2020年のCOVIDー19(新型コロナウィルス)では一般的な中国人の特徴がみられたと思います。あくまで一般の日本人との比較ですが、政府の指導もあり、感染を大いに恐れて防護に真剣に取り組む人が多かったです。中にはパニック状態になり極端な行動をとる人もいました。逆に日本人の危機意識が中国人に比べて低いということでもある訳ですが、違いそのものが興味深いと思いました。
報道されていた極端なものは、中国での感染拡大が春節の時期だったことで親族が里帰りするのですが、自宅へ入ることを禁止して追い返すようなケースでした。窓からお年玉を投げ付けて「それを持ってさっさと帰れ!」と。確かに感染防止のためには正しい対策ですがもう少しやり方があるのでは?と思いました。身近な例では、新規感染の拡大がある程度収まって自宅待機命令が解除されても、恐くて家から出られない人が一定数いました。外気を吸ったら感染するのではないかとまで心配されていたそうです。公共の交通機関を使わざるを得ない場合にゴミ袋で身を包んで頭部には水用の容器を被っている人もいました。小区でバリケードをはって外部からの訪問者の入場を阻止する場面もありました。日本や韓国で感染が拡大し始めた時には、日本人韓国人というだけでずっとその街に住んでいて他の都市や国に行っていない人までも恐れられ、近隣の住民が彼らの部屋の扉に監視カメラを取り付けたりしました。
中国人の同僚からは「あなたたち(日本人)が呑気に構えているのが理解できない」と言われました。日本での感染初期、マスクがまだ市場に出回っている2月に、中国人の同僚に「日本の社員はマスクはしているのか?」と聞かれ「3割くらいはしている」と答えると、日本にマスクを送る準備を始めようとされました。マスクが足りないから着けていないのだと勘違いしたのです。当時は日本人は感染のリスクを軽視していてマスクを着けた人も基本的には花粉症対策でした。
日本人が呑気なのは、地震や台風などの自然災害が多く、ある意味場慣れしているからではないかという分析が中国メディアで報道されていました。
コミュニケーションを良化するという目的においては、何故このような違いがあるのか、どちらが良いのか悪いのか、を議論することにはあまり意味はなく、基本的な考え方や行動様式の違いがあるということを理解しておくべきだと思います。
日本と中国の間にはまだまだ偏見や疑念に根差した人心の隔たりがあり、そのために互いの不利益になっていることがたくさんあると思います。中国側は発展していく過程で日本を参考にしたり、買い物目的から始まった日本旅行が盛んになったり、アニメブームなどで若い世代を中心に日本に興味を持つ人が増えたりと、ある程度日本への理解が進んできたと思います。一方の日本側の中国への理解が進んでおらず、これは今や日本にとって非常に不利益な状態だと思っています。
個人的には2020年のコロナウイルスへの対応でそれがよく分かりました。感染拡大防止について、感染が真っ先に拡大した中国の取り組みは良くも悪くも諸外国にとって先行事例でした。人命にかかわることです。成功であろうが失敗であろうが事実としてそれを素直に研究し応用展開すれば命が救えたかもしれません。しかし日本はどうもそういう研究をしているようにはみえず、中国の情報を得ても斜に構えて眺めているだけ。感染者数の隠ぺいとか極端な隔離策とか、日本人にとって「中国ニュースとはかくあるべき」みたいな情報のみを面白おかしく語るだけで、自国の益になるものを学び取ろうという姿勢に欠けていると思います。結果、中国の感染拡大を「中国はダメだなぁ」と評論家然として眺めていた日本は人口比でみると中国以上のパンデミック状態になりました。
中国政府が意図的な報道をすることは多分にあります。しかし程度の差こそあれ、それはどの国にもあります。素直に学ぶ姿勢があれば、情報から意図的な部分を差っ引いて、何か役に立つものを取り入れる筈です。個人の付き合いで考えてみても、仲の良い友人の情報は、たとえその人に誇張癖や隠ぺい癖があったとしても、どこか利になる部分を見出して取り入れる筈です。また、先行したのが中国ではなくアメリカだったらどうでしょう?何でも盲目的に取り込むだろうことは想像に難くありません。
