愛すべき老中国 : 仕事編 ケンカビジネス

仕事では日本人は協働当初は先生として尊重されていましたが、やがて中国人も実力を付けてきて、考え方の違いから対立するようになりました。当時私が相手にしていたのは何事にも率直で感情の起伏が激しい東北人です。毎日机を叩いて怒鳴り合うことになるので、出勤前にはテンションを上げて喧嘩モードで会社入りしていたものです。

日本人に喧嘩をふっかけて恫喝して要求を通すようなことが度々ありました。机をぶっ叩いて怒鳴って出て行くことは日常茶飯事。それにしてもよくやるなあと不思議に思っていたのですが、ある日日本人の同僚が見つけた彼らの業務マニュアル、そこにはその戦略が明文化されていました。「日本人が言うことを聞かなかったら怒鳴って机叩いて出て行け。そうすれば彼らは本社と相談して譲歩してくる。」という内容でした。まさにその通りです。敵(?)ながら日本人をよく観察してうまい戦略を立てたものだと妙に感心したものです。相手の恫喝が戦略だと分かってからは私も遠慮なく怒鳴り返すようにしました。

そんなことをする一方、人情味が厚く誠実なのが当時の東北人、その夜の宴会に「あの時は興奮してすみませんでした。」などと謝ってくる人もいました。もちろん許して気持ちよく乾杯です。そして翌日はもちろんまた怒鳴り合いです。

昼間の仕事は喧嘩ばかりで全く進まないのに夜は一起加油!谢谢合作!で毎晩宴会。当時は普通の日本人だった(?)私はストレス一杯でしたが、次第に馴染んでいきました。慣れとは恐いものです。時々帰国する目的は休暇や出張ではなく、日本人としての常識を取り戻すことでした。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です