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キャッシュレス社会で現金払いオンリーがあると?

最近はほとんどなくなってきたと思いますが、キャッシュレス移行期には現金払いオンリーのものが併存していて困ったことがありました。お店ではいろいろありましたが、個人的に意外に思ったのがエアポートリムジンバスの支払いで、たまたま現金を持っていた私が持っていない同僚の分を払ったこともあります。もし現金を持っていなかったら、言葉が通じない外国人には難しい局面でした。

博物館なども現金払いオンリーのところがありました。中国人の知人が実際に困ったことを紹介してくれました。

「キャッシュレスが今ほど発達していなかった2年ほど前、ある博物館に行ったら現金払いオンリーだった。でも私は現金を持っていなかった。その上悪いことに携帯の充電が切れてしまっていた。(その場で誰かに送金して現金をもらうこともできない)仕方がないので周囲の人たちにお金を貸してくれないか頼んだのだけど誰も貸してくれない。ある20歳くらいの男性にお願いしたところやっぱり怪訝な目で見られたが、詐欺ではないことを一所懸命に説明してやっとお金を貸してくれ、チケットを購入できた。後日アリペイで彼にお金を送ったのだが何故か受け取ってもらえず、その時から30元を借りたままになっている。」

「現金を持っていない、携帯の充電が切れた」ちょっとできすぎた話のようですが、本人の名誉のために言っておくと、詐欺を働いた訳ではありません。(たぶん)

やはり移行期にはいろんな愉快なトラブルがあるものです。

キャッシュレス社会で現金払いは嫌われる?

中国のキャッシュレス社会は高度化し、ほぼ全ての場面で現金を必要としなくなっています。携帯一つでなんでも可能と思われるほどです。中国人の友人は今の中国で最も怖いのは携帯の充電切れだと言っていました。確かにその通りです。

そんな現代の中国で現金払いはどうとらえられるのでしょうか?ある時、使う機会がなくて大量に貯まっていた手持ちのコイン小銭を処理したくて、小さな店での買い物を全部小銭で支払いました。なんとなく申し訳に気がして店員さんに「ごめんね〜」と言ったら「いえいえ、助かります」と。

大半の人がキャッシュレスで支払いますが、外国人やお年寄りなど、現金使用者もそこそこいて、お釣りの現金が慢性的に不足して困っているそうです。どの店も同じ問題を抱えているので、小銭を調達しようと銀行に両替に行ったら多くの人が順番待ちをしていて、かなり待たなければいけない状態だそうです。

過渡期の一時的な課題ではあるでしょうが、当面は現金も使用していけそうです。

正直者が馬鹿を見る?

中国は以前に比べるとずいぶんマナーが良くなりました。並んでいたらちゃんと順番が回ってきますし、交通ルールなどもだいぶ守られるようになってきました。それでももうちょっとなんとかならないのかな?と感じることがあります。

最近の、とある中規模都市での私の経験から。車が来ていないと、多くの人が歩行者信号が青になる前から渡ります。しかしそこはマナーに定評がある日本人、模範を示そうと信号遵守、ちゃんと青になってから渡ろうとじっと我慢です。やっと青になって晴れ晴れとした気持ちで渡ろうとすると、左から信号を無視して走ってきた電動自転車の大群に遮られて足止め。そうしているうちに歩行者信号は赤になって結局渡れず…

この憤り、虚しさを誰かに分かって頂きたい…

チャレンジ精神

中国人の教え子が東京のFラン大学に留学しました。正直言って高いお金を払ってわざわざ日本まで行って入学するほどの大学ではありません。単に日本で生活して日本語力を高めることだけが目的かと思っていました。しかし聞いてみるとそれだけではなく、目的は日本の大学で日本語力を磨きながら日本文化を理解し、卒業後は有名旅館で職を得て日々の仕事を通して一流の接客サービスを習得すること、ということでした。

中国では富裕層が日本の行き届いたサービスを求めてわざわざ渡航します。彼女の考えは、そのサービスを中国国内でできればビッグビジネスになるはず、というものでした。日本のアニメやドラマをみてはしゃいでいるだけの子供だと思っていましたが、しっかり考えていて感心しました。

