、鄭和公園などがあり、偉人として祀られています。
鄭和は明の永楽帝が朝貢貿易拡大のために1405〜30年まで東南アジアからインド洋に派遣した大艦隊を指揮した人物で、インド、アラビア、アフリカ東岸まで7回に及ぶ大遠征を行いました。鄭和は元々馬和と名乗る雲南のイスラム教徒だったそうですが明が雲南を征服したときに捕虜となって宦官にされたそうです。その後永楽帝の信人を得て鄭の姓を与えられて大遠征の指揮官に抜擢されたそうです。各航海とも2万数千人の乗組員をもつ大艦隊でマラッカ王国、南インドのカリカット、ホルムズを経て東アフリカにまで及んでいます。鄭和が第1回航海でカリカットに到達したのは、ポルトガルのバスコ=ダ=ガマの船団が到達した1498年より90年以上も前で、バスコ=ダ=ガマの艦隊はわずか3隻、乗組員60名であったこととくらべても鄭和の航海がいかに大規模でかが分かります。東アフリカのマリンディの商人は鄭和艦隊について中国へ使節を派遣することにし、おみやげとして生きたキリンを連れて行気、はじめてキリンを見た中国人と永楽帝は大いに驚いたそうです。それ以降もホルムズからライオンとヒョウ、アラブ馬、モガディシュからシマウマ、ブラワからはラクダとダチョウなどの珍獣が中国にもたらされたそうです。
鄭和の遠征は民間貿易ではなく朝貢貿易の活性化でしたがその役割は十分に果たせたものと思われます。明はやがてモンゴルの台頭への対策に注力せざるを得なくなり、南海遠征は中止されましたが、訪問諸国との交流が進み明の威信を示すことができました。その後のポルトガルやスペインの遠征が征服や植民地化を進めることであったのとは違って比較的友好的なアプローチだったと言えます。
宝船公園には鄭和が訪ねた国々での出来事が遊歩道のパネルで掲載されています。歴史好きの私にとってはそれを一つ一つ読んでいくのはとても楽しいことでした。
言語関係の知識をお持ちの方にとっては常識でしょうけど、日本語というのは起源が不明な言語なのだそうです。単純に中国語が起源だと思っていた私には意外なことでした。諸説がありますが決定的な根拠に基づく公的に認められたものはないようです。
現代の日本語は和語、漢語(古い時期の中国語)、カタカナ語(主に西洋の言語)の3つを組み合わせて使われている言語です。漢語は主に弥生時代に日本に入ってきたようです。カタカナ語は16世紀に日本がヨーロッパと接するようになってから使われるようになったようです。そこまでは分かるのですが元々あった和語がどのようにして構成されたのかが明らかになっていないそうです。
日本人がどこから来たのかも分かっていないそうです。旧石器人、縄文人、弥生人のうち、弥生人は朝鮮半島や中国の南部から稲作技術などと共に漢語を持ち込んだと言われています。縄文人もその前に渡来してきた人たちのようですがどこからやってきたのか分からない、そして旧石器人との関係も分からないそうです。このあたりに和語のルーツがあるのだろうと思われます。アルタイ語系、朝鮮語系、オーストロネシア系、ドラウィダ系、古代中国語系、いろんな説があり、それらいくつかの融合だという説もあります。
このように日本語は中国語を語源にしている訳ではないようですが、中国語との関係はやはり最も密接です。約600年間の日本の弥生時代は、中国大陸では戦国時代〜秦〜漢〜三国時代〜西晋の激動の時代でした。その時代に朝鮮半島を経由して渡来してきた多くの人が伝えた漢語が和語に広がりをもたらしたということです。