過去に中国に関わっていい思いをしなかった人たちがなかなか認識を変えられないのは、似たような経験をしてきた者としてよく分かります。「だって中国って〇〇でしょ?」をいつまでも払拭できない。しかし、ものすごい勢いで変化を遂げている中国はもはや明かに過去の中国ではありません。人もどんどん変わっています。若い人などは日本の若者よりよっぽど品がよく優秀な人がたくさんいます。それを理解しないと次第に取り残されることになります。
生き残り繁栄していけるのはその時点の富める者でも賢い者でもなく、変化に対応していける者です。中国に対して過去認識はとりあえず置いておいて、現状の事実ベースで理解していくようにすべきです。
2020年のCOVIDー19(新型コロナウィルス)の感染拡大の時に我々外国人は戦々恐々として中国に入国した訳ですが、そんな我々を力強くも温かく受け入れてくれるたくさんの思いやりが嬉しかったです。
まずは中国への移動の機内で衛生管理のスタッフが「あなた達の安全は私たちが責任をもって必ず守る」と力強く宣言してくれました。これは大きな安心を私たちに与えてくれるものでした。ただ、中国語が分からない日本人旅行客が多いフライトでしたので通訳をして頂きたかったです。中国語が分からない我が同僚は意味が分からないので、そのものものしい様子に恐れ慄いていました。
南京政府からは外国人向けの通達が出されました。「あなた方は外国からの大切なお客様です。受け入れと生活安全には万全を期しますが、もし不都合があった場合は遠慮なく申し出て下さい」というような内容でした。
そして何より嬉しかったのが隔離ホテルのスタッフの対応でした。日本からの客だということで食事には特別に寿司や天ぷらを用意してくれたり、連絡用のWECHATのグループチャットには日本語通訳の方を入れてくれました。そして改めて住み心地はどうかと個別にメッセージをくれて、「本来の日本料理ほど美味しくはないでしょうが心遣いのつもりなので受け取って下さい」と。そして清明節には80人ほどいる入居者全員に手書きのメッセージを添えた青団を差し入れてくれました。
中国国内の感染が収まってきて外国で拡大している最中のことでしたので、中国としては外国からの訪問客は率直に言って迷惑だった筈です。(それが経済活動に必要なことだったにせよ一時的には)それにも関わらず思いやりをもってじっかり受け入れてくれて大変感謝しました。私の同僚は中国語があまりできませんが、ホテルのスタッフになんとか感謝の意を伝えたいと、下手な中国語で感謝のメッセージを部屋に残し、後日ホテルから感謝の意が伝えられるなど、心温まる話もありました。
2020年のCOVIDー19(新型コロナウィルス)は世界中の人々を疑心暗鬼に陥れた訳ですが、発生した場所、感染が拡大していった場所に応じて差別意識も拡大していく様子がきれいごとではない人間の本質を表していると思いました。コロナが発生した武漢の人を他都市の中国人が、中国人を日本人が、東アジア人を欧米人が、一周回って中国人が外国人を差別した経緯です。
武漢の人を他都市の中国人が差別した様子は報道で見ましたが、(背景は分からないのですが)武漢人だというだけで長い棒で叩いたり石を投げたりして排斥しようとする様子に戦慄を覚えました。その後日本では国内にいる中国人に中国人だというだけで危険視し差別する言動が頻発しました。その後欧米では東アジア人だというだけで差別をし、社会活動に東アジア人だけ参加させないという現象が発生しました。当時アメリカにいた知人が実体験として語ったところによると、「もともとマスクをする習慣がないアメリカでは東アジア人がマスクをしているのを見ると感染者だと誤認し差別を受けるので、恐ろしくてマスクを着けることができない」ということでした。実際、マスクをした中国人が地下鉄で暴力を振るわれたという話がありました。そして国内で感染が収まった中国人による外国人への差別。一般住民レベルでは排斥活動がありました。
