中国のテスラを目指すとしていた新興EV(電気自動車)メーカーの拜騰汽車(BYTON)が中国での事業活動を7月1日から停止することになりました。事業停止期間は暫定的に6カ月、その間に一部の幹部社員が会社経営の維持とリストラクチャリングを行い、それ以外の従業員は解雇はされず待機となるそうです。従業員への給料の未払いが総額14億円、順次払っていくそうです。
BYTONは3月に従業員への給与を支払えなくなり、4月末には上海オフィスを閉鎖、その後、南京本社で開発を率いるキーマンが離職、そして南京工場の電気も止められました。米シリコンバレーと独ミュンヘンのオフィスは既に閉鎖の手続きが始まっているそうです。
BYTONは17年に独BMWの元技術者などが設立した南京市に本社を置く会社です。中国の車載電池大手の寧徳時代新能源科技(CATL)や国有自動車大手の中国第一汽車集団が総額5億ドル(約537億円)を出資し、日本の丸紅も20年1月に資本業務提携を発表していました。しかし、2019年末に開始するとしていた生産は2020年になっても開始できず、中国政府の補助金の減少や新型コロナウイルス問題の影響で資金繰りに行き詰まったとみられています。工場も出来上がってからの事業停止、お金を使うだけ使って全く回収できない最悪の事態に陥っているといえます。
南京にできた会社なので南京の自動車会社や部品会社から大量の人材が引き抜かれました。新たな事業創出ですし給料も倍になるということで多くの人が喜び勇んで転職していきました。それが残念な結果になってしまいました。逆に誘いを断った人はほっとしています。完全に明暗が分かれた形です。
誘いを断った人に話を聞くと「BYTONは経営者が外国人で慎重過ぎるからかとにかくやることが遅い。EVブームが盛り上がった18 年頃に、企業PRだけではなく、生産はできなくても存在感を示す具体的な実績を残せなかった時点で競争の土俵に上がれなかった。(だから行かなかった)高級EV路線を目指していたがそこは既にテスラとNIOが市場を確立していて今更入る余地はない。」との意見でした。少なくとも中国市場においてはその通りだと思います。
研究開発に莫大な投資をして巨大な工場を作って一台も作ることなく事業停止。仮に再開できるにしても大きな路線変更を余儀なくされるでしょうし、瀕死の状態に陥った今、経営を支える優秀な人材が集まるのか、人材が定着する求心力を持つことができるのか、大いに疑問です。
中国は広く多くの人がいて中国人の特徴を一言では語れません。ただザックリ区切るとすれば北方と南方に分けられるようです。私は北は吉林省、南は江蘇省で仕事をしたのでその違いを体感しました。
まず北の人は比較的体が大きい人が多いです。女性でも170くらいある人はたくさんいます。そのためか食べる量も北の人の方が多いです。会社の食堂で工場の作業に従事する人などはビックリするほど大量のごはんを食べます。対して南の人は体はだいたい日本人と同じ大きさで、食べる量は日本人よりは少し多い気がしますが北の人よりは少ないです。そして酒の量も北の人の方が多いです。女性でも良い飲みっぷりの人がたくさんいます。
言葉は、北の人がはっきりしていて早口で巻き舌が多く使われ、南の人の方が比較的ゆっくりです。共通語として設定された普通語が元々北の言葉をベースにしているので、北の人にとってはさほど難しくなく、対して南の人にとっては方言が元の言葉で、普通語はいわば後から学んだ言語なので、北の人ほど得意ではないと聞きました。普通語に対して北は地方ごとの訛りはあるが方言はない、南は多くの方言があって差が大きいということらしいです。
性格では、北は率直でおおらかだけど気が強い人が多く、南は婉曲的で穏やかな人が多いイメージです。北の人は声が大きいし自分の意見をズケズケ言うので特には喧嘩になったりしますが、根はカラッとしているので悪いと思ったら素直に謝るし遺恨を残さないことが多いです。また、人情味が厚い人が多いので一度友達になったら強い味方になります。南の人は日本人に近いイメージなので日本人が付き合うのにストレスを感じることが少ない傾向にあります。