ある知人によると、「中国はとにかく人が多い。優秀な人もいくらでもいる。いい会社に職を得たとしても自分の代わりなどいくらでもいるので、いつ失職するか分からない。そんな状況に諦めている人がいる一方、自分独自の付加価値を身に付けてより高度な職を求めたり、自分で事業を始める人も多い」ということでした。

街を見ていても小さな事務所や店が突然できて、気が付けばなくなっているというようなことが頻繁にあります。もちろん成長していくものもあります。中国人の「とにかくやってみる」というチャレンジ精神の表れだと思います。

理系の学生の進路の違い

日本では理系の優秀な学生は高収入と安定を求めて医師を目指します。少子高齢化の進展に伴ってその傾向はますます顕著になってきています。一方中国では理系の優秀な学生はIT技術者を目指します。清華大学など国内トップクラスの学生はもちろん、アメリカなど海外留学組の多くがAIなどの先進技術の研究に従事しています。医師にはワンランク下の学生がなるそうです。

産業の発展という観点でいうと、理系の優秀な学生が医師になる日本と、IT技術者になる中国(しかも圧倒的に数が多い)では比べ物にならず、近い将来にはその差が顕著になり、どんどん差が開いていくことでしょう。日本人としては寂しいことですが、だからこそ隣同士の国として相互協力を活性化すべきだと思います。

因みに、私の中国語の先生によると、最近中国の女性の間では結婚相手として「程序猿(員)」IT企業のプログラマーが大人気なのだとか。理由を聞いてみると「給料が良い上に、残業休出時間が長いから相手をしなくていいし浮気をするリスクも少ないから」だそうです。なんとも現実的なお考えです。

没问题 任せておいたら 没办法

大物ぶりたいのかいい格好をしたいのか、はたまた理解できていないのか、以前は課題に対していとも簡単に「没问题(問題ない)」と即答する人がやたらと多かったです。本当に大丈夫なのか疑問に思い、その根拠を聞こうとするのですが、ただただ「没问题」を繰り返したり、「私の信頼する○○さんがやるから大丈夫」とか、「日本人は細かいことまで気にし過ぎですよ」とか言われて、全く確信が持てません。仕方がないので任せて、しばらく経って状況を確認したら、「没办法(どうしようもない)」という返答が。そして周囲がそのリカバリーに必死になる。これは以前の中国ビジネスでよくある構図でした。もちろん「没问题」を繰り返した人はそしらぬ顔、お咎めもなしです。

根拠のない「没问题」でも一旦は相手の面子を立てて了承すべきケースが多いので、その「没问题」が「没办法」に変わるタイミングを見極め、それより先に手を打つことが、以前の中国ビジネスに欠かせない能力でした。

さすがに今では根拠のない「没问题」を連発する人は減ってきました。タイミング見極めの能力も不要になってきたのが少々残念です。

中国人同士でもダメはダメ

中国にも良いものが比較的安く出回るようになって、爆買いと言われたひと頃の勢いはなくなりましたが、化粧品等でまだまだ日本での買い物は人気があります。我先に買い占める中国人たちに眉をひそめた人も多いと思いますが、中国人同士でもいろいろあるようです。

教え子の中国人が東京の大学に留学して、デパートの化粧品売り場でバイトをしているのですが、一番嫌な客は中国人の代購のおばさんだと言っていました。店の方針で個数制限等のルールが定められているのですが、完全に無視して何度もやって来て何個も買おうとする。見かねて注意すると「いいじゃない、お店が儲かるのだから」から始まり、何度も諭していると「あんた同じ中国人なのになぜ協力しないのよ!」と逆ギレ。中国人だからとか日本人だからとかではなく、ダメな人はダメ、個人の資質の問題です。

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真偽が定かでない中国のお話:意外と支持者が少ない臭豆腐?

中国の有名な郷土料理である臭豆腐、2016年には日本のJR関西本線の列車を腐臭による運行停止に追い込んだほど、強烈な臭いがするものもあります。北の方が南よりも臭いがキツイなと思っていたのですが、種類が違うそうです。一つは北京など華北で食べられているもので、豆腐にケカビを生やしてから塩水に浸けて作るもので、強烈な腐臭がします。もう一つは華南地区や台湾、香港で食べられているもので、豆腐を主に植物性の発酵液に浸けて風味をつけたもので、揚げ物にして食べられるケースが多いです。

そんな臭豆腐ですが、一体どれくらいの中国人が好きなのかと疑問に思って、微信でアンケートをとったことがあります。40人ほどが回答してくれて、好きと答えたのは3割くらい、嫌いと答えたのも3割くらいでした。年配の人の方が好きと答えた人の割合が多かったです。地域差が大きい食べ物なので好みも地域によって異なるのだろうとは思いますが、意外と支持者が少ない印象を持ちました。

中国通になりたい皆様、無理に臭豆腐を好きにならなくてもよさそうですよ。

中国雑学団(電子特別編集版)~アッと驚く! 知っておくべき中国ネタ話

真偽が定かでない中国のお話:優れているのは中国〇〇大学?