地域性とか国民性とか特徴はあるのでしょうが、生身の人間の本性というのはどの国の人も同じようなものだと再認識した出来事でした。民族排斥や集団暴行につながらなかっただけ人間は成長したといえるのかもしれません。互いに相手を知らないことが過度な警戒心を生んで排他的な言動に繋がります。コミュニケーションにより分かり合うことがいかに大切か、考えさせられました。
2020年のCOVIDー19(新型コロナウィルス)の発生国の中国は、政府主導で徹底した感染拡大防止の対策がとられました。数字の精度に疑問があるという話もありましたが趨勢として約2か月(1−3月)で感染拡大抑制に成功しました。
感染拡大の傾向がみられ始めた1月中旬から即時実施したのが、企業や学校の休止措置、自宅待機、都市の封鎖、都市間の移動停止でした。市民生活においてもマスク着用の義務付け、自宅待機(外出禁止)。そして必要な医療施設を建設し感染者の隔離と治療に専念しました。これを徹底して継続しました。
経済活動は新規感染者が一定期間ゼロを維持できた段階から地方政府の責任で再開することを認めました。感染者を出したら自治体の責任者はクビなので必死です。会社ごとに感染者の有無、感染防止のルールとマスクや消毒液の備蓄の状況を確認の上、政府が承認したら営業を再開できる方策が採られました。
3月に入って国内の感染が一段落してからは外国からの逆輸入への対策です。入国者の14日間完全隔離での経過観察。私も経験しましたが、移動の機内でスタッフが「あなた達の安全は私たちが責任をもって必ず守る」と力強く宣言した後、機内での検温などの体調チェック、空港での問診、隔離ホテルへの送迎、隔離ホテルでの健康管理(PCR検査2回、血液検査1回、毎日2回の検温)と食事提供(ただし宿泊と食事の費用は自費)、そして無感染が確認できたものは証明のQRコードを取得させて、市内小区への入場に使用。
その後は外国人の入国を禁止しました。
4/4の清明節では国を挙げてコロナで亡くなった方への追悼を行ないました。10時から3分間の黙祷と警報。特に治療にあたって亡くなられた医療従事者が英雄として追悼されました。
共産党一党独裁には賛否両論がありますが、迅速に判断して対策を徹底するという意味では、このトップダウンの体制は非常に有効に機能したと思います。感染拡大がダラダラ続いた他国と比較するとよく分かります。
2020年のCOVIDー19(新型コロナウィルス)は世界中に災厄をもたらし社会を大きく変化させましたが、中国でも多くの変化がありました。中でも私が一番素晴らしいと感じたのが衛生観念の向上です。目に見える変化として路端のゴミや汚物が一掃されました。
コロナ以前でも上海や大連などきれいな都市はありましたが、私の住む南京では小さな通りに入るとポイ捨てされたゴミや飲食店で客が残した汁などが路端に捨てられて異臭を放っていました。暑くて臭いが拡散する日には息を止めてそそくさと通り過ぎていたものです。
それがコロナを機になくなりました。コロナ対策で2ヶ月間帰国していた私は南京に戻って見たこの変化に大変驚きました。以前のように目を背けて息を止めて通り過ぎようとしたのですが、なんとなく違和感を覚えて路端を見るとゴミや汚物がなかったのです。ひょっとして掃除した直後かも?と思って後日行ってみてもやはりきれいでした。中国で何年も汚い光景と異臭に悩まされてきた私には驚きと共にとても嬉しい変化でした。
中国はまた一つ大きな進化を遂げたなぁと感慨深いものがありました。
日本ではバブルの頃までは職場での飲み会が盛んに行われて、上司が部下に説教?しながらしこたま飲ませて連れ回すような場面がよく見られました。今の常識であればパワハラやセクハラまがいの光景がしばしばありました。それが90年代終盤くらいから徐々に変わってきて、現在では職場の飲み会といっても年に数回、強制ではなく若手や女性は参加しないということも普通になってきました。仕事の延長のような飲み会は敬遠され、仲間同士で楽しく飲むようになってきています。
中国の宴会は以前はまさに仕事そのもので、飲み会の場で親しくなりビジネスが決まるようなこともありました。ビジネスパートナーや上司への挨拶として白酒での乾杯も何度も何度も行われていました。日本よりも働く女性が多く平等意識も高いので、女性も男性と同じノリでガンガン飲んでいました。しかし近年ではそういった伝統的な中国の宴会は衰退してきているようです。