「思考の整理学」という外山滋比古さんが記した本を読んだことがある人は多いと思います。1986年発行の古い本ですが東大京大で一番読まれた本として注目されて240万部突破のベストセラーになりました。記憶重視の受け身の学習から脱却し自由に考えるための思考法が書かれています。その中の興味深い内容に「インプットした内容をしばらく寝かせて化学反応を起こさせる」というものがあります。インプットした時は解決が得られなくても、テーマの中心部からあえて時間と距離を置くとセレンディピティ(思わぬものを偶然に発見したり思い付いたりすること)が起こるというものです。それは創造的思考に非常に重要なプロセスだそうです。これは語学学習にも当てはまると思います。
多くのインプットを自分に課して毎日単語や文章を暗記し続けて煮詰まってしまい、更にはうまくアウトプットができず嫌になって止めてしまうことがあります。一度止めると怠け癖がついて当分学習に戻れなくなったりします。しかししばらく時間が空いてたまたま会話する機会があったりするとスラスラと言葉が出たり相手の言葉がクリアに理解できたりして不思議に思うことが多々あります。覚えた時は使えない、時間を空けて多少忘れている筈なのに何故かうまく使える。セレンディピティとは少し違うと思いますが、インプットの時間を空けることで脳内の断片的な知識が整理統合されて使える状態になっているのではないかと思います。
個人的にそんな経験を何度かしたので、今ではスランプに陥って勉強をする気がなくなっても、定期的な整理統合の時が来たのだと認識して、むやみに焦らず他の楽しいことをしながら脳の作業が完了するのを待つことにしています。完了すると自然にうまく使えてまた楽しく学習できるようになります。
HSK受験など期日を決めて学習している場合はそういう訳にもいかないですが、習得に中長期で取り組んでいる場合は自分の気分に合わせて意識的に「寝させる」ことが大切だと思います。
「思考の整理学」まだの方は是非ご一読下さい。
思考の整理学 (ちくま文庫)
近年日本では自然災害が多く、中国の方が安全だと思ったりしていましたが、2020年夏、中国も危険な状態になっています。
中国は6月から続く豪雨によって各地で洪水や土砂崩れの被害が生じています。80年に一度、史上最大ともいわれています。7月13日現在で死者・行方不明者は141人にのぼり、被災者3789万人のうち224万人が避難を余儀なくされています。特に長江流域の6月から7月12日の平均降水量は1961年以降で最多で、南京地区では警戒水位を1m以上超えています。鄱陽湖や洞庭湖、太湖など長江流域の巨大湖の水があふれ、水位が上昇中です。堤防が決壊して周辺が冠水する被害も出ています。更なる大洪水がどこで起きてもおかしくない状況が続いています。
そして怖いのが三峡ダムの決壊です。長江は中国の長い歴史の中で何度も氾濫を繰り返してきたことから「中国の暴れ竜」との異名もあります。「長江の水を制する者は中国を制する」と言われてきました。そんな地域で中国100年の大計、三峡ダムの建設が進められました。着工は1993年、完成は2009年、予算総額2000億元(約3兆円)、原発16基分の発電量を誇る世界最大の落水型ダムです。1万年もつとの謳い文句でした。それが試験運用で無数の亀裂が走ったり貯水状態を航空写真でみると堤防が歪んでいたり、手抜き工事の疑惑もあり、専門家によると10年もつのか?という見方もされています。そして今年が11年目です。豪雨が続く6月末から放水を続けていますが間に合っておらず水位は上がり続けています。
三峡ダムが決壊すれば被災者は少なくとも4億人、およそ30億立方メートルの土砂が下流域の各都市を襲い上海までが水浸しになると言われています。長江流域に集中する中国経済実力の40%が潰滅しその回復には数年かかるそうです。
日本にいても中国にいてもやはり天災にはなす術がなく、自分自身で知恵を使って事前に回避に努めることが何よりも大切だと痛感します。せめて人災による追い討ちだけは勘弁してもらいたいものです。
