世界四大文明の発祥の地、古代先進国だった中国へ、日本人は古くから学びに行っていました。最古の留学は遣隋使です。遣隋使は600年に始まり計4回行なわれました。1回目と2回目の目的は朝鮮半島への遠征のために隋を味方につけようとする政治交流が目的でした。2回目の607年には小野妹子が派遣されましたが、隋の冊封体制を受け入れなかった為もの別れに終わりました。
608年の3回目の遣隋使で再度小野妹子が大和朝廷の返書を持って行ったのですが、何人かの留学生も同行しました。これが最初の日本人の中国留学だと思われます。彼らは20年以上も中国で学問や仏教を学び、隋の滅亡と唐の建国を見届けて帰国しました。帰国して学問の振興や政治改革に貢献したそうです。特に唐の精度を真似た律令国家を作り上げるにあたって、彼らが得た知識は重要な役割を果たしたそうです。
隋が滅亡して唐の時代になると遣唐使として派遣が続けられました。630年から894年まで、約250年続きました。唐の進んだ文化や政治の制度、当時日本で栄えていた仏教を唐で学び、それを日本に持ち帰って活かすことが目的でした。阿倍仲麻呂や空海、最澄、山上憶良などが有名です。阿倍仲麻呂は唐で官僚を育成するための「太学」に入学し、国家公務員試験の科挙の進士科(最難関)に20代半ばで合格した超優秀な人だったそうです。その後玄宗皇帝の信任を得たが故に帰国が許されず、許されても航海事故で帰国できず、唐で官僚として命を全うしました。また、鑑真など、唐の僧侶が日本に仏教位を広めるために渡航してくることもありました。遣唐使は唐の衰えと共に菅原道真の進言により廃止されました。
その後は日宋貿易や明国との勘合貿易へと続きますが、政治的な交流と貿易が主な目的だったようで、記録が少ないことから中国から何かを学ぼうという意図は少なかったのではないかと推測されます。その後は日本が室町の乱世から戦国時代になり、その後の江戸幕府が鎖国政策をとったため、明国・清国との公式な交流はほとんどありませんでした。その後明治維新で近代化のモデルを西洋に求めたため、留学生は欧米に派遣されることになり、中国への派遣はありませんでした。
中国への留学が復活したのは近代です。中国の改革開放の成果が出て経済発展を始めた1980年代後半頃から日本にも中国に注目する人が増え、国の政策ではなく自費で留学する人が出てきました。日本人の留学先はアメリカ、イギリス、オーストラリア、カナダの英語圏が多いですが中国が年々増えてきています。中国に留学した学生を採用したいとする企業も年々増えています。今後中国は国際社会で更にプレゼンスを高めるでしょうから、中国を目指す日本人もますます増えていくと思われます。
中国から日本へ、日本から中国への留学の変遷をみてきて分かったのは、日中対立と各々の国の混乱があった時期以外は、教え教えられの歴史が繰り返されていることです。大きく見ればまずは日本が中国から多くのことを学び、近代化は中国が日本に学び、現在は相互に学び合っている状態だと思います。引き続き互いに刺激し高め合う関係を構築していきたいものだと思います。
日中関係史 1500年の交流から読むアジアの未来
中国人の日本への留学は清朝末期の1896年から始まりました。日清戦争に負けた清朝は近代化の必要性を痛感し、西洋のモデルを学ぼうと考えました。当時は日本が先んじて西洋モデルを導入していたので、近くてコストがかからない、言語が似ていて理解が容易な日本への派遣を決めたそうです。最初に派遣されたのは13名、嘉納治五郎の塾で学び、早稲田の政治科を卒業した人もいました。地方政府からの派遣も始まり、その多くは軍事を学んだそうです。
1900年の義和団事件で八カ国連合軍に首都北京を占領され巨額の賠償金を取られてから、清朝政府は富国強兵を目指して新政を開始しました。そのために大量の知識人が必要とされ、1903年から大規模な日本留学が実施されました。官費生だけでなく自費生も多く、そして政治的関心が高く法制や教育を学ぶ人が多かったそうです。欧米の留学生から科学者が多く出たのに対して、日本留学生からは政治家や軍人、文学者や芸術家が多く出ました。前者では周恩来、陳独秀、蒋介石ら、後者では魯迅などが知られています。清朝政府が清国を強化するために派遣した留学生たちが国を変える人材に育ってしまったことは、歴史の避けられない流れだったのでしょう。ただ、あまりに多くの学生が送り込まれたために教育が不十分だったケースもあったそうです。
中華民国成立後も日本への留学は続き、1914年頃から1930年代まで多くの留学生が日本に向かったそうです。その時期は日本軍の中国侵略により日中関係が徐々に悪くなり続けた時期なので、抗日救国のためにまず日本なるものを見極めようという意味あいが強かったと分析されています。数量的には清朝末期の方が多いですが質的に大きく向上して、東京帝大や京都帝大などの名門大学を卒業する人が増加したそうです。そして1937年の盧溝橋事件をきっかけに中日全面戦争が始まって、日本への留学は中止されました。