先ずは贅沢を控える国の方針により浪費を伴う派手な宴会が減ってきました。飲酒運転の処罰が厳格化されたことで宴会に参加しても飲まない人が増えてきました。また、近年では若い人を中心にお酒を全く飲まない人が増えてきました。更に女性の中には男性本位の飲み会に出ることを好ましく思わない人も増えてきているようです。日本のようにあからさまに欠席はしないまでも、仰々しく上司に挨拶をして白酒で乾杯するようなことはせず、お酒は飲まずに食事して談笑するに止めています。
社会が急速な変化を遂げている中国では、新旧入り交じった過渡期の状態のものごとが多く、宴会もその一つだと思います。この先数年もすれば日本と同じような気軽な飲み会になるのだろうと思います。そして旧来のやり方を変えられずにハラスメントで訴えられる人が増えてくるのではないかと予測します。
これまで主に大陸の中国人とお付き合いしてきて、自分の中で「中国人とは」という概念を形成してきました。この度、アメリカのシアトルに行く機会があり、そこで過去に移住してきた中国人や現在の中国人留学生たちに触れて、一括りにして語ることは不適切だと思いました。
シアトルには1800年代後半から日本人が移住し始め、1900年初頭には現在のインターナショナルディストリクトに日本人街が形成されました。当時の日本人のアメリカへの2大移住先がシアトルとサンフランシスコだったそうです。しかし戦争を機に退去させられ、その後そこに中国人が入り、現在の中華街になっているそうです。そこではブルースリーも住みカンフー道場を開いていました。
中国人も日本人も同じですが、国を飛び出し、自らの力で自らの人生を切り開こうとした人の多くはその土地に根付き、もちろん失敗した人もいるでしょうが大きく成功した人もいます。祖国に想いをはせる一方で、時には旧来の固定概念を否定しながらたくましく生きた人たちです。今祖国に住んでいる中国人や日本人と全く異なる人種に思えます。
中国の留学生については類型がありそうです。Globalに活躍するために自ら希望して海外に出たケースと、現在の中国の教育方法に疑問を感じた親が海外留学を進めたケースです。しかしきっかけはともあれ、いずれの場合も留学生そのものはオープンマインドで、周囲と明るく積極的に交流し、人脈や知識を得ることに貪欲です。どちらかというと生真面目で内向的な人が多い中国国内の一流大学の学生と全く違う印象を受けました。
祖国を離れて頑張る人たちに触れて、国や文化を大切にする一方で、それに縛られず個人として力を発揮し幸せを掴み取ることが大切だと思いました。
とてもいい刺激をもらいました。
異文化理解力――相手と自分の真意がわかる ビジネスパーソン必須の教養
休暇を前にして帰国しようと、南京の空港で並んでいてふと気が付きました。以前は中国の空港で並んでいると後ろから迫ってくる人のキャリーカートに足を小突かれてイラッとしていたものですが、最近それが、なくなった、とは言いませんが大幅に減ったと思います。
年配のおじさんやおばさんがやたらと前へ前へ進もうとして、前の人やスーツケースにゴツゴツ当ててきていました。日本人、一般常識がある人なら、自分のモノが人や人のモノに当たらないように気をつけますし、不注意で当たってしまうと謝ります。以前の中国人、もちろん人にもよりますが、そんなことはおかまいなしの人がたくさんいました。
私はそれがとても嫌で嫌で、やられてしまうとイライラして怒ってしまうので、年配の人の前はなるべく避けていました。不幸にも後ろに付かれてしまったら、スーツケースを壁にして不必要に前に出てこれないようにガードしたりしていました。私にとっては中国の空港ではそれが当たり前になっていました。
最近ではそれが大幅に減ったので、随分ストレスが少なくなりました。割り込みされないように常に見張っている必要もなくなってきました。私にとっては本当にありがたいことです。
中国人のマナーは劇的に向上してきたと思います。