他にも気候の違い(北は極寒乾燥、南は高温多湿)、食べ物の違い(北は麺、南は米)、習慣の違いなどたくさんあります。北と南の特徴を把握した上で、郷に入れば剛に従えの精神でお付き合いするのが良いと思います。
中国人は日本人と比べて、知人との距離は近く、他人との距離は遠いです。この距離は物理的なものと心理的なもの両方です。親しくなると本当に近くなり、物理的なものでは至近距離まで接近します。異性の同僚でも日本人ではあり得ない距離に近付くのでドキマギする日本人は多いです。カップルや夫婦はもちろん、女性同士ではよく手を繋いで歩いています。心理的なものでは個人的な話を開けっぴろげに相談したり、頼ったり頼られたりしようとします。友達が困ったり病気になったりしたら、日本人には不必要と感じるレベルまで全力でサポートしようとします。そういう依存関係が親しさのバロメーターなのだろうと思います。もちろん個人差がありますし、大きく分けると北方の人の方が南方の人より距離が近い気がします。
対して他人との距離は遠いというか、ほとんど存在しないかのように意識しません。物理的なものでは自分が他人の邪魔になろうがなるまいが、迷惑を省みることなく自分の意思通りに行動します。ちょっとズレますが、車が来ようが電動自転車が来ようが一切見もせずに道を渡る人が未だにいて驚きます。よくこれまで事故に合わなかったものだなどど思いますが、それは私が見ていないだけで、実際には交差点で車が来ているのに自分が向かう方向に駆け抜けようとして轢かれる事故が多発しているようです。あるいは遠くの友達と話すのに目の前に人がいても大声で呼びかけます。心理的なものでは、自分と無関係な人はどうなろうが知ったこっちゃないといった感じです。食品に有害な化学物質などを入れて売り上げを伸ばそうとする食品業者の心理はその代表的な例だと思います。
日本人と中国人のどちらが良いとか悪いとかという話ではなく、そういう違いがあることを理解していれば余計な誤解や軋轢を生じずうまく対処できます。異文化コミュニケーションでは相手を知ることが自分を知ることと同じレベルで重要だと思います。
日本にはない中国の派手な演出の一つに宴会芸があります。以前は日本でも忘年会や社員旅行などで余興として個人や小グループでちょっとした芸を披露したりしていましたが、中国の宴会芸はそういうレベルではなく、数人のグループが何日もしっかり練習して衣装や舞台や大道具も揃えて本格的な歌や踊りを披露します。派手な宴会を慎む政策が取られてからは縮小しましたが今でも日本と比べたらずいぶん派手で見応えがあるものです。
15年ほど前からいくつかの会社の忘年会に何回か参加させて頂きました。その日のために芸を披露するグループでは2ヶ月くらい前から企画が始まり、1ヶ月くらい前から社内で練習が始まります。その時期には社内のあちらこちらで掛け声や歌が聞こえたり、集団で踊っていたりします。演劇の練習などもやっています。熱心なグループはほぼ毎日みっちり練習していて、こうなるともう仕事の進捗は絶望的です。上司も黙認というか奨励している様子でした。
そして当日、日頃仕事では地味でぼんやりした感じの人たちが、煌びやかな衣装に身を包み、華麗に(華麗でない人もいますが)歌い舞い、劇を演じる姿に驚かされます。中にはプロ級の歌や踊りを披露する人もいて感心させられたりします。大量の豪華な食事に高級白酒、当時は言葉が全然分からなかったので意味も分からずゲームに参加させてもらったりして、とても楽しいひと時を過ごさせて頂きました。何度もこういう宴会に参加させて頂くうちに私も何かやるべきかな?と考えて、学生の頃からやっている空手の形を披露したりしました。中国人にとっては珍しいのでそれなりに喜んでもらえたようです。
やっと忘年会が終わって仕事を進めようと思うと、今度は春節休暇に先立って一人二人と故郷に帰っていきます。そんな様子ですから忘年会シーズンから春節休暇明けまでは仕事は進まず、中国へはこの時期に出張するものではないということを痛感しました。
中国を敬遠する理由の一つに食の安全問題があると思います。ダンボール入りの肉まんや毒粉ミルク、排水の油の再利用などの事件は日本でも報道されて広く知られました。あれから事態は改善したのでしょうか?