再開したのは1973年、中華人民共和国との間で中日国交回復の翌年です。僅か5名でしたが和光大学の聴講生として日本語や日本史を学びました。そして本格的な再開は改革開放後の1979年からで、国費による158名の派遣でした。文化大革命の影響で学校教育期間が短縮されていたのでそれを補うために長春の東北師範大学で赴日留学予備校を設置し、予備教育を施した上で日本に派遣されていました。大学院への派遣が進むと大連外国語学院でも予備教育が行われました。日本から派遣された教員が教育にあたっていたそうです。
その後時を経て、現在では自費留学生が増えました。彼らの進路は全て個人の意思によって決められるので、以前は日本で職を得たり結婚したりして日本に留まったり、第三国に向かう人も多かったですが、中国が経済発展するに伴って帰国する人が増えてきたそうです。留まるにしても帰国するにしても、留学生が中国と日本の相互理解に果たす役割は大きく、友好関係の構築に向けた重要な人材です。
中国人エリートは日本をめざす なぜ東大は中国人だらけなのか? (中公新書ラクレ)
近代中国の留学がどのような経緯で進んできたか調べました。大きくは、①1870年代の官費でのアメリカ留学、②1890年代の欧米・日本への留学、③1950年代から60年代の旧ソ連への留学、④文化大革命後・改革開放時代の国費留学、そして近年の⑤自費留学の拡大と分けられるようです。④⑤についてみていきます。
改革開放では自然科学や科学技術の習得を目的に、海外への留学を体系的に実施しようと政府教育部主導で公費派遣が企画されました。かなり試行錯誤があったようです。1978年に選ばれた優秀な学生3000人の派遣先として選定されたのが、最多がアメリカで700人、そして日本、西欧諸国、カナダ、オーストラリアやニュージーランド等の二十数か国に30人から400人とし、各国の支援を要請しました。自費での留学も徐々に認められてはいましたが少なかったそうです。78年から80年代中盤までは留学して知識を身に付けたら基本的には帰国して、国の発展に尽くすというスタイルでした。
1986年からは経済発展の状況に応じて制度面で拡大がみられました。国家派遣、機関派遣、自費留学の調整が進み、多様化されていったそうです。この時期に私が通っていた日本の大学にも多くの中国人留学生が大学院生として来られていました。非常に優秀な方々だったそうですが、昼は講義、夜はアルバイトとずっと活動されていて、私はほとんど話す機会はありませんでした。この頃から、帰国しても良い就職先もないということから、留学を終えても帰国しない学生が増えて、中国は人材の流出に悩まされました。そのため、公費留学を帰国を前提の制度に変えるなどコントロールを強化しました。
1992年には制度の大きな見直しが行われ、公費留学の選抜方法は改善され自費留学の政策が緩和されました。そのため都市部を中心に留学ブームが起きました。その後、自費留学者が公費留学者を上回るようになりましたが、帰国促進政策を充実したこと、そして経済発展により国の魅力が高まってきたことで、帰国率も高まってきました。紆余曲折はありましたが、最終的に海外で学んだ優秀な学生が帰国して国の発展に尽くすという好循環になっているのが現在の状況のようです。
実際今の中国では、海外からの帰国者が経済発展や技術イノベーションに貢献する事例が多くなってきているようです。現在もたくさんの中国人が海外に留学していますが、将来彼らがグローバルに活躍することで、中国のプレゼンスを更に高めていくでしょう。
近代中国では文化大革命によって10年以上の知識人の冷遇や抑圧があり、1977年に制度を見直し78年から大学教育を本格的に再開しました。後に大成功した改革開放は教育制度の改革から本格的に始まったといえるようです。しかし、当初は大学の研究員や教員などは極めて乏しくなっていて、量的不足、質的貧弱といった状態だったそうです。そのために海外先進国から学ぼうと、留学制度も改めて設定されました。
大学教育本格再開当初の進学率は3%程度で相当優秀な人ばかりだったですが、勉強ができても家庭条件などを理由に入学を拒否される場合もあったそうです。アリババ創業者のジャック・マーは80年代の高考経験者で、入試に2度失敗して3度目にようやく合格したことを謙遜して語っていますが、全体の中ではひと握りの優秀な方だといえます。短大専門学校を含む大学進学率は、78年から91年までは3〜4%(日本は35〜40%)、92年頃から増え始めて98年に9%(日本は約48%)、2010年には約25%(日本は約55%)、現在では約50%、日本はここ数年約55%のままで横ばい状態なので、日本に追いつき追い越す勢いです。
私はこの数字を実体験から納得しています。私が本格的に中国の方々と仕事をするようになったのは2004年ですが、合弁事業としてしっかりタイアップして仕事ができると実感し始めたのが10年後の2014年でした。会社の実務リーダーが仮に35歳から40歳だとすると彼らは1992年から97年に大学に入学する年代、大学進学率が急増し始めた時の18歳です。優秀な方が政府機関だけでなく民間企業にも入ってきて、会社の中枢を担い始めるタイミングだったのだと推測します。