中国のいろんな都市に日本料理屋さんがありますが、私の経験では大連の日本料理が一番美味しく、しかもとても安いです。他の都市に行くと地元の名物料理を食べるのが楽しみなのですが、大連では必ず日本料理を食べています。
私は大連に住んだことはないのですが、仕事や友人がいる関係で何度か行ったことがあります。日本人が多くいる中心部や開発区には美味しい日本料理屋さんが沢山あります。
友人によると、ひと頃に比べて日本人の数が激減して、日本料理屋さんの経営が苦しくなってきたそうです。各店は生き残りをかけて料理の味を磨き、地元の新鮮な海産物を使うなどコストの抑制も進めてきたそうです。そういう競争を勝ち抜いて繁盛している店は、日本で食べるより美味しく安いと実感します。
大連に行く機会がある方は是非日本料理を試してみて下さい。その美味しさと安さに感動されることと思います。
社会が急速に発展してすごく住みやすい環境に変わってきた中国ですが、外国人にとってはまだ難しい部分があります。現在困っているのは新幹線のチケットの購入です。中国人はネットで予約して身分証をかざすだけでOKですが、外国人にはそれができません。
アプリを使って予約まではできます。でもチケットを受け取るには発券所の窓口に並ばないといけません。自動発券機にパスポートの表示がありますが使えません。中国の駅は広くて発券所が遠くにあったり、中国人で並ぶ人はその場で列車を確認しながら購入したりするので、場合によっては非常に長い時間かかります。
だから私は出発の一時間前には駅に行くようにしています。
先日中国人の同僚たちと出張した際に悲劇は起こりました。大連から長春に移動するために朝の新幹線を予約して、タクシーで駅に向かったのですが、通勤ラッシュで大渋滞。同僚には外国人はチケット購入手続きが必要、余分な時間がかかるから早めに着きたいと伝えていたのですが、結局駅に着いたのは発車10分前。同僚たちは直接身分証で入れるので間に合うのですが私が間に合わない。同僚が駅員さんに強く交渉してくれたのですが、当然ダメなものはダメ。停車駅の関係で二時間後の列車に乗ることになってしまいました。
いずれは外国人にも便利な仕組みに変わっていくと思いますが、今のところはリスクを想定した行動を心がける必要があります。
キャッシュレスが進み現金を見ることが次第に少なくなってきました。いろんな国で仕事をしてきた私ですが、お金の扱いは昔の中国が一番酷かったと思います。
何が酷いかというととにかく紙幣が汚いのです。グチャグチャに丸めて握ってポケットに突っ込んだりするので、皺くちゃというかもはや紙団子。屋台の人たちが料理しながら触るので油でベトベト。それを汚れた手で何人も触るから真っ黒。メモや落書きもそこら中に。半破れもたくさん。触るのも財布に入れるのも嫌な紙幣がたくさんありました。
しかも、それを後生大事に綺麗にして持っていて、いざ店で使おうとするとなんと偽札。眺めたり何やらどんな機能なのか分からない機械に突っ込んで、偽札だと突き返されたりしていました。
今よりも人民元がずっと安く、物価も安かったこともあり、お金の価値というものがとても低く感じられて、出張が終わると余った元を中国人の同僚に全部あげて帰ったりしていました。
今では現金を見ることはあっても、あんなにくたびれ切った紙幣に遭遇することはほとんどありません。キャッシュレス万歳ですが、たまに紙幣を見ると愉快だったあの頃を思い出して懐かしいです。
漢民族を主な民族とする国以外で、漢字を日常的に使用しているのは日本だけです。古くはベトナムや韓国、北朝鮮も漢字を使っていましたが、ベトナムは識字率の向上のため、朝鮮半島ではハングルの発展に伴い、ほとんど使われなくなったそうです。
実は日本でも漢字の廃止を検討した時期があったそうです。しかし「漢字を廃することは、字が背負っている文化を捨てること、大きな損失になる」ということで却下されたそうです。それ以降、日本人は漢字文化を大切に守り、発展させてきました。同時に、アルファベットなど西洋の言語文化も柔軟に吸収して「日本語化」してきました。
そのような経緯を経て、現代の日本人は漢字を愛していると言って良いと思います。漢字文化はもはや日本の文化や魂だと認識されていると思います。