事件は起こり続けています。中華まんをふわふわにするためにアルミニウム入りの発酵剤が使われていたのが発覚、13年には新鮮に見せるために湯葉に漂白剤などの化学添加物を入れていたのが発覚、14年にはリピート性を高めるためにケシの実を麺料理に入れていたのが発覚、15年には白く鮮度高く見せるためにホルムアルデヒドに浸したエビが売られているのが発覚した、等々。私が中国の知人に直接聞いた話では、安い蟹を高価な上海蟹として売るために酸をかけて腹部の殻を白くしている、肉に油、野菜に水を注入してカサ増ししている(これは常態化)、月餅は前年の売れ残りを出しているものが多々ある、粗悪アルコールを使った白酒を飲んで死ぬ人が毎年たくさんいる等々。調べれば調べるほど、聞けば聞くほどげんなりする話ばかりです。
もちろん食の安全は自国の重大な問題なので、中国政府は取り締まりを強化しています。おそらく改善は大幅に進んでいるのだろうと思います。しかし、一部の農業従事者や食品生産者の「高くたくさん売れさえすれば他人の健康被害など知ったことではない」という拝金意識が現時点で根絶されているとは考え難く、問題解決は至難の技だと思います。
そして衛生の問題もあります。市場や商店やスーパーでの店員や客の食材の扱いは、具体的に書きませんが、日本人的には信じられないほど不衛生なことが多いです。これは衛生に関する常識の違いなので仕方がないと思って、私はこういうところでは絶対に購入しないようにしています。一度見たら購入する気にはなれません。
食の安全の意識が高い中国の富裕層は、材料の産地から加工業者、検査結果までトレースできる高級食材店や、日本などの外国から安全な食材を取り寄せたりしています。外食は危ないからほとんどしないという方もいます。中国人自身が信用していない訳なのでやはり現状では安全とは言い難い状況なのだと思います。
中国に住んでいる日本人がこれから来る人に「問題ない」などとアドバイスしているのを見聞きすることがありますが、危険だと思っています。化学物質混入などは腹痛などですぐに分かるものではなく、体に蓄積していくだけに恐ろしいです。命に関わることなので念には念を入れて対応すべきと思います。
中国での仕事が長い人と話す時によく出る話に「中国はもう面白くなくなった」というのがあります。中国は今ではすっかり発展して90年代や00年代にあった意外性とか冒険的要素がなくなってしまったということです。私もそう思います。今の中国にいても日本と同じ、或いは日本より便利な部分すらあって、異国感はすっかりなくなってしまいました。もちろん中国としては良いことなのですが我々のような人間は一抹の寂しさを感じます。
以前あった冒険的要素は、例えばフライトであれば大幅な遅れは当たり前、天候不良や突発事態で目的地と違う空港で降ろされて、そこからどうすれば良いのか連絡がない、あっても言葉は分からず説明や案内も要量を得ないからさっぱり分からない、分からないままついて行ったらロビーで待てと言われるだけで何も手配されず朝まで、とか、ザラにありました。国内出張しようも切符を買う場所も買い方も分からない、から始まって、どの列車に乗れば良いか分からない、駅から急ごうと怪しいバイクタクシーに乗ってみたり、ぼられそうになって喧嘩したり、出張先の会社の人と懇親会で酒を飲んでホテルに連れて帰ってもらえなかったり、先方が予約したと言ってたホテルに予約が入っていない、等々、油断も隙もありませんでした。そういうカオス状態をサバイブすることにある種の満足感や達成感を覚えていたものです。仕事が終わって帰国便のトランジットで韓国の仁川空港に着いたら文明圏に生還した安堵感があったものです。
最近になって中国と付き合い始めた人から「やっぱり中国は難しい」的なセリフを聞くと「そんなふうに感じるのだな」と不思議に思ったりします。もちろん今でも日本との違いは大きく簡単にいかない部分はたくさんありますが、以前のような意外性の無間地獄のような難しさとそれに対峙するワクワク感は私にはもうありません。我々古い人間が愛した「なんでもアリのカオス中国」はもはや戻ってきません。少し寂しいです。