今や中国初のイノベーションが次々と出て科学技術や経済の発展を加速しています。時間はかかりましたが、教育改革の大きな成果が出てきたのだろうと思います。
中国では経済が発展していく中でのひとりっ子政策で、甘やかされ、勉学のみに偏った子供たちが増えました。大人になっても協調性がなくものごとを自分で決められないことが懸念されてきました。ひとりっ子政策は取り止めになりましたが、教育などの経済的負担を嫌って、2人目3人目をつくる夫婦は多くないのが実態のようです。ひとりっ子は両親と4人の祖父母の期待を一身に背負い、それ故に大変甘やかされてわがままに育っていきます。いわゆる「小皇帝」です。
そういう子供たちに礼節を教えるのに空手道は最適ではないかと考えます。中国で子供に習わせる武道は韓国のテコンドーが多いのですが、テコンドー教室を見学に行くとスポーツ的要素の指導がメインで礼節の指導は練習前後のお辞儀くらいしかありません。対して日本の空手は礼節、挨拶、教えてもらう態度や受け答え、道を極めるための心構えなど、大人子供に関わらずしっかりと教えます。それが中国の子供にも良い教育になると思うのです。
一方の教える側も、日本で空手をやってきたのにそれを十分に活かすことができない人がたくさんいるので、空手を仕事にする機会があるというのは非常に良いことではないかと思います。まさにwin-winです。
東京オリンピックで空手が再度世界中に認知され、中国でも盛り上がることを大いに期待しています。
中国では過去十年間で食品の宅配が急速に普及し、利用者は5億人を超え市場規模は約4兆円規模と言われています。配達員だけでも300万人規模。主要プレイヤーは合わせて市場シェアの9割を占める美団点評とアリババです。そのビッグビジネスが新型コロナの拡大によって変化してきているようです。
まずコロナ初期に外出を控えるということでフードデリバリーの需要は急増しました。しかしコロナが次第に深刻化していくにつれ、誰が調理したのか、配達中の衛生がどの程度保たれているか分からない、特に配達員は毎日多くの人と接するので感染リスクは高いのでは?ということで避けられるようになったそうです。しかし、自粛期間はフードデリバリービジネスにとってはまたとない商機です。大手二社は衛生不安を払拭するために、配達員にはマスク着用と体温測定、宅配ボックスの消毒を実施した上で、接触機会を出来るだけ少なくするために特定の配達地点で商品を受け渡しするサービスを展開しました。
そして最近目立ってきたのが食材のデリバリービジネス、農家や生鮮プラットフォームや従来型市場と連携し、安全新鮮な食材を配達しています。以前からあったビジネスですが一年くらい前から需要が急拡大し、コロナの影響で更に加速しているようです。特に若い会社員夫婦の利用が多そうです。いくら美味しくても毎日外食していたら飽きるように、加工食品のデリバリーもやっぱり飽きてきます。食材を得て自分で料理する良さが認識されてきたので、今後ますます拡大すると思います。
日本でもコロナ自粛が続きフードデリバリーが徐々に始まっていますが、それが進んでいくとやはり食材に行き着き、やがて新しいライフスタイルとしてコロナ後にも定着していくのではないかと思います。先行しているのはオイシックス、中国にも進出しているようですので、頑張って欲しいものです。
20数年前、90年代の終わり頃にいろんな国で仕事をしてきた会社の先輩から聞いた言葉に、「一旦南下して東回りに進んで最後の北上する順にだんだん分かり合えなくなる」というものがありました。その方の経験によると日本人が分かり合える順番は、台湾・パラオ→アメリカ→イギリス→欧州→中東→インド→東南アジア、そして最後が中国だというのです。西を向けばすぐ隣、見た目も使用する文字も似ているのに、価値観が違い、不思議なほど全く分かり合えないということでした。まだ私は中国のことを知らない時期だったので、とても不思議に思ったものです。自身の経験では、80年代終わりに住んでいた大学の寮に何人か中国人留学生がいたのですが、彼らは授業とアルバイトばかりで接点が全くなかったので、どんな人たちなのか知る機会はありませんでした。
2004年から中国の仕事を担当するようになったのですが、実際に中国の人と付き合ってみて先輩が言っていたことを実感しました。中国の前に担当していたコロンビアやタイの人たちと比べて明らかに分かり合える部分が少なかったのです。たとえ外国人であっても常識的にこう考えるだろうということを中国人たちはことごとく違う解釈をして、私が思いもしない方向に進んでいきます。特に不思議だったのは、個人で話している時は通じる話も複数人での話になると途端に訳の分からない方向に外れていくことでした。当時の私にはそれが全く理解ができず悩んだものです。古代から高度な文明を築き上げて常に日本の手本であった中国と、当時の中国人たちが全く繋がりませんでした。
