差別は続くよ、どこまでも

2020年のCOVIDー19(新型コロナウィルス)は世界中の人々を疑心暗鬼に陥れた訳ですが、発生した場所、感染が拡大していった場所に応じて差別意識も拡大していく様子がきれいごとではない人間の本質を表していると思いました。コロナが発生した武漢の人を他都市の中国人が、中国人を日本人が、東アジア人を欧米人が、一周回って中国人が外国人を差別した経緯です。

武漢の人を他都市の中国人が差別した様子は報道で見ましたが、(背景は分からないのですが)武漢人だというだけで長い棒で叩いたり石を投げたりして排斥しようとする様子に戦慄を覚えました。その後日本では国内にいる中国人に中国人だというだけで危険視し差別する言動が頻発しました。その後欧米では東アジア人だというだけで差別をし、社会活動に東アジア人だけ参加させないという現象が発生しました。当時アメリカにいた知人が実体験として語ったところによると、「もともとマスクをする習慣がないアメリカでは東アジア人がマスクをしているのを見ると感染者だと誤認し差別を受けるので、恐ろしくてマスクを着けることができない」ということでした。実際、マスクをした中国人が地下鉄で暴力を振るわれたという話がありました。そして国内で感染が収まった中国人による外国人への差別。一般住民レベルでは排斥活動がありました。

地域性とか国民性とか特徴はあるのでしょうが、生身の人間の本性というのはどの国の人も同じようなものだと再認識した出来事でした。民族排斥や集団暴行につながらなかっただけ人間は成長したといえるのかもしれません。互いに相手を知らないことが過度な警戒心を生んで排他的な言動に繋がります。コミュニケーションにより分かり合うことがいかに大切か、考えさせられました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です