私はコーヒーが好きなのですが、中国の仕事を始めて困ったことの一つが、おいしいコーヒーが飲めないことでした。最初の衝撃は忘れられません。中国に韓国ソウル経由で飛行機で移動、ソウルまではアシアナ航空、ソウルからは中国南方航空でした。機内でコーヒーを頼むと、アシアナ航空では普通の美味しいコーヒー、でも南方航空で紙コップに注がれたのはうっすら茶色がかったトロリとしたミルク色。嫌な予感がしながら口をつけたら温くて甘々のコーヒー、まるで子供の頃に飲んだコーヒー牛乳でした。周りの中国人たちは美味しそうに飲んでいます。今考えればおかしいのですが、私は思わずCAさんを呼んで英語で「普通のコーヒーはないですか?」と聞きました。CAさんは怪訝な顔をしていました。当時の中国人にとってはコーヒーといえばこれがスタンダードみたいだったので無理もありません。
中国国内でコーヒーを探してもドリップ式もないですしインスタントコーヒーもありません。あるのはスティック状の袋に入ったコーヒー&ミルク&砂糖の粉くらいのものでした。一応買うのですがそんな甘ったるいものを何杯も飲める筈もなく、一杯飲んだら気分が悪くなってそれ以上飲めませんでした。それを知ってからは日本から持っていくようにしていました。
スターバックスが中国に出店した時には「これは失敗するぞ」と思いました。しかし私の予想に反して大成功、コーヒー文化が一般に普及しました。近年では中国でも美味しいコーヒーが飲めるようになりました。最近ではセブンカフェまであり手軽に安価で購入できます。同僚からお土産に頂いた雲南コーヒーなどは絶品でした。私にとっては中国での仕事を避ける理由の一つがなくなりました。
でも当時のことがトラウマになっていて、今でも中国の航空会社のフライトではコーヒーを頼む勇気がありません。紙コップに注がれる液体がコーヒー牛乳なのかコーヒーなのか、未だに知りません。次回乗る時こそ勇気を出して確認してみようと思っています。
私が本格的に中国関係の仕事を始めた頃にビジネスの現場にいた50年後半–70年代生まれの中国人について、あまり良いことを書いていませんが、それは単にマナーを知らないなど一般的に問題とされる部分が多かったからで、一人一人は向上心が強く人情味が溢れる好感の持てる人が多かったです。良い友達になった人もいます。
私が当時の中国人たちに一番感心したのは数字に強いことでした。仕事に対する考え方や知識、判断の指標、説明能力、リーダーシップ力などは、失礼ながらどれをとってもダメ(日本人からみれば)で、一緒に仕事をするのにうんざりしていました。しかし数字を記憶する能力が凄かった。日付や時間然り、検証データ然り、いろんな場面で出てくる数字を正確に覚えていて、その部分だけは数字を使って完璧に説明できる。我々日本人が曖昧に流すところを正確に定量的に表現する、これは素晴らしいと思いました。私もそんな彼らを見習って数字を記憶して使う習慣を身に付けたものです。
あれから16年以上経って感じるのは、今のビジネスの現場にいる中国人たちは、考え方や知識などはしっかりしているものの、私が以前の中国人に対して感じた数字に強いという印象があまりないことです。私が接してきた人がたまたまそうだったというだけかもしれませんが、中国人の数字の強さに感心することはなくなりました。私だけが感じていることかもしれません。
この違いを個人的に以前からずっと不思議に思っています。70年代から80年代の世代間で教育内容が変わったのか、価値観の変化があったのか、とても興味があります。同じ印象をお持ちの方、その理由をご存知の方がいらっしゃれば教えて頂きたいです。
中国の部品メーカーや設備メーカーの社長さん達と話をすることがありますが、印象的なコメントに「国有企業の仕事は受注しない」というのがあります。国有の大手だから儲けになると考えて話に乗ると後で大変なことになることがあり、実際国有企業と付き合って倒産した小さな会社はたくさんあるそうです。