そのうちに中国には日本ではあまり教えられない文化大革命などがあって、社会が混乱し教育が断絶していたことを知りました。よく観察するとどうやらその世代と彼らに影響を受けている世代が分かり合えない、そして近代的な教育を受けてきた下の世代には案外話せば通じるということが分かってきました。年配の人を敬う、トップダウンで上司は絶対、という考え方であるため、上がおかしなことを言っても慮ってあからさまに否定しないのだということも分かってきました。
中国はめざましい発展を続け、生活も経営も近代化してきたので、分かり合える度合いがどんどん増えてきました。最近の若い人などは日本の若い人よりも素直でスマートな人がたくさんいます。引き続き交流を続けることで更に分かり合えるようになると思います。
中国を過度に擁護するつもりはないですが、中国人がダメだという人の中には、90年代の中国人の印象が根強く、変化してきていることを知らない方が多いと思います。変わってきた中国を自らの目で確かめられたら印象は変わるだろうと思います。
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日本製品やアニメ人気の高まりや日本への旅行者が増えたにもかかわらず、反日教育やドラマの影響なのか、日本文化は今ひとつ中国大陸には浸透しない気がします。日本人にとって外国に来た気がしないほど日本文化が浸透している台湾と比べると、歴史的背景があるにせよ今ひとつの感が否めません。それでも少しずつ日本的なものが増えてきています。飲食店や行楽施設に日本語が使われるものも増えてきました。
温泉や抹茶などの日本のものがそのまま展開されているものに日本語が使われるのは当然ですが、中には中国のものにも無理やり?日本語が使われるようなケースがあります。その中でも最も多用されているのが「の」だと思います。
機械的に変えているだけなので意味的に首を傾げるようなものもあります。しかしそれは別の狙いの新しい使い方だと考えることができます。日本に和製英語がたくさんあります。ある記事で、アメリカ人が京都のお肉屋さんに「Flesh Shop」と書いてあるのを見て「Meat Shop」だと教えてましたが、店主らは頷いただけで変更はしなかったそうです。彼らにとってFleshかMeatかは問題ではなく、英単語を使っていたのは単に注意を引き付けるためで、肉屋であることは外から見れば分かるので、意味を伝える目的はなかったからだ、という解説がありました。
中国人はアニメなどの影響で日本的のものに楽しいオシャレなイメージを持っていて、日本語を入れることでその雰囲気を醸し出しているのだと聞きました。やり方として簡単な中国語の「的」の部分を「の」に変えて使うケースが多いようです
つまり中国でも日本の和製英語と同じ現象が起こっているのだと思います。「の」を使う中国の人たちも意味ではなくイメージを求めているのでしょう。それに気付いてからは意味的におかしな「の」の使い方でも納得するようになりました。
日本語が使われる新言語、今後の展開が楽しみです。
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中国のことを知る人が中国の全てを肯定している訳ではないということを知った上でコミュニケーションしないと、不要な誤解を招くので注意が必要です。
最近新型コロナのパンデミックの責任を問う話が引き金になり、知中派の方々の中国擁護のコメントに非難中傷が多くみられるようになってきました。しかし、ビジネスや文化交流を通してある程度中国との関係が深い方々は、中国の良いところを知っている一方、当然ながら悪いこともたくさん知っていて、実際に被害を被ったり苦々しく思っていたりしているものです。私自身も現在中国で暮らしている訳ですが、未だに定期的に中国への嫌悪感が高まって帰国したくなったりします。
知中派側の問題もあります。過剰に中国を擁護してしまうことがあります。まずは反発心からくるもの。報道や他人の意見が自分の知る中国と違って違和感を感じる場合、必要以上に擁護することがあります。次に同情心からくるもの。確かにまだまだ悪いのだけど良くなってきた改善代を過大に評価してしまうことがあります。客観的にみて私はこのパターンが多いです。
同じ事象でも捉え方の違いによって事実認識が変わってしまいますし、そこに感情的なものが加わると解離がどんどん大きくなります。中でも中国に関する認識の乖離は他国に関する認識の乖離よりも大きいのではないかと思います。世界一の人口、広大な国土、政治経済の変化の速さ等々、中国を最大公約数的に一律表現することにそもそも無理があります。そういったことを踏まえて非難中傷ではなく建設的な議論ができれば良いと思います。
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自動車業界100年に1度のパラダイムシフトを実現すべく、中国は電気自動車化に向けて国をあげて邁進してきました。莫大な補助金を与えて規模を拡大してきましたが19年7月に購入者への補助金を半減させたことをきっかけに販売が低迷するようになり、今では市場崩壊かとまで言われるようになっています。当初は100社以上といわれたEVスタートアップ企業も現在では体力がある20社程度に絞り込まれているそうです。そこに新型コロナが追い討ちをかける形になって20社も、そして上海に工場を建設したテスラも販売不振に悩んでいます。政府は2020年中には補助金を終了するとしていますが、終了したらそのままなくなってしまうのではないかといわれるほど深刻なようです。