時代を経て変化してきたとはいえ同じ漢字文化、日本人と中国人は他の国の人よりも基本的な考え方が似通っていて分かり合い易い筈です。中国で生活しているとそう実感することが度々あります。
政治やメディアの影響で互いに歩み寄れない時代が続いていますが、同じ文化を持つ人同士、そろそろもっと素直に付き合い始めても良い時期だと思います。
中国語母語話者のための漢字語彙研究 ―母語知識を活かした教育をめざして
内モンゴル自治区出身のモンゴル族の知人がいますが、中国語はもちろん、日本語も上手です。青年期までほぼモンゴル語だけを使用し、大学に入ってから中国語を勉強したそうですが、すぐに習得できたそうです。もちろん、今では中国語環境で生活しているからというのもあり、中国語のコミュニケーションには全く問題がありません。
日本語は仕事の関係で1年ほど東海地方に滞在したそうですが、これもすぐに習得したそうで、日本語で会話しても大きな違和感を感じません。そういえばモンゴル出身の力士は来日して比較的早いタイミングで日本語を流暢に喋っています。
彼曰く、理由はモンゴル語の発音のバラエティーの多さにあるそうです。モンゴル語の発音の種類は中国語よりも多いので、モンゴル族にとっては中国語を話すのは簡単で、話せて使っているとすぐに習得できるそうです。中国語よりずっと発音が少ない日本語だと更に簡単、しかもモンゴル語と日本語は文法が似通っているそうなので、最も習得しやすい言語の一つのようです。中国語の発音が簡単にできるなんて、日本人にとっては羨ましい限りです。
しかし、オリジナルのモンゴル語は消滅の危機に陥っているそうです。モンゴル国で使われているモンゴル語は歴史の変遷の中で変わってきて、今ではロシア語と同様のキリル文字が使われており、オリジナルのものとは違います。オリジナル版は今では内モンゴル自治区の一部のモンゴル族でしか使われておらず、文化や風習が漢族と同化されると共に使う人がどんどん減っているそうです。「満州文字のように消滅してしまうのはとても残念、何とか繋いでいきたい」とのことでした。
内モンゴルのモンゴル族の間で流行っている歌を聞かせてもらいました。歌詞は全て縦に流れるような美しいモンゴル語で書かれていて意味は全く分かりませんでしたが、壮大で少し物悲しい曲調に、モンゴルの壮大な草原を想起させられました。
モンゴル語のしくみ
一般に中国人は日本人より英語が上手いと言われます。確かに会社で中国人の同僚と英語で会話したら、その流暢な表現力と発音に舌を巻くことがあります。
近代の中国では英語熱が非常に高く、多くの人が英語を学んでアメリカに行ってみたいと思っているようです。少し前の映画ですが、中国合伙人(American Dreams in China)を見るとその熱気がヒシヒシと伝わってきます。
学校では一般には小学校三年生から、大都市では一年生から英語教育を始めています。しかも、裕福な家庭ではべらぼうにお金をかけて子供に塾で英語を学ばせているようです。先生はネイティブで二時間の授業を月4回で30万円、しかも先生一人に対して生徒は10名などという話も聞きました。競争が激しい現代中国、みんな習っているから習わないといけない雰囲気だそうです。英語ネイティブは中国では大儲けできそうです。
そんな調子ですから、日本の中学校で習うレベルの英語は、中国では小学校で学習済みということになっています
日本語使用者より中国語使用者の方が英語学習に有利だということもあります。中国語は語順や文法構造が英語に似ています。そしてなんといっても発音、中国語は母音だけでも30以上と英語より多いので、英語の発音はほぼ全てカバーできるようです。対して日本語は母音数はたった5つ、英語の発音を習得するのは大変です。日本人が英語が下手だと言われる所以はこの発音の問題にあります
グローバルでの活躍、中国との交流を志す者にとって、中国語はおろか英語もダメでは話になりません。「言葉ができなくてもなんとかなる」などとうそぶいている人がなんとかなっているのを、私は見たことがありません。
語学学習、言い訳なしでストレートに頑張りましょう!