よくあるケースの一つが「料金を支払わない」です。設備受注等で設計完了や製作完了、現場据付、試運転の完了などの節目ごとに何%かずつ支払う契約をしているのに、そのタイミングがきても支払わない。忘れているのかと支払いを促したらあれこれと難癖をつけて完了の合意をしない、それを普通にやるそうです。私はそういう国有企業側に技術支援をする仕事をしたことがあるのですが、確かにそこの購買担当は支払わないことがタスクであり、踏み倒すことが最大の手柄でした。
そして「発注が突然取り消されて求償に応じない」ことも多々あるそうです。上記のように設備を受注して作っていたらある日突然電話一本で製作を止めるよう告げられ、料金を支払いもしないし引き取りもせず放置される。その後待てど暮らせど連絡がないので確認の電話をしたら、担当者が変わっていてそこに発注したことすら引き継がれていないし、対処しようともしてくれない。或いは、ある日突然、商品のモデルチェンジで現在生産中の現行商品の部品は要らないと告げられる。大量の在庫は買い取ってくれる筈もなく泣く泣く廃棄処分せざるを得ない。そんな話はそこら中にあるそうです。
下請法などが完備している日本の常識で仕事をしている者にとっては考えられないことですが、こういうケースはまだまだ多いそうです。今では中国はビジネス大国ですが、付き合う相手を選ばないと大変なことになるので、慎重に検討する必要があります。
和製英語をモデルに華製日語という言葉を作りました。文字通り中国人が作った日本語のことを指します。中国関係の仕事を担当して中国に住んで中国人と交流したり中国の物品を見たりしてきました。その中でおかしな日本語を見付けることを楽しんできたのですが、近年では使っている中国人も間違っているとたぶん分かっていて、あえて使っている日本語があることに気が付きました。これを華製日語と勝手に名付けました。
以前のおかしな日本語は観光地の説明書きや日本料理屋のメニューなどにある、ちょっと勉強したのであろう人が訳した、意味は分かるけどそうは言わないだろうというものでした。「小心落水」を「水に気を付けろ!」等です。観光地の案内図で、英語で言えば「You are here」が「あなたの場所が分からない」になっていたのには「意味は確かにその通りだ!」と妙に感心したこともあります。次に出てきたのは精度の悪い自動翻訳の乱用。「手下留情脚下留青」が「手をいい加減にし足元に青いを残す」となっていました。全く意味が分からないので完全にアウトです。
それらとは違って最近出てきたのは若い子が着るTシャツや店の名前にある日本語です。「頑固の少女」とか「肉焼き劇場、食の道と味の新鮮」とかです。間違っているのですが、「の」が入れば中国人は日本的な可愛くおしゃれなイメージを持つそうなので、間違いが分かっていてあえて使っていることがあります。日本語ができる知人によると、使っている人にとって正しい正しくないは問題ではなく、日本語を使うことで良いイメージを出したいだけだということでした。考えてみれば我々日本人も服のデザインや店の名前に英語を多用してきましたが、ネイティブが見たら笑ってしまうものがたくさんあります。でも使っている者にとっては単にアメリカ風のカッコいい雰囲気を出したいだけで正誤は問題にしていません。それと同じ現象が中国で始まっているとみて良いと思います。
私見ですが、華製日語が増えてきたのは日本に好感を持つ人が増えてきたからだと考えています。日中友好を希望する日本人としてはとても嬉しいことです。和製英語が発展して公式言語として認知されてきたように、今後華製日語もどんどん発展していくと思います。日本への好感度を測る指標として、楽しみながら注目していこうと思います。