実際に南京の状況をみてみると、中国のテスラを目指してようやく工場建設〜生産にまで漕ぎ着けたBytonは実生産に至れておらず休止中です。立派な外観の工場ですが静まり返っていました。NIOのディーラーにも人影は疎で、購入が進んでいる様子はありません。インフラの整備も充電スタンドは休止状態のものがありますし、以前より増えている様子もありません。街を走る電気自動車も数年前より減っている気がします。知人によると今では電動車は「网约车」ネット契約車=ネット上で騒いでいるだけで宣伝しているような実態がない車、などと揶揄されている状態です。
しかしそれでもこれからの大きな潮流は電気自動車なのだと思います。今後ドイツや日本のメーカーも参入して商品の質も量も上がっていき、生き残ったローカルスタートアップ企業との熾烈な戦いになります。そこで淘汰、統廃合を繰り返しながら高度化していって、本当のパラダイムシフトが起こるのだろうと思われます。
まだまだこれからだと思います。楽しみです。
2030 中国自動車強国への戦略 世界を席巻するメガEVメーカーの誕生
現代中国の特徴として外すことができないのが日本のAV人気です。中国で人気の日本人女性といえば、山口百恵、酒井法子、浜崎あゆみ、石原さとみ、と経緯してきましたが、近年では飯島愛、蒼井そらといったAV女優の人気が高まりました。
中国では性の話がタブーとされています。教育現場でも性教育は重要視されておらず「思春期の身体衛生」の授業が1~2回ある程度、家庭でも親は性についてほとんど語らないそうです。当然AVなどのポルノ系コンテンツの製作は禁止されていて、テレビで性的描写を見ることはほとんどありません。
しかし性は人間の3大欲求の一つ、止められるものではありません。禁止されればされるほど逆に興味を持つということもあり、ネットでAVを検索し続けます。中国人は欧米のAVはあまり興味がなく、想像で自分事化し易い(外見が似ているから)日本のAVが好きです。結果、日本のAV女優の蒼井そらがメディアに登場するほどの大人気になっていました。中国の男性で蒼井そらを知らない人は少ない思います。尖閣諸島の領有権が問題になった際のデモで「釣魚島(尖閣)は中国のもの、蒼井そらは世界のもの」との幕が作られていたのには驚きました。
日本にあって中国にないという意味で性関連ビジネスは大きな可能性を秘めています。ただ、やはりAVは文化的にはアンダーグラウンド、日本人として「日本=ポルノ」というイメージが強化されてしまっているのは少々残念ではあります。最近街にも無人のアダルトグッズ販売店ができていますが、そこに「日本」の文字が冠されているのはやはり抵抗があります。
日本に比べて中国には元気なお年寄りが多いと思います。女性であれば中高老年が夕方から広場に集まって音楽を流して華麗に?踊っています。男性は公園で凧揚げやコマ回しをやっています。そして男女問わず、麻雀やトランプを大勢が集まってワイワイやっています。とても楽しげな光景なのですが新型コロナの感染が広がっている時にはこれがクラスターになる可能性が高く、政府によってすぐに禁止されました。
お年寄り、特に男性はマスクをせよ、消毒をせよと言われても「ワシは大丈夫」みたいな思い込みでやらない人が多いです。それは中国でも同じらしく、武漢に住んでいるある人のお父さんは市政府から厳戒令が出されているにも関わらず普段と同じようにマスクをせず出歩いていて、奥さんにキツく叱られてやっとやめたそうです。私も近所のスーパーへの入場時にマスクをせず検温にも応じないお爺さんが警備員と喧嘩している場面に出会しました。南京弁だったのではっきりとは分かりませんでしたが、「ワシは(コロナが)流行っている時から今まで全く何にもなかった、予防など必要はない」みたいなことを言っていました。
中国南京では新規感染者ゼロが長く続いていて終息に向かっていると判断されていますが、まだまだ油断は禁物だと思います。5月だというのに35度にもなった南京では案の定お年寄りたちがマスクを外してワイワイしゃべりながらトランプを楽しんでいました。コロナ第二波のクラスター発生などということにならないよう、注意して頂きたいものです。
新型コロナが中国から広がったということで、損害を被った欧米諸国が中国に賠償金を支払うように要求しています。今のところ発生原因が分かりませんし情報の隠蔽がどれくらいあってそれが悪意あるものだったのかどうか分かりませんが、少なくとも戦争のような意図的な攻撃だと証明できない限りは賠償金というのは不適切ですし、何より中国の一般国民の苦しみを伴うものであってはいけません。