例えば中国医科大学とか中国薬科大学とか、年配の人には名前に「中国」が付く大学が優秀だという思い込みがあるそうです。ある山東省出身の学生さんが超難関の浙江大学と南京大学を受けて南京大学に行ったのですが、親戚のおじさんおばさんたちに「あの子は小さい頃はあんなに賢かったのに、中国〇〇大学には行けずにあんなに遠くの地方大学に行ってしまって」と言われて、ガッカリしたそうです。日本でも以前は、地元の国立大学に行かずに都市の有名私立大学に進学した人で、似たような話がありましたね。

中国雑学団(電子特別編集版)~アッと驚く! 知っておくべき中国ネタ話

真偽が定かでない中国のお話:声が大きいのはマナー?

日本人からみると中国人は無駄に大きな声で話すように思います。中国語が分からない頃から思っていましたが、勉強して言っていることが分かるようになると更に、「何故そんなどうでもいいことをわざわざ大声で話すのだろう?」と思ってしまいます。ある人に、それはマナーなのだと教えられました。「相手に聞こえないような小さな声でボソボソ話すのは相手に失礼」なのだそうです。それもそうかなと思ったり???

この投稿に対して沢山のコメントを頂きましたので紹介させて頂きます。コメント下さった方々、ありがとうございました。

中国なら目上の人や難聴者でもはっきり聞こえるように自信のある陽気な大きい声の方が断然良いと思うよ。特に商談の場はある意味でマナーだと思う。ボソボソ話すのは相手が余計に集中しなければならないし、ストレスいっぱいでイライラする。目上の中国人の好感を買うのは「はっきり、バッサリ」がキー。

私は声が小さいので、子供の頃中国語を話す時にいつも  「声が小さくて聞こえない!話す時にちゃんと大きい声ではっきりと話しなさい」と家族から注意されました。

それは中国に行ってみればわかると思います。①環境音がうるさくて大声で話さないと相手が聞こえないから大声で話すくせになってしまいました。②ほとんどの人は、気になるほど声が大きいわけではなく、単に中国語がわからないからウザいと思っているのでは。

陰口みたいに聞こえると良くないから大声で話すべき、と言うのはちらっと聞いたことあります。

過ぎたる大きな声はボソボソ聞こえ難いに等しい気もしますがハッキリ意志を伝える点では良しと思う次第です。

個人的には声調言語は小声だとお互いに聞き取れないからなんじゃないかなあと勝手に想像してます

声が大きいのは中国人だけじゃないですよね。外国人の声が大きいのではなくて日本人の声が小さすぎるのでは?

大声で話す人の割合が日本人より少し多い様な気はします。その程度です。マナーでは無いと思います。

私が台湾人の方と話した時は、「単に公共のマナーの意識がない。怒りや喜びを素直にぶちまけているだけ。なのでそれは今の時代では恥ずかしい事だと教えればなおす人もいる。後天的なマナー教育の問題だ」と言ってました。20代の中国人はそういう行為が笑われている事実を知り、恥と認識してまだ若いので素直に受け止められるケースを身近で知ってます。なので今後若い世代は変わると思うんです。かつての日本がそうだったように。

ほんとに大昔は小声は密談してると思われるため、潔癖の証明で声が大きくなったのではなかったでしたか?  現代ではほかの方も言われる通り、環境音や人の多い中でのアピールも関係してると思いますが。基本、おとなしい日本人とは声量からして違うと思います。個人的におもしろいなと思うのは中華圏から日本に帰ってくるとじぶんの声が普段より大きくなってることです。自然と現地の音量になってるのだと思います。すぐ日本標準に戻っちゃいますけどね(笑)  あと現地の音量とはいっても現地の大きい声の人に合わせてるとこちらの喉がもちません。そもそも彼らのように四六時中喋ったりしませんよね日本人は…..  逆もあります。日本に住んでて日本語堪能になった中国人は、日本語を話すときは大人しめで腰が低くおじぎもよくする、でも母国語を話すときは真逆っていう。やはり民族性でしょうか?