中華街は世界各地にあります。大きな所ではカナダのバンクーバー。香港が中国に返還されることが決まった頃から大きくなり始めたそうです。多くの香港の実業家たちがカナダの永住権を取得して中華街を大規模に開発したそうです。香港をめぐる情勢の変化から今後ますます大きくなるかもしれません。19年にバンクーバーに行った際に現地のタクシーの運転手さんが「お金持ちの中国人が欧州製の高級スーパーカーを買うのが大ブーム」と言っていたのを思い出します。アメリカのサンフランシスコや日本の横浜の中華街なども有数の大きな中華街だそうです。中華街は中国語では唐人街とか中国城とか言われますが「唐人街」という人気俳優によるシリーズ物のコメディー映画があるほど、中国国内でも認知度が高いです。
対して日本街というものはほとんど聞きません。中国には日本料理のレストランなどが集まっていて多くの日本人が訪問する場所はありますが、日本人が集まって街を形成している場所は聞いたことがありません。アメリカのロサンジェルスに日本人街がありますが小さくて寂れているそうです。私が行った南米や東南アジアの国々でも聞いたことがありません。特に南北アメリカには多くの日本人が移住した筈なのに何故でしょうか?不思議に思って調べているとある方が興味深い意見を述べていました。曰く、日本人が作るのは搾取社会だからコミュニティーは育たないということです。「現地の日本人でこの人を頼れば大丈夫というような名士はほとんどいない。現地でのし上がるために日本人が日本人を騙す、日系企業は現地採用の日本人の給与を抑えて働かせる、コミュニティーでは若い男性は力仕事、女性は雑用を押し付けられる。そんなことなら別人種のコミュニティーやローカル社会に溶け込んだ方がむしろメリットがある」ということだそうです。
多少極端な気はしますが、確かに日本人として外国で現地の◯◯コミュニティーや◯◯さんを頼れば大丈夫みたいな話は聞いたことがありません。あるとすればJICAとか商工会といった公的な組織です。逆に誰かを頼って海外に出て一旗上げようという人も少ないと思います。日本人同士といってもあくまで他人、基本は自分の力でやっていく、そんな人が多いと思いますし、人間関係が希薄だともいえると思います。
中国の中華街の場合は力がある名士がいて行けば助けてもらえる、助けてもらった者はビジネスで成功したらコミュニティーにお金を落としていく。そんな助け合いの構造を通して人と金と情報が集まる、それが世界中で中華街が繁栄している理由のようです。
どちらが良い、悪いという話ではないですが、日本人にも初めていく国に中華街みたいなコミュニティーがあれば心強いだろうとは思います。
中国のテスラを目指すとしていた新興EV(電気自動車)メーカーの拜騰汽車(BYTON)が中国での事業活動を7月1日から停止することになりました。事業停止期間は暫定的に6カ月、その間に一部の幹部社員が会社経営の維持とリストラクチャリングを行い、それ以外の従業員は解雇はされず待機となるそうです。従業員への給料の未払いが総額14億円、順次払っていくそうです。
BYTONは3月に従業員への給与を支払えなくなり、4月末には上海オフィスを閉鎖、その後、南京本社で開発を率いるキーマンが離職、そして南京工場の電気も止められました。米シリコンバレーと独ミュンヘンのオフィスは既に閉鎖の手続きが始まっているそうです。
BYTONは17年に独BMWの元技術者などが設立した南京市に本社を置く会社です。中国の車載電池大手の寧徳時代新能源科技(CATL)や国有自動車大手の中国第一汽車集団が総額5億ドル(約537億円)を出資し、日本の丸紅も20年1月に資本業務提携を発表していました。しかし、2019年末に開始するとしていた生産は2020年になっても開始できず、中国政府の補助金の減少や新型コロナウイルス問題の影響で資金繰りに行き詰まったとみられています。工場も出来上がってからの事業停止、お金を使うだけ使って全く回収できない最悪の事態に陥っているといえます。