中国の一般国民の目線でいえば、国民は明らかに被害者です。家族や親族が亡くなった方もたくさんいますし、失業でひどい生活苦に陥っている方もたくさんいます。そんな中で中国発のコロナが世界中で猛威をふるっていることを申し訳なく思っている人がたくさんいます。そんな人たちが外国から犯罪者呼ばわりされた上に身銭を切るような賠償金を求められたらどうでしょう?反発して善意が悪意に変わり、関係が悪化するのは容易に想像できます。
中国との関係なんて悪くなって結構、とにかく金を払え!というのが主張なのだと思います。しかし一時的に賠償金を得て経済をリカバリーしたとしても関係悪化はグローバル経済全体の悪化を引き起こします。現在の経済環境で中国を除いて維持発展することは極めて難しい筈です。もはやグローバル経済は国同士の密接な繋がりの上に成り立っていることを再認識する必要があります。そもそも世界人口の約20%を占める中国人を無視した社会などあり得ません。
例えば外国からの強制ではなく、中国発意によるお見舞い金や経済援助という形にできれば、国際関係にプラスの影響を及ぼします。各国の政治家の方々は狭い利権視点ではなく、大局的な全体最適の視点でポジティブな意思決定をして頂きたいものだと思います。
中国は5/1から労働節の休暇に入っています。報道によると1.2億人もの人が国内移動をするそうです。中国国内はコロナが終息に向かってはいますが、労働節の大移動がコロナ第二波を発生させるのではないかと危惧されています。政府も観光地への立ち入りを制限するなど警戒をしています。微信のページでは都市ごとの危険度が高中低でリアルタイムで表示されるようになっていて立ち入りを制限(立ち入ったら出た時に14日間隔離)するなど工夫しています。
コロナ自粛からの開放感、春の陽気、連休の楽しみでウキウキする気持ちはよく分かります。私の周囲にもさすがに危険地域の北京や哈爾濱(4/30時点)には行かないものの、実家に帰省したり小旅行に行ったりする人はたくさんいます。一度痛い目にあっているだけに自家用車を使うとかマスクは常時着用するとかの対策はとっています。しかし人の接点が増えれば増えるほど感染リスクは高まる訳ですからやはり危険な状態だと思います。
あくまで日本人との比較ですが、中国人は危険時は極端に怯える人が多く、逆に危険が去った雰囲気になると過度に調子に乗る人が多いと思います。感情のままストレートに行動する、そんな1.2億人が浮かれて動く。本当に気を付けて欲しいものです。
中国では気軽に起業廃業を繰り返す人が多いという記事を書きましたが、有識者の方から今では状況が変わっているのでは?とのご指摘を頂きました。リーマンショックの際に温州市を始め多くの人が自殺した。昔は何度でも立ち上がれると言われていたけど今は逆に再起不能になる社会、気軽に起業廃業はしなくなっているのでは?とのことでした。そこで実際のところどうなのか、中国人の同僚8名に聞いてみました。
リーマンショックの時の温州市での自殺多発についてはみんな知っていました。経営難に陥った中小企業の経営者が夜逃げして、次に貸付金を回収できず出資者に返せなくなった高利貸し屋が夜逃げして、市民がパニックになり自殺者も出たそうです。ただ、同僚たちは、そこまでいったのは中国ではレアケースだという捉え方でした。
そして今回のコロナショックで自殺者は増えると思うか?と聞くと「自殺する人はいるだろうけど少ないと思う」とのこと。日本で自殺者が増えそうだと話すと「何故自殺などするのか?日本には自己破産制度もあるのなら死ぬほど困ることなんてないではないか?」自分は借金から逃れても社員や関係者を路頭に迷わすことになったのを苦にして…と言うと「中国人ではそれはあり得ない。逃げるだけ。自分が生きてさえいればなんとでもなる」と笑われました。そして「留得青山在不怕没柴烧 」ということわざを教えてくれました。青い山には木があり、木さえ残っていれば切って薪にできる。飯を炊くことができる、食える、生き残れる。転じて命さえ残れば希望はあるという比喩だそうです。
私の同僚たちが楽天的なだけかもしれませんが私の肌身感覚とは合致した回答でした。
とはいえ、様々な考えの人がいるのが中国です。今回のコロナで自殺する人もやはり少なくはないのだろうと思います。そんな中国の人たちにも「死ぬこと以外かすり傷」を伝えたいです。
死ぬこと以外かすり傷
コロナショックでは資金繰りがショートした零細企業や小売業、飲食店等々の廃業が相継いでいます。日本はまだ経済活動抑制の最中なので今後更に廃業は増え、経済不況は長引くと思われます。そこで懸念されているのは自殺者の増加です。過去の経済危機の際には経済苦による中高年の自殺が増えています。コロナでの死者より自殺者の方が多くなるのではないかと懸念されています。
中国は日本より起業・廃業を繰り返す挑戦者が多いと思います。気軽に開業してダメならサッサと見切りを付けてやめているように見えます。日本人の私からみると、貯金もノウハウも何もない普通のおじさんが突然麺屋さんを始めたり、若い女性が友達と一緒に洋服屋さんを始めたり、そして暫くして見に行ってみると無くなっていたりと、とにかく目まぐるしく起業廃業を繰り返しています。「絶対にいける、これで大金持ちだ!と思ったけど全然ダメだった。お金なくなっちゃったよ。はっはっは」みたいなノリの人がたくさんいます。