中国雑学団(電子特別編集版)~アッと驚く! 知っておくべき中国ネタ話

真偽が定かでない中国のお話:焼き餃子は水餃子の売れ残り?

以前餃子の王将が中国に進出しました。元々餃子が好きな中国人、そこに日本で味に磨きをかけた焼き餃子で乗り込むのだから大いに繁盛するものと思われました。しかし蓋を開けてみるとさっぱりダメでした。中国では餃子というと水餃子で、焼き餃子は余った水餃子を腐らせないように火を入れたもの、つまり王将の焼き餃子は「残り物」とみなされて全く人気が出なかったようです。

中国雑学団(電子特別編集版)~アッと驚く! 知っておくべき中国ネタ話

真偽が定かではない中国のお話:北京ダックの起源は南京?

南京で鴨が好んで食べられることは有名ですが、ある人によるとかの有名な北京ダックも南京が起源なのだとか。明の第3代皇帝の永楽帝が首都を南京から北京に遷都した際に南京人が鴨食文化を北京に持ち込み、それが北京ダックの起源になったということです。ネットで調べてみると確かにそういう説がありますが、山東発祥説もあるようです。

中国雑学団(電子特別編集版)~アッと驚く! 知っておくべき中国ネタ話

AI時代の中国語学習の意味

近年AIの登場で翻訳機が格段に進化しています。Google翻訳を使ってみてもその正確さ、言い回しの流暢さは以前とは比べられない高度なレベルになっています。AIの持つ学習機能で使われるたびに進化するそうです。ポケトークなども素晴らしい精度で翻訳してくれます。しかも74もの言語の翻訳に対応できるそうです。Face to Faceで正確な翻訳が普通の会話のスピードでできるようになる日も近いと思われます。世界中の誰とでも言語の壁を越えた交流ができる、コミュニケーション革命とでも呼ぶべき夢のような変化がすぐそこまで来ています。

そんな時代を迎えるのに、果たして外国語を学習することに意味があるのだろうか?という疑問が頭に浮かびます。言葉で意思の疎通を図るというだけなら間違いなくAI翻訳機で代用可能です。しかし、言葉を学習することにはコミュニケーションをより進化させる効果があると思っています。とりわけ人間関係を築くという面で重要な意味を持ち続けると思います。

一つ目は、言語を学ぶことはその国の文化や考え方を学ぶことに繋がっていて、それによって相手のことをより深く理解できるということです。言葉というのはコミュニケーションツールですが全てではありません。相手の言葉の背景にある文化や考え方を理解してこそ深く分かり合えるようになります。これはAI翻訳機には難しいことです。可能かもしれませんが、AIは瞬時に思考判断できても、その情報を受け取る人間の方がそれを会話のスピードで理解することができないだろうと思います。

もう一つは、自分の国の言葉を覚えようと努力することに好感を持たれることです。日本に来ている外国人がが英語ではなく日本語を話したら、それが例え下手でも親密感は格段に高まります。私もなんとか中国語を話すようになって、英語で話していた頃より中国の皆さんが面白がって相手をしてくれるように思います。これはAIにはできません。むしろAIが代行可能な時代であるからこそ、自ら学習して使うことで相手が持つ好感は大きいと思います。

AI翻訳機はあくまでもコミュニケーションのサポートツール、より素晴らしい人間関係を築くために、自分自身でもしっかり学習することが基本だと思います。

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愛すべき老中国:白酒

白酒は中国の伝統的なお酒です。アルコール度数はほとんどが40度以上で、60度に近いようなものもあります。昔の中国ビジネスでは懇親会で白酒で乾杯を繰り返すのが一般的でした。そのために日本の会社では中国に社員を派遣するのに「お酒が飲めること」を、公式ではないにしても考えて人選していました。その飲み方は一般の日本人には考えられないほど激しく、中国人との宴会で日本の会社員が急性アルコール中毒で亡くなったこともあり、社会問題にもなりました。