南京にできた会社なので南京の自動車会社や部品会社から大量の人材が引き抜かれました。新たな事業創出ですし給料も倍になるということで多くの人が喜び勇んで転職していきました。それが残念な結果になってしまいました。逆に誘いを断った人はほっとしています。完全に明暗が分かれた形です。
誘いを断った人に話を聞くと「BYTONは経営者が外国人で慎重過ぎるからかとにかくやることが遅い。EVブームが盛り上がった18 年頃に、企業PRだけではなく、生産はできなくても存在感を示す具体的な実績を残せなかった時点で競争の土俵に上がれなかった。(だから行かなかった)高級EV路線を目指していたがそこは既にテスラとNIOが市場を確立していて今更入る余地はない。」との意見でした。少なくとも中国市場においてはその通りだと思います。
研究開発に莫大な投資をして巨大な工場を作って一台も作ることなく事業停止。仮に再開できるにしても大きな路線変更を余儀なくされるでしょうし、瀕死の状態に陥った今、経営を支える優秀な人材が集まるのか、人材が定着する求心力を持つことができるのか、大いに疑問です。
中国語の原書で本を読むのはハードルが高いという人には先にストーリーを知ってから読むことをお勧めしています。国際的に話題になった「地球往時」三部作、第一部の「三体」に続いて第二部の「黒暗森林」の日本語Kindle版が発行されているのでお知らせします。
「三体」は原書で読み始めて途中で挫折して日本語版を読みました。「黒暗森林」は日本語版が出るまでに原書を読んでおこうと思っていましたが、知らぬ間に出ていました。実は私はまだ読んでいないのですが取り急ぎ紹介しておきます。
三体Ⅱ 黒暗森林(上)
三体Ⅱ 黒暗森林(下)
三体(1-3)(套装共3册) 中国語版書籍
中国は広く多くの人がいて中国人の特徴を一言では語れません。ただザックリ区切るとすれば北方と南方に分けられるようです。私は北は吉林省、南は江蘇省で仕事をしたのでその違いを体感しました。
まず北の人は比較的体が大きい人が多いです。女性でも170くらいある人はたくさんいます。そのためか食べる量も北の人の方が多いです。会社の食堂で工場の作業に従事する人などはビックリするほど大量のごはんを食べます。対して南の人は体はだいたい日本人と同じ大きさで、食べる量は日本人よりは少し多い気がしますが北の人よりは少ないです。そして酒の量も北の人の方が多いです。女性でも良い飲みっぷりの人がたくさんいます。
言葉は、北の人がはっきりしていて早口で巻き舌が多く使われ、南の人の方が比較的ゆっくりです。共通語として設定された普通語が元々北の言葉をベースにしているので、北の人にとってはさほど難しくなく、対して南の人にとっては方言が元の言葉で、普通語はいわば後から学んだ言語なので、北の人ほど得意ではないと聞きました。普通語に対して北は地方ごとの訛りはあるが方言はない、南は多くの方言があって差が大きいということらしいです。
性格では、北は率直でおおらかだけど気が強い人が多く、南は婉曲的で穏やかな人が多いイメージです。北の人は声が大きいし自分の意見をズケズケ言うので特には喧嘩になったりしますが、根はカラッとしているので悪いと思ったら素直に謝るし遺恨を残さないことが多いです。また、人情味が厚い人が多いので一度友達になったら強い味方になります。南の人は日本人に近いイメージなので日本人が付き合うのにストレスを感じることが少ない傾向にあります。
他にも気候の違い(北は極寒乾燥、南は高温多湿)、食べ物の違い(北は麺、南は米)、習慣の違いなどたくさんあります。北と南の特徴を把握した上で、郷に入れば剛に従えの精神でお付き合いするのが良いと思います。