仕事がら中国の製造業の会社から日本人技術者の求人の話をよく聞くのですが、20年前から内容が変わってきています。以前は工場の製造の専門家の需要が多かったです。製造現場の技能工や金型の仕上げ工といった技能職やトヨタ生産方式等の生産の効率化の指導等、日本の自動車会社の退職者などを招聘して指導を仰ぐというケースがたくさんありました。次に生産の高効率化や自動化、新製品の量産準備を学ぶために生産技術の専門家が求められました。やはり現役を引退した日本の技術者たちが数年間の雇用契約を結んで指導に出向いていました。それら生産関係のニーズは今でもありますが、最近では商品企画や開発の指導が求められるようになってきています。しかもOBではなく現役の第一線の技術者にきて欲しいという話が増えてきました。報酬も驚くほど高いものが多いです。直近では自動車シャシー開発のプロジェクトリーダー、年棒500万元以上というのがありました。
中国の製造業が真似て作る時代から大量生産の時代を経て、企画・開発ステージのグローバル競争に追い付こうとしているのだと思います。しかし自動車などではローカルブランドの評価はまだまだ低く、その理由は品質の信頼性が低いことです。中国の製品はすぐに壊れるから買いたくないという評価。つまり、製造業として最も基本的な品質の作り込みができていないまま、外資との開発競争に参入しようととしている、危うい状態だと感じます。ITなどの新しい領域では目覚ましい進歩を遂げていますが、旧来の製造業は伸び悩んでいるのが実態だと思います。モノ造りは一足飛びに成功するのは難しく、基本の積み重ねが必要です。中国製造業の課題はまだまだ多いと思います。
中国人の日本への旅行者が増えたこともあり、中国では日本料理屋が大ブームとまでは言いませんが開業したり潰れたりしながら少しずつ増えているように思います。上海や大連には安くて美味しい日本料理屋がたくさんありますが、私が住んできた長春や南京には日本人が経営し日本人の料理人がいるような日本料理屋は少なく、あっても値段が高いです。その他の大部分は中国人が日本料理を学んで開業する比較的小さな店で、味は中国人の好みに合わせているケースが多いです。そういう店を私の仲間内では「中式日本料理」と呼んでいますが、それはあくまで中国人が日本的な味を楽しむ店だという認識です。
私も中式日本料理屋に試しに行ってみたりもしますが、大部分が日本人には合わないので、その後自分から行くことはまずありません。不味いという訳ではないのですが、私の場合は自分がイメージする味と違うとガッカリして精神的ダメージが大きいので、むしろ日本料理とは関係のない中国料理屋や韓国料理屋に行くことの方が多いです。中国の友人から私が日本人だからと気遣われて中式日本料理屋に誘われることもありますが、たいていの場合は別の店を逆提案します。
そんな経験を経てやっと気付いたことがあります。以前日本にいる時に外国人のお客様に出身国の料理屋を紹介したりしていました。私としては親切のつもりでしたがお客様にとっては嬉しくなかっただろうなということです。「日本料理が続くと辛い」と話す中国人のお客様に中華料理屋を紹介したところ「本場の味と違うから・・」と苦笑いされて、「味が多少違っても中華の風味がすればいいじゃないか?」と思ったりしていました。今にして思うと、私が中国で中式日本料理を食べないのと同じ理由で、日式中国料理を食べる気にはなれなかったのだろうと理解しました。
外国で生活する人にとって祖国の味はとても重要で、精神状態をも左右します。美味しい不味いというのとは少し違って、記憶にある懐かしい味に触れたいという欲求です。凹んでいる時でもその欲求が満たされると「また頑張れる!」と思えたりします。私も中国の食事に慣れた今でも無性に日本の味に触れたくなることがあって、食材も自分で作る腕もないので、高いお金を払って日本人がやっている日本料理屋に食べに行きます。日本で外国人のお客様や友人を受け入れる方は、出身国料理屋でも本場の味を忠実に再現している店を探してあげるのが一番です。それがない場合は口に合う別の料理屋を探してあげるのが良いと思います。