ご経験のない方は「嫌なら自分の意思で飲まなければいいじゃない?」と言われると思います。ある知人は奥さんから「強要されると言っても、押さえ付けられて口を開けさされてお酒を流し込まれる訳ではないよね?」と言われていました。その通りなんです。しかし中国人の熱烈歓迎、お酒を通して仲良くなろうとする文化、「これからよろしくお願いします」という挨拶等々の中、一方的に飲ませるのではなく中国人側もしっかり飲みます。男性だけでなく女性もしっかり飲みます。しかも以前は飲酒運転も当たり前でしたから制約が全くありませんでした。そんな中で自分だけ飲まないというのは本当に難しいのです。

何回も乾杯を繰り返す飲み方なので、小さなお猪口のようなグラスが用意されます。しかし小さいといっても強い酒なので何度も乾杯するとすぐに酔います。しかも酒が豪快なことで有名な東北地方では、小さなグラスはまどろっこしいと下げさせて、普通のコップでガンガン乾杯していました。

そんなにバカ飲みするお酒を後日店で見付けて、何千元もする高価なものだと知った時は驚きました。ただ、偽物も横行していましたし、粗悪なものもたくさんありました。粗悪な白酒を飲んで死亡する人もかなりいると聞きました。飲食の安全管理がデタラメな時代でしたので、得体の知れないものを飲むのは怖かったです。

どうしても飲みたくない場合は中途半端に飲んだりせずに、最初から一滴も飲まないことが重要です。「お酒は弱いのでちょっとだけ」とか「ビールだけ」とか言っていると、「お酒が飲めるのに私の乾杯を受け入れてくれない」=「私を拒絶している」と感じます。飲めないと言えば言うほど頑なに相手を拒絶していることになるのです。中国人が相手に飲めないと言われても必死で飲まそうとするのは、友情を深めたいからなのです。だから飲むのか飲まないのか(飲めないのか)最初からはっきりしておく必要があるのです。

時代の変化と共にお酒の文化も大きく変わりました。ワインブームが起こったり外国から軽いお酒が入ってきたりして、白酒以外もたくさん飲まれるようになりました。贅沢を抑制する政策によって宴会も減りました。飲酒運転の刑罰が厳しくなり、乗る人は飲まなくなりました。若い人の中にはお酒そのものを飲まない人が増えました。

そのような中、改めてじっくりと白酒を飲んでみると、芳醇まろやかで美味しいんです。強要されるからイヤで、それがトラウマになって飲みたくなかった白酒ですが、元々は中国の銘酒なんです。これからはその美味しさに改めて気付く人が増えて、人気が出始めるのではないかと思います。

同じテキストをやり込む(★★★)

私はこれまでにいろいろなテキストや参考書を買い漁ってきました。それぞれにいろいろな工夫がなされていて一長一短あります。それはそれで楽しいし、書籍を揃えることによって「こんなに勉強しているぞ!」というズレた達成感を覚えて満足したりしていました。ただ、こう言ってしまうと身もふたもないですが、HSK6級及第点レベルの兼業学習者であれば、きちんと作られた書籍でありさえすればそれをしっかりやれば十分だと実感しています。むしろあれやこれやといろんな書籍を眺めていたのでは集中ができず、知識が定着しないように思います。もちろん自分に合う/合わないはありますから、内容を確認した上で数冊を厳選し、その書籍のどこに何が書いてあるかが頭に浮かぶくらいやり込むことが最も重要で、習得の近道だと思います。

「書籍のご紹介」のコラムに私が使ってみて良かったと思った書籍を載せています。学習初心者で何から始めたらいいか分からない人には参考にして頂けるのではないかと思います、例えばこの中からご自分の観点で数冊を厳選して、やり込んで頂ければどうかと思います。もちろん、更に上級を目指す人は使う書籍もランクアップしていけば良いと思いますが、とにかく「しっかりやり込んだ上で次にいく」ことを徹底されるべきだと思います。

気分にムラがありなかなかやる気が継続しない私は、その気になった時に書籍を買い込み、「大金をはたいて買ったのだからやらなければ!」というふうに自分を追い込もうと工夫したりしていますが、結局ちょっと開いただけで本棚の肥やしになっている書籍がたくさんあります。「積読」もほどほどにしないと単なるお金の無駄遣いになってしまいます。