中国人は日本人と比べて、知人との距離は近く、他人との距離は遠いです。この距離は物理的なものと心理的なもの両方です。親しくなると本当に近くなり、物理的なものでは至近距離まで接近します。異性の同僚でも日本人ではあり得ない距離に近付くのでドキマギする日本人は多いです。カップルや夫婦はもちろん、女性同士ではよく手を繋いで歩いています。心理的なものでは個人的な話を開けっぴろげに相談したり、頼ったり頼られたりしようとします。友達が困ったり病気になったりしたら、日本人には不必要と感じるレベルまで全力でサポートしようとします。そういう依存関係が親しさのバロメーターなのだろうと思います。もちろん個人差がありますし、大きく分けると北方の人の方が南方の人より距離が近い気がします。
対して他人との距離は遠いというか、ほとんど存在しないかのように意識しません。物理的なものでは自分が他人の邪魔になろうがなるまいが、迷惑を省みることなく自分の意思通りに行動します。ちょっとズレますが、車が来ようが電動自転車が来ようが一切見もせずに道を渡る人が未だにいて驚きます。よくこれまで事故に合わなかったものだなどど思いますが、それは私が見ていないだけで、実際には交差点で車が来ているのに自分が向かう方向に駆け抜けようとして轢かれる事故が多発しているようです。あるいは遠くの友達と話すのに目の前に人がいても大声で呼びかけます。心理的なものでは、自分と無関係な人はどうなろうが知ったこっちゃないといった感じです。食品に有害な化学物質などを入れて売り上げを伸ばそうとする食品業者の心理はその代表的な例だと思います。
日本人と中国人のどちらが良いとか悪いとかという話ではなく、そういう違いがあることを理解していれば余計な誤解や軋轢を生じずうまく対処できます。異文化コミュニケーションでは相手を知ることが自分を知ることと同じレベルで重要だと思います。
日本にはない中国の派手な演出の一つに宴会芸があります。以前は日本でも忘年会や社員旅行などで余興として個人や小グループでちょっとした芸を披露したりしていましたが、中国の宴会芸はそういうレベルではなく、数人のグループが何日もしっかり練習して衣装や舞台や大道具も揃えて本格的な歌や踊りを披露します。派手な宴会を慎む政策が取られてからは縮小しましたが今でも日本と比べたらずいぶん派手で見応えがあるものです。
15年ほど前からいくつかの会社の忘年会に何回か参加させて頂きました。その日のために芸を披露するグループでは2ヶ月くらい前から企画が始まり、1ヶ月くらい前から社内で練習が始まります。その時期には社内のあちらこちらで掛け声や歌が聞こえたり、集団で踊っていたりします。演劇の練習などもやっています。熱心なグループはほぼ毎日みっちり練習していて、こうなるともう仕事の進捗は絶望的です。上司も黙認というか奨励している様子でした。
そして当日、日頃仕事では地味でぼんやりした感じの人たちが、煌びやかな衣装に身を包み、華麗に(華麗でない人もいますが)歌い舞い、劇を演じる姿に驚かされます。中にはプロ級の歌や踊りを披露する人もいて感心させられたりします。大量の豪華な食事に高級白酒、当時は言葉が全然分からなかったので意味も分からずゲームに参加させてもらったりして、とても楽しいひと時を過ごさせて頂きました。何度もこういう宴会に参加させて頂くうちに私も何かやるべきかな?と考えて、学生の頃からやっている空手の形を披露したりしました。中国人にとっては珍しいのでそれなりに喜んでもらえたようです。
やっと忘年会が終わって仕事を進めようと思うと、今度は春節休暇に先立って一人二人と故郷に帰っていきます。そんな様子ですから忘年会シーズンから春節休暇明けまでは仕事は進まず、中国へはこの時期に出張するものではないということを痛感しました。
中国を敬遠する理由の一つに食の安全問題があると思います。ダンボール入りの肉まんや毒粉ミルク、排水の油の再利用などの事件は日本でも報道されて広く知られました。あれから事態は改善したのでしょうか?