よく「中国人は面子を重んじる」といいます。そう言われるとなんとなくプライドが高かったり取っつきにくいイメージを持ってしまったりするのではないかと思います。私も異文化交流の講座でそう教えられて、少し構えて応対してきました。しかし、15年ほどの中国人との付き合いを経て思うのは、「面子を重んじるのは日本人も同じ、むしろ日本人の方が気にするのでは?」ということです。つまり日本的常識で付き合えば、中国人との交流において過度に気を付けることはないと思います。
もちろん「大勢の前で非難しない」とかの配慮は必要ですが、それも日本人には常識的に判断できると思います。中国も日本も儒教がベースになっている点で共通性が高いのだろうと思います。
日本はその上に「恥の文化」といわれる、他人に対して恥ずかしい振る舞いをしたくないという観念があって常に言動に気を配っているので、非難されると大いに狼狽えたりします。
中国人で特徴的だと思うのは、他人を慮るがあまりに会議などで人の意見に反することをあまり言わないため、なかなか結論を導き出せないことです。個人では直接的で分かりやすい性格の人が多いのに、集団になると急にモゴモゴした感じになってしまうのは、そういうところに原因があるのだろうと思います。
中国人は日本人に比べて怪我が多い気がするのは気のせいでしょうか?男性はもちろん、女性でも傷跡がある人が多い気がします。
公園などで小さな子供を観察していると、周囲を確認せずに急に動き出す子がたくさんいます。結果、ぶつかったり転んだりしています。子供の頃に刃物で遊んでいて頭を切ったとか、振り回している棒で頭をぶん殴られたとか、乱暴な遊びの話も聞きました。
道を歩いていても、たくさんの人や電動自転車などが交通ルールを無視して横切ったりしているので、ぶつかったり転んだりしています。
特に電動自転車は危ないです。最近宅配の需要が増えたので激増しています。リミッターを解除すれば実質50キロくらい出るアレが、ルール上は自転車として扱われていて何でもアリ状態になっています。信号無視、歩道走行、逆走、危なっかしくて仕方がありません。人にぶつかったり車にぶつけられてひっくり返っていたり。規制すべきだと思います。
中国の皆さんには、もう少し注意して行動することをお勧めしたいです。
中国人は人間関係を大切にするので、誰かにお世話になる時にはお土産を持っていく場合が多いです。会社の人の場合、特に多いのが多いのが白酒です。両手にいっぱい抱えて持ってきます。しかし、私が知る限り白酒が好きだという日本人は少ないので、正直言ってあまり喜ばれません。もらっても持て余してしまいます。そこで、事前に「要りません」と告げても、やっぱりニコニコ笑いながら大量に持ってきます。ひょっとして遠慮して断っていると認識されているかも?と思って、はっきりと「持ってきてくれても日本人には好きな人が少なくて飲まないのですよ」と告げても、やっぱりニコニコ笑いながら大量に持ってきます。
何故そこまでして持ってくるのか不思議に思って、ある人に聞いてみると「白酒は中国の文化の象徴で、友好の証です。だから、それをプレゼントして受け取ってもらうことに意味があるのです。味や好みの問題ではないのです」と。
なるほど、そう言われては受け取らない訳にはいきません。そのようにして職場の物置には行き場のない白酒が積み上がっていくのです。
日本人的感覚ではなかなか理解し難いことの一つとして、部下が上司に奢るということがあります。日本では通常上司が部下に奢ります。一般に収入も多い訳ですし、先輩が後輩に奢るというのが極めて自然であるように思います。しかし、中国の会社では逆で、部下がお世話になっている先輩や上司に奢ります。また、下請け会社やサプライヤーが客先企業の関係者に奢るというのも普通に行われます。考えてみれば、その人のおかげで自分の繁栄があるのだとしたら、その人を接待するのは当然といえば当然で、合理的だと言えるのかもしれません。