中国は元々自殺率でみると日本の三分の一くらいだそうです。今回のコロナの影響で廃業している店は私が知っているだけでもたくさんありますが、経済苦で自殺したという話はあまり聞きません。もちろん報道していない、あるいは私が知らないだけかもしれないのですが、元々起業や廃業を苦にせず繰り返している様子を考えると、実際に自殺者は少ないのではないかと思います。
そういう部分は日本人も中国人を見習って、ダメならダメでさっさと諦めて次にいくくらいの気楽さがあっても良いのではないかと思います。それが適切な損切りになることもあると思います。そして、廃業や倒産やリストラなどはもちろん辛く苦しいものですが、どんなことでも死ぬほどのことではない筈です。「死ぬこと以外かすり傷」です。
死ぬこと以外かすり傷
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コロナウイルス対策で停止した経済活動を再開するのも判断が難しいものです。一刻も早く活動を再開すべきだが感染が再発してはいけない。中国の取り組みを参考に記録しておきます。
中央政府が出した方針は「新規感染者が一定期間以上発生していない市は、感染防止策が徹底できているかを確認した上で、市の責任で慎重に再開をしても良い」といったものでした。この「責任」の認識が厳密で、感染者を出したら責任者一同クビになります。だから全員必死で取り組みます。そして市政府は、空港や駅など流入の窓口になる場所のチェックは継続し、公共の場所の消毒等や小区への入場の際の検温等を継続しました。そして営業再開を希望する各会社にある条件を基に承認を与える方法をとりました。社員とその家族に感染者がいないこと(いる場合は隔離されていること)、感染防止の取り組みが明文化されており実際に実践されていること、マスクや消毒液などの備蓄が一定数以上あること、等が審査されました。これも感染者が出たら経営者の責任を厳しく問われるので、経営者は必死で取り組みます。そして企業は承認された内容を忠実に実行し市政府はそれを監査します。
企業の対策は、通勤は自家用車か会社のバスを使う(公共交通機関を使わない)、体温管理を行わせ発熱者は出勤させない、入構時に検温を行う、事務所の窓や扉は開けておき触れさせない、エレベーターは停止、会議はWebを基本とし会議室に集まる場合は人数を制限し距離を保つ、食事は弁当式にして食堂に集まらず各自の席でとる、マスクを常時着用の上無駄な私語は禁止、社内の定期消毒、といったものでした。そして社内の安全担当部門が実施状況を確認し、違反者は全社に開示の上上司に罰金を課しました。出張や社外の人の訪問は禁止し、様子を見ながら慎重に再開しました。
結果として南京では社内で新規感染者が発生した会社はありませんでした。(2020年4月20日時点)
考えられうる対策は全て実施した上で慎重に再開していったということです。特徴は上位組織から末端まで責任を個人レベルで明確にして管理を徹底することです。これは関係者が本気になって取り組むという優れた作用がある反面、そのプレッシャーが隠ぺいを生むというリスクもあるとは思います。
私は比較的長く中国に関係しているので「実際のところ中国ってどうなの?あの手この手のやりたい放題で世界の覇権を握ろうとしているの?それともそうではないの?」と聞かれることがあります。私の答えはもちろん「分かりません」です。中国に住んで仕事をしているだけで、国際政治研究家でもジャーナリストでも、国家機密にアクセスする技術者でもない私にそういうことを判断する確たる情報があるはすがありません。仮にあっても誰も断定はできないと思います。どの国の政府でも基本的には国益を考えて意思決定をします。それが他国の不利益になるような話はそこら中にある訳ですから、他国の不利益を狙ってやっているかどうかなど分かりません。私に分かるのは一般の中国人の考え方の一部や言動、SNSで語られている話や反応、中国国内の報道くらいのものです。
その観点で例をあげると、最近の「中国やりたい放題」説には、「新型コロナウィルスが中国により生み出された生物兵器だ」というのがあります。中国は新型コロナを世界中に拡散して力を削いで、意のままに操ろうとしているという説です。一方で事故説として、エイズ根絶のために研究していた人工生成ウィルスが流出したものという説や、研究していたコウモリのコロナウィルスが流出したものという説があります。あとは自然感染説、武漢の市場で感染したというもの。
生物兵器ならば対策が分かっていないと自分たちも被害を受けます。中国でも相当数の自国民が亡くなり経済も大打撃を受けた訳ですからさすがにこれはないと思います。実際に住んでいて、実は中国にだけ特効薬があって国内の感染者、あるいは特権者だけに密かに処方している、みたいな気配は感じられません。報道規制があるといっても今の中国でそんな話があればSNSを通して瞬時に拡散されます。