愛すべき老中国:今なら分かる不可解な言動の理由

古代中国は世界の文明を開きました。老子、孔子、荀子など優れた思想家も多く輩出しました。世界に先駆けてさまざまな発明をし、世界の発展に貢献しました。中でも「紙、印刷、火薬、羅針盤」は四大発明と言われ、後世の私たちもその恩恵を受けています。また、科挙制度を高度に発展させ、優秀な人材を数多く輩出しました。日本は昔から中国から学びながら発展してきました。そんな偉大だったはずの中国人が、近代になって何故他の地域より遅れてしまったのか、マナーの悪いパクリ国家になってしまったのか、もともと中国の歴史が好きでその素晴らしさを知っている私には本当に不思議でした。

ほんの10年前まで、一言で言えば「自分さえ良ければそれでいい」という人ばかりでした。順番を守らない並ばない、我先に取ろうとする。公共の場はゴミを捨て放題、唾を吐き下水や残飯を辺り構わず撒き散らす。野菜には水、肉には油を注入して高く売ろうとする。カニの腹に漂白剤をかけて白くして高級蟹だとして高く売ろうとする。廃油を再利用して調理して平気で客に食べさせる。言い訳ばかりして全く仕事をしない。失敗は全て他人のせいにする、等々。そこには古代の偉大な中国人の片鱗はおろか、知性のかけらも見当たりませんでした。怒りを通り越して悲しくなるような出来事ばかりでした。中国人はこんな人ばかりになってしまったのだと思うようになっていました。或いは仕事などでは、反日教育もあり日本人が嫌いだからむやみやたらと反発してくるのだろうと思っていました。

様子が変わってきたのは若い世代が育ってきてからです。80后と呼ばれた世代の人たちは、いろいろな問題は指摘されながらもしっかりとした教育を受けていて、近代人として常識的な判断ができる人が増えてきました。今となっては大変失礼なことですが、その時私は「中国人でもちゃんと教育を受ければちゃんとした人になるんだ」と心の底から驚ろきました。

そう考えるとやはり疑問なのが、以前は何故あんなに自分勝手でいい加減な人が多かったのか?ということです。同じ血を引いているのに若い人たちができてその前の人はできないというのは、時代環境と教育の欠如が原因だったのだろうと思います。内乱と戦争、その後の計画経済、文化大革命。あの時代とその影響を受けた世代がたくさんいたということだと思います。仕事はやってもやらなくても同じ、物資が足りない中、並んでいても自分の順番は来ない、我先に自分から取りに行かないと家族が飢え死にしてしまう。或いは人はいくらでもいる、自分が多少頑張ろうが頑張らまいが替えなどいくらでもいるので最初から諦めている。そんな環境で生きていたら自分勝手になるのは無理もないことだったのだろうと思います。

経済的に奇跡的な発展を遂げてきた中国、でも名実共に世界から尊敬される近代国家になるのはこれからだと思っています。

愛すべき老中国 : 特権地域

これは私の経験というよりは、私より少し前に中国で活動していた人から聞いた話がほとんどです。私自身はその時代の最後の方に少しだけ経験しました。

ある国営企業の企業城下町での話です。日本でいえばトヨタ自動車がある豊田市のようなイメージです。しかしその中身は全く違っていました。その街に住む人のほとんどはその企業と関連会社の従業員と家族でした。関連会社もほとんどが国営か国有の会社なので従業員は公務員のようなものでした。役場や警察などもそれらの企業関係者がやっていて、いわば大きな自治都市のようでした。そこに技術支援で行った人がその企業の人に言われたのが「人に害を及ぼすことでない限り、この街の中でならあなたは何をやっても大丈夫」でした。酔っ払い運転から喧嘩、器物破損から汚職関係まで、本当に何でもありの治外法権状態だったそうです。警察まで関係者なので、本当に事件性が高いことでない限り何でも見逃される訳です。その中でも職位が高い中国人はちょっとした特権階級のようなもので、かなりえげつないことにまで手を染めていた人もいたそうです。一方の小市民日本人たちは「何でもOK」と言われてももちろん大したことができる訳ではなく、せいぜい泥酔して街を徘徊するくらいのことでした。そして、そういう環境に身を置いていたことをちょっとした武勇伝として語って悦に入ってました。

そういう地域も近代化の中でどんどんクリーンな街になってきました。汚職撲滅、打黑が進んできた今では、ほんの数年前にそういうことがあったことは信じられないほどです。「中国はもうあのような時代に戻ることはないのだろうな」と懐かしく思い出されます。