事件は起こり続けています。中華まんをふわふわにするためにアルミニウム入りの発酵剤が使われていたのが発覚、13年には新鮮に見せるために湯葉に漂白剤などの化学添加物を入れていたのが発覚、14年にはリピート性を高めるためにケシの実を麺料理に入れていたのが発覚、15年には白く鮮度高く見せるためにホルムアルデヒドに浸したエビが売られているのが発覚した、等々。私が中国の知人に直接聞いた話では、安い蟹を高価な上海蟹として売るために酸をかけて腹部の殻を白くしている、肉に油、野菜に水を注入してカサ増ししている(これは常態化)、月餅は前年の売れ残りを出しているものが多々ある、粗悪アルコールを使った白酒を飲んで死ぬ人が毎年たくさんいる等々。調べれば調べるほど、聞けば聞くほどげんなりする話ばかりです。
もちろん食の安全は自国の重大な問題なので、中国政府は取り締まりを強化しています。おそらく改善は大幅に進んでいるのだろうと思います。しかし、一部の農業従事者や食品生産者の「高くたくさん売れさえすれば他人の健康被害など知ったことではない」という拝金意識が現時点で根絶されているとは考え難く、問題解決は至難の技だと思います。
そして衛生の問題もあります。市場や商店やスーパーでの店員や客の食材の扱いは、具体的に書きませんが、日本人的には信じられないほど不衛生なことが多いです。これは衛生に関する常識の違いなので仕方がないと思って、私はこういうところでは絶対に購入しないようにしています。一度見たら購入する気にはなれません。
食の安全の意識が高い中国の富裕層は、材料の産地から加工業者、検査結果までトレースできる高級食材店や、日本などの外国から安全な食材を取り寄せたりしています。外食は危ないからほとんどしないという方もいます。中国人自身が信用していない訳なのでやはり現状では安全とは言い難い状況なのだと思います。
中国に住んでいる日本人がこれから来る人に「問題ない」などとアドバイスしているのを見聞きすることがありますが、危険だと思っています。化学物質混入などは腹痛などですぐに分かるものではなく、体に蓄積していくだけに恐ろしいです。命に関わることなので念には念を入れて対応すべきと思います。
私の周囲には中国語を勉強してちょっとしたやりとりならできる筈なのに、聞いてニコニコしているだけで喋らない人が結構います。日本人は感じが良いので嫌われはしないのですが、聞いているだけではコミュニケーションが取れず相手にとっては何を考えているのか分からないので、なかなか人間関係を築けません。たくさん喋ろうとすると構えてしまうし、ずっと中国語で話を続けられると辛いという気持ちは分かります。「HSKで目標点をとるのが目的なので会話はしなくてもいい」と言いますが、それにしても会話をした方が実力はアップします。そこで簡単な返事や相槌だけでも中国語を口に出すことをお勧めしています。日本でも外国人が日本語で「そうですね」とか「すごいですね」とか一言でも口に出すとすごく親近感が湧きます。それと同じです。
使い易くて中国人の受け良い言葉は、好的(分かった)、是的(そうです)、厉害(すごいね!)、没错(その通り)、真的吗?(ホントに?)、对呀(そうだよ)、拜拜(バイバイ)などです。これだけでも相手には十分に意図が伝わり親近感が湧く筈です。そしてこれだけならその後無理に続けて会話する必要もないので、当面はこのレベルで簡単なコミュニケーションを続ければ良いです。そのうちに互いに親密になってきて話し易くなり、少しずつ無理なく会話ができるようになると思います。
中国語初心者の人向けに読み方にカタカナをつけているテキストがあります。とっかりとしてはアリかもしれませんが、使い続けない方が良いです。
拼音を勉強するとカタカナ表記では音を全然表せていないことが分かります。YouTubeの李姉妹chで検証していました。お姉さんの日本人彼氏にカタカナ表記を読んでもらってそれを中国人姉妹が理解できるかという検証ですが、平易な表現はなんとか理解できていました。ただそれは中国語の語彙が豊富で、且つ日本語の音も知っている姉妹だからこそ推測できた部分が多々ある筈で、通じたとは言い難いものだと思います。実際に音を聞いてみると私には全く分からず、中国人はそもそも中国語を話そうとしていることすら理解できないと思います。