私も中国人の部下がいることもあったのですが、出張先などで食事をしたりすると必ず部下が払おうとします。支払いも上手なもので、先にこっそり会計を済ませていたりします。日本人的には、奢ってもらった嬉しさより申し訳ない気持ちが先立って、何ともすっきりしない気持ちになったりします。
サプライヤーとの飲食などでは、大いに飲み食いさせ、夜の娯楽も奢り、最後にはお土産を持たせたりします。日本では会社によっては完全にコンプライアンス違反になります。お金を払うと言うと相手の好意を受け入れないことになり、失礼に当たります。だからサプライヤーとのお付き合いは最初からお断りせざるを得ないことになります。
同じ意味で割り勘も嫌われます。奢り奢られで関係を続けていくという考えなので、割り勘にするというのはその場で関係を終わらせるという意味にとられます。だからといって次回は奢ろうとすると「いやいやここは私が!」と言われて、結局払わせてもらえなかったりします。
文化・習慣の違いということなのですが、相手の面子も立てないといけないので、大変難しいです。日本人としてはこうして奢られてもちっとも嬉しくなく、むしろ申し訳ない気持ちでいっぱいになるということも理解してもらわなければなりません。
通訳さんは外国人同士のコミュニケーションに重要な役割を果たします。見ていると毎日毎日大変な苦労をされているのが分かります。
まずは下手な日本語を通訳させられることです。私は日本人なので詳しくは日本語しか分からないのですが、日本人が聞いても何が言いたいのか分からない人は沢山います。当然相手側にもそういう人はいる筈です。そういう人の通訳をする時、何と訳したら良いのか分からない様子がありありとうかがえ、気の毒になります。内容もさることながら、方言がきつかったり、ぼそぼそ喋って聞こえなかったりする場合も大変苦労されています。はっきりものを言う通訳さんは、「何が言いたいのか分からない。一度頭の中で整理してから話して下さい!」とか「もっと大きな声ではっきりと話して下さい!」とかズバズバ言って、日本人がタジタジになるようなケースもよくあります
あるいは板挟みになってしまうことです。双方の主義主張が違う時には、間に入っている通訳さんがどちらからも嫌われてしまったりします。「私が怒っている時はあなたも怒った口調で、感情を込めて訳して話して下さい」などと言われると本当に困っています。結果的に双方に対して怒った口調で話すころになるので、どちらからも反感を持たれてしまい、何故だか通訳さん一人が嫌われ者になってしまったりします。
そしてやっぱり一番苦労しているのが飲み会です。一対一ならまだしも、大勢が参加する宴会に通訳さんが一人だと、全員が勝手気ままにいろんな角度から話す訳ですから、とても対応できません。ちょっと会話が途絶えた隙にサッと食べようと思っても、またすぐに誰かが話し出します。そうやってなかなか食べられないのですが、お酒だけは何故か一緒に飲まされます。そうして喋り疲れてクタクタ、空腹のところにキツイ酒を何杯も流し込まれフラフラ、そうやって可哀想な通訳さんの夜は更けていくのです。
そんな通訳さんたちを見ていると、私は仮に中国語が上手くなったとしても、通訳をするのは無理だと痛感します。そんな苦難をものともせず、いつもタフで明るい通訳さんを心から尊敬しています。
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