愛すべき老中国:習慣の違い

中国人と日本人は同じ東アジア人として大きな意味では似ていますが、生活習慣は違います。近代化途上の中国の習慣は日本とは大きく異なり、興味深かったです。

挨拶や会話について、中国人は日本人ほどこまめに挨拶はしません。出勤して「おはよう」と言う人は稀ですし、帰る時に「お疲れ様」的な言葉をかけることもありません。「ありがとう」もあまり言いません。中国人からみると日本人は「ありがとう」を言い過ぎで、そんなにいつもお礼を言っていたら本当にお礼を言うべき時にありがたさが伝わらない、と批判されます。「すみません」や「ごめんなさい」もほとんど言いません。日本人なら謝まるような場面で謝らないのでムカっとしたりしていました。ただ、近年は若い人を中心にきちんと謝る人が増えてきました。声が大きくてよく話します。日本人からみると無駄に大きな声で話している気がします。ある人に聞いてみたところ、それは礼儀なのだと。「聞こえないような小さな声でゴニョゴニョ話すのは相手に対して失礼。大きな声ではっきりしゃべるように」と親から教育されているのだそうです。本当かどうかは分かりません。

飲食について、中国人は冷たいものは体に悪いという理由であまり飲みません。だから以前は店には冷やしたビールは置いていないのが普通でした。ぬるいビールで乾杯してなんとなく冴えない気分だったことを思い出します。お酒は強い酒から飲み始めます。だからビールなどは最後です。「とりあえずビール」が習慣の日本人にとっては最初から白酒が出てくるのは恐怖でした。そして飲む時は必ず誰かと軽く乾杯してから飲みます。一人で勝手に飲んではいけません。一人で飲もうとすると周囲の中国人が慌ててコップを取って乾杯してくるという経験をした方は多いと思います。そしてお酌はしません。日本の習慣で相手のお酒が減ってすぐに注ぎ足そうとすると怪訝な顔をされます。店にお酒を持ち込みむのが基本的にOKです。だから中国人が日本に来た際に、店で持ち込んだ酒を開封してたしなめられることが多々ありました。中国料理でお馴染みの回転テーブルは、時計回りにゆっくりと回すのがマナーとされています。中国では上下の関係に厳格で座席もそう配置されているので時計回りになったということです。ただ、方向はあまり厳密ではないそうなので、誰かが箸をつけようとしている時には止めることさえ守ったら大丈夫です。日本人は面白がってグルグル回す人が多いので要注意です。串焼きのステンレスのトレイに被せてあるビニールはかけたまま使います。洗うより剥がして捨てる方が速くて安いそうです。そして支払いですが、基本的におごるかおごられるかです。今回おごってもらったから次回は私がおごるということで、関係を継続するという考えです。割り勘はその場で関係を清算するような意味になるので好まれません。

近代化に伴って伝統的な習慣が薄れてきて、若い人などは見た目も言動も日本人と同じようになってきました。それでも電車に乗っていてお年寄りが乗ってくるとサッと席を譲る光景を見ると、やっぱり中国だなあと思います。いい習慣は継承していってもらいたいです。

愛すべき老中国:恐怖の五つ星ホテル

中国のホテル等では、四つ星とか五つ星とかやたらと星の数の表示が多いです。一応国家旅遊局がその評価をするようですが、実際にはその手の評価を行っている機関は乱立していて、それぞれの基準で評価しているようです。スタッフだけの評価もあれば、利用者の感想のポイントで評価するところもあります。なので、五つ星ホテルだと言われても本当に良いサービスが受けられるのかどうかは疑問です。昔は更に怪しくて、自称では?と思われるところがたくさんありました。

技術支援の業務の場合は、受益者負担の原則で先方企業が出張費を出します。先方は当然出費を抑えたく、ホテル代もなるべく安くしたい訳です。当初は料金だけを優先してあまりにひどいホテルをあてがわれて、不快さが仕事の士気にまで影響していたので、五つ星ホテルを選ぶことで合意しました。そして先方が選んだ五つ星ホテルに行ってみるのですが、「どのへんが五つ星なの?」と問いたくなるほど問題が多発しました。