そして何より危険なのがこの間違った音が完全に定着してしまい矯正不能になることです。私はそれで散っていった人を知っています。その方は元々中国語が大好きで独学でカタカナ中国語を覚えてその後改めて中国人の先生に習いましたが、1から拼音をやったにもかかわらず発音いつまでも発音ができませんでした。先生に「独学で覚えたことは一旦全て忘れて下さい」と言われていましたがそれは難しかったようです。結局あんなに好きだった中国語を諦めてしまいました。
いろんな考え方があるでしょうが、個人的にはカタカナ中国語には触れない方が良いと思います。
中国での仕事が長い人と話す時によく出る話に「中国はもう面白くなくなった」というのがあります。中国は今ではすっかり発展して90年代や00年代にあった意外性とか冒険的要素がなくなってしまったということです。私もそう思います。今の中国にいても日本と同じ、或いは日本より便利な部分すらあって、異国感はすっかりなくなってしまいました。もちろん中国としては良いことなのですが我々のような人間は一抹の寂しさを感じます。
以前あった冒険的要素は、例えばフライトであれば大幅な遅れは当たり前、天候不良や突発事態で目的地と違う空港で降ろされて、そこからどうすれば良いのか連絡がない、あっても言葉は分からず説明や案内も要量を得ないからさっぱり分からない、分からないままついて行ったらロビーで待てと言われるだけで何も手配されず朝まで、とか、ザラにありました。国内出張しようも切符を買う場所も買い方も分からない、から始まって、どの列車に乗れば良いか分からない、駅から急ごうと怪しいバイクタクシーに乗ってみたり、ぼられそうになって喧嘩したり、出張先の会社の人と懇親会で酒を飲んでホテルに連れて帰ってもらえなかったり、先方が予約したと言ってたホテルに予約が入っていない、等々、油断も隙もありませんでした。そういうカオス状態をサバイブすることにある種の満足感や達成感を覚えていたものです。仕事が終わって帰国便のトランジットで韓国の仁川空港に着いたら文明圏に生還した安堵感があったものです。
最近になって中国と付き合い始めた人から「やっぱり中国は難しい」的なセリフを聞くと「そんなふうに感じるのだな」と不思議に思ったりします。もちろん今でも日本との違いは大きく簡単にいかない部分はたくさんありますが、以前のような意外性の無間地獄のような難しさとそれに対峙するワクワク感は私にはもうありません。我々古い人間が愛した「なんでもアリのカオス中国」はもはや戻ってきません。少し寂しいです。
中国では小区内で遊んでいる子供をよく見ます。私が住んでいる小区にもちょっとした広場と遊歩道があり、お母さんやお婆さんに連れられた子供たちがたくさん遊んでいます。ベンチに座って眺めていると話し声も聞こえてくる訳ですが、当たり前ながらその中国語のうまさに驚きます。こちらはもう8年近く中国語をやっていてまともに話せないのに、どう見ても5歳にもなっていない子供が上手に会話しているのを聞くと天才ではないかと思ってしまいます。たまに話しかけられて答えたら発音が悪くて怪訝な顔をされた時には、思わず肩を落としてしまいます。子供の方も見た目から外国人だとは思っていなかったからか驚いて親に報告に行きます。向こうの方で何やらヒソヒソ話しているのを見ると差別されているようで何だか悲しくなります。子供はストレートです。
子供の話に耳を傾けるのは良いリスニングの練習になります。平易で短い話し言葉が多く、ゆっくり発音するので聞き取れる部分が多く、満足感が大きいです。そして観察していると子供が言葉を覚えていく過程が分かって参考になります。子供は友達や親に話しかけ、相手の言葉を聞いてそれを真似たり質問したりしながら、そのトピック関連の用語や言い回しを喋りながら丸覚えしていくようです。何度も繰り返し口に出すことの重要性が分かります。
子供に話しかけられて返した中国語が通じると大きな満足感があります。ただ、そのまま会話を続けると下手なのがバレてしまうので、早々に切り上げるのは言うまでもありません。
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