研究所からの事故流出、これは分かりません。急速に発展してきた中国は何事にも管理が甘い部分がまだまだ残っています。そして良くも悪くもメンツの国、失敗を素直に認めるかどうか分かりません。逆にメンツを重んじるからこそ事実が分かれば直ぐに開示するということも今の中国ならあり得ます。そして自然界からの感染、これは衛生管理にまだまだ問題がある中国では十分にあり得る話です。政府主導で特定の生き物を食材としたものは食べてはいけないという指示もあります。ただ、そうであるならば何故これまでは感染が拡がらなかったのだろう?という疑問が生じます。
中国と比較的長く付き合ってきたつもりの私がこの程度の認識なので、あまり関係していない一般の方に「やりたい放題なのか?」は分からないと思います。分からないのであれば憶測で面白おかしく語るのは危険なことです。日本の報道にも正直感心しないものが多いですが、一般の方々がTwitterやYouTubeで人気を得るために無責任に刺激的な言葉で自論を披露するのは止めるべきだと思います。
日本では高齢化少子化の進展の見通しから働き方改革の必要性が唱えられて久しいですが、実際にはほとんど何も進んでいなかったことが、コロナ感染拡大においてテレワークに移行できないことで露呈したと思います。在宅勤務が必須である状況になって初めて準備が何もできていないことに焦る会社がほとんどでした。社員が家に持っていくPCが足りない、スマホが足りない/個人のスマホを使わせるルールや対策がない、セキュリティー確保のためのVPNが足りない/機能しない、適切なソフトやアプリがない/知らない、にわか導入で使い方が分からない等々。日本の企業の弱点が浮き彫りになりました。
私が勤める中国の会社では元々個人のスマホを仕事に使っており、企業微信というアプリを使ってコミュニケーションをしていました。そこにコロナショックが来て在宅勤務や遠隔業務を余儀なくされたのですが、慌てることも特別なことをする必要もなく、企業微信の会議機能を使ってテレワークに移行しました。日頃から使っているスマホ・アプリなので使い方が分からないなどということもありません。生産などの現場のモノを扱うようなこと以外の大半の仕事はテレワークで進められました。
特に我々外国人にとって良かったのが日本に帰国していてもスマホ一つで打ち合わせを伴う仕事を進められることです。本当に便利だと実感しました。しかしそんな場所を問わず仕事ができる状態なのに日本の本社には管理のために出社することを求められ、コロナ感染リスクがある中、わざわざ会社に行って事務室で個々人がスマホで仕事をする(そして互いがうるさくて結局それぞれが会議室に籠る)という珍妙な状態になりました。
その後日本でコロナが蔓延し、自宅待機を余儀なくされた時、中国側は当然テレワークで仕事を進められると思ったのに、日本側はテレワークどころかPCを持って帰れないのでメールすらできず、結局一斉休業で完全に仕事が止まるというお粗末な事態になってしまいました。
日本でも今後はさすがにテレワークを真剣に考えるでしょうが、旧態依然とした考えで新しい便利なモノを取り入れることを躊躇する、セキュリティー等々でできない理由を見つけてきて現状維持に甘んじる、ある意味高齢化の弊害ともいえるそういった体質を抜本的に変える必要があるのだろうと思います。
コロナ感染拡大では、中国がコロナを発生させてそれを全世界に拡散して迷惑をかけ、先に自分だけ終息させて経済活動を再開した自分勝手なひどい国だと非難する声がたくさん上がっています。欧米の感染者や死者は凄まじい数になりましたし、日本もなかなか終息に向かわせることができず苦しみ喘いでいます。2020年に予定されていた東京オリンピックは史上初の延期となり、莫大な経済損失が見積もられています。そんな中でいち早く終息の目処をつけて経済活動を再開した中国が他国から快く思われないのは、実態として当然の成り行きです。否定はできません。
一方で個人レベルでみると、世界への感染拡大の初期段階からそれを申し訳なく思い、他国からの非難の声に深く心を痛めている一般の中国人がたくさんいることは知っておくべきです。ある中国人は日本の友人に「中国のせいでみんなが楽しみにしていた東京オリンピックを延期させるようなことになってしまって本当にごめんなさい」とメッセージを送り、日本でマスクが入手困難になってからは友人たちにマスクを送る活動を続けています。微信や微博でもそういう人の話はたくさん見ます。
そういう人がいることを知っていくうちに、報道だけを見て「中国」のキーワード一つで国や14億の中国人を十把一絡げにして判断することの不毛さが分かります。正しい判断には個人レベル、自分自身の目で正確にみてそれを積み重ねていくことが必要で、そのためにはコミュニケーションが最も重要です。それができないのであれば、ただでさえ面白おかしく視聴者を煽るメディアの報道だけでものごとを判断すべきではありません。メディアの情報は注意深く事実のみを選択して(それすら難しいのが実態ですが)、あくまでも全体を大まかにみるだけの参考情報と位置付けるべきだと思います。
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