部屋に入るとアメニティー関係の備品がないのはお約束です。掃除も十分にできていません。ゴミ箱にゴミは残っているし灰皿には吸い殻です。フロントに連絡してスタッフに来させますが、謝りもせずに対応してサッサと出て行きます。ベッドに横になってしばらくすると体が痒くなります。またスタッフを呼んで洗った(たぶん)シーツに交換です。テレビはつきません。早々に諦めます。シャワーを浴びますが、当たり前のようにお湯が出ません。近くの部屋では大勢が集まって、ドアを開け放して酒を飲みタバコを吸いながら大声でマージャン大会です。眠れません。やっと終わって寝ていたら、なにやらタバコの煙が部屋の中に侵入してきて臭くて眠れません。夜勤の従業員が吸っているのが換気口から入ってくるのです。遅くなったから翌日寝過ごしてはいけないと、フロントにモーニングコールを頼みます。時間になってもコールはなく寝過ごします。朝食はお粥と漬物と茹で卵がメインで品数が少ないです。そして不味いです。チェックアウトの際にフロントの横に掲げてある派手な五つ星の表示は、よく見ると何やら手作りのようです。そのような自称(?)五つ星ホテルに遭遇するたびにホテルの変更を打診し、「日本人は贅沢だ」などど非難されながらも移っていき、6つ目にようやくシャングリラホテルに行き着いて、心の平和を取り戻しました。

ところが、2018年に高級ホテルのずさんな清掃の実態がネットで暴露されました。ホテルのスタッフは客が使っていたタオルで浴槽や便座、便器の裏、洗面台、床などを拭き、そして同じタオルで歯磨きコップやコーヒーカップまで拭いていました。シャングリラ、リッツ・カールトン、シェラトン、コンラッドフォーシーズンズなどの世界的な有名ブランドホテルです。シャングリラに行き着いて安心していた私が甘かった訳です。中国のホテル、まだまだ問題は山積みのようです。

愛すべき老中国:交通にまつわる話

中国高度発展期の90年代からしばらくは、新旧が入り混じった不思議な状態でした。多くの途上国と同じく、中国も固定電話が発達する前に携帯電話が導入されたので、携帯電話の普及が非常に速く、馬車に乗ったおじさんが携帯電話を弄っているという、日本人から見たら不思議な光景がたくさんありました。

当時は車といえば大きな黒塗りのセダンで、アウディが大人気でした。公務員は自国開発車である紅旗を使うよう推奨されていたそうですが、多くがアウディの高級車に乗っていました。不動産投資で大儲けする人が出始めていましたので、ビックリするような高級車もたくさん走っていました。そんな中、リヤカーに積載量の10倍くらい(見た目)の大量の荷物を載せて自転車に乗ったおじさんやおばさんが、自動車道をノロノロと横切っていました。

ルーフの上にカメラが搭載されている車をよく見かけていました。何かと聞いてみると、運転免許の路上試験用の車両とのこと。当時はお金さえ払えばほとんどのことがOKになる時代でした。運転免許の路上試験では、運転技能が不十分でも試験官にお金を握らせれば合格認定を得ることができました。それをさせない(実際の運転映像を第三者が見て合否判定する)ための車載カメラでした。お金といえば、夜の街で違法営業をしている飲み屋等でも、警察が見回りに来たらお金を握らせて見逃してもらっていました。店のオーナーが「定期的にやって来て小遣いをせびるのです。困ったものです。」と笑って話していたのを思い出します。

交通ルールもあってないようなものでした。もちろん飲酒運転は当たり前です。ある朝三車線ある道路の真ん中を超低速でふらふら走っている車を見付けました。こんな時間に酔っ払い運転は珍しいなと思って運転席を覗き込むと、おじいちゃんが膝に孫のような幼児を乗せていました。おじいちゃんがアクセルを踏んで幼児にハンドルを操作させていたのです。二人がキャッキャとはしゃいでいる様子を見て、呆れはしましたがちょっぴり微笑ましい気持ちにもなりました。

そんな光景が繰り広げられている中、突如として新幹線が現れた時には心の底から驚きました。未開の地に巨大なマシーンが現れる、まさに未知との遭遇の感覚でした。しかし、その新幹線も技術やシステムの育成途上でバンバン営業を始めたので事故が相次ぎ、脱線転落した車両を原因究明が不十分なまま待たずに(諸説あり)埋めてしまったという、証拠隠蔽が疑われるような事件もありました。