日本イメージをブランド化して今や世界80か国に展開する大成功を収めている中国小売企業のメイソウ。設立当初はパクリだなんだと叩かれていまし私もそう思っていますが、今ではすっかり一ブランドとして定着しています。その手法や行動力には見習うべきものがあると思います。
メイソウの正式名称は名創優品、英語表記をMINISOとしているようです。2013年に中国広東省で始まった中国人経営者の小売会社です。中国の会社が「日本ブランド・日本デザイン」「FROM JAPAN TO THE WORLD」のコンセプトで世界展開を行なっている珍しい事例です。会社登記を東京・銀座にして日本人デザイナーが参加していますが、「日本ブランド」の事実を作るためだと思われます。日本人はともかく、メイソウのことを詳しく知らない外国人は完全に日本の会社だと認識する筈です。
日本的イメージを売り物にしているだけあって、商品仕様や店の陳列はモデルにしていると思われるダイソーやユニクロ、無印良品などをよく研究していて、シンプルでナチュラル、統一感があってとても日本的です。商品名や説明にも日本語が多用されています。創業当初はこの日本語に怪しいものが多くパクリがもろ分かりだったのですが、今ではほとんどが正しい日本語になっています。
この「パクリ」についてはモラルが問われるところですが、結果的にビジネスとして大成功を収めていることは注目すべきことだと思います。実際に良いものを売っているので中国では日本人もパクリだと笑いながらも購入しています。そして既にグローバルでは本家本元(?)のダイソーや無印良品よりも店舗数は多いです。日本の持つブランドイメージをグローバルビジネスにどう活かしていくか、日本人としては残念ですが、この業界においては中国人の方が優れているといえるかもしれません。メイソウの取り組みを研究することで新たなビジネスチャンスを創出できるかもしれません。
中国の治安が良い理由に政府による治安維持活動や管理社会があげられます。確かにその寄与度は大きいと思います。ただ、中国で生活して人と触れ合っていると、元々悪人が少なく善良な人が多いのではないかと感じます。もちろん管理されるから悪事を働けない=善良になるということは大きいと思いますが、世界一治安が良いといわれる日本と比べても「危ない人」が少ないと思います。
日本で危ないといえば、様々な暴力集団、カツアゲや引ったくりなどの金銭強奪、親父狩りや不良者襲撃などの暴力行為、痴漢や強姦などの性犯罪等々、いろいろあります。夜の街には怪しい人がたくさんいて、ぶらついていたりコンビニにたむろしたりしていたりします。中国(少なくとも私が居住した一般の都市)ではそういう輩を見ることはまずありません。日本人の、特に男性は大なり小なり悪ぶることをカッコいいと思っている部分がありますが、中国人にはそもそもそういった価値観がないように思えます。
何故なのか?論理の飛躍かもしれませんが、それは長い歴史の中で良いことも悪いことも経験しながら育んできた中国人の倫理観なのではないかと想像します。短期的には近年の低迷を経て自分本位でマナーが悪い人たちが増えて評価を落としたものの、元々は世界に冠たる優れた文明国、根本にはその倫理観が脈々と息づいていて目先の衝動に左右され難いのではないかと思います。故事成語が語り継がれてきていることなどでもそれがうかがえます。
いずれにしても現代の中国の日常生活において「危ない人」が日本よりもずっと少ないことは事実です。社会制度にしても倫理観にしても、日本が見習うべきことは多いと思います。
日本人が中国に来て驚くことの一つに治安の良さがあります。日本で中国に関するおどろおどろしいニュースばかりを見て、日本人が街をウロウロしていたらやられるのではないかと本気で考えている人は少なくありません。しかし実際に中国に来てみると深夜に女性が1人で歩いていたりして驚きます。反日感情がないとは言いませんが、基本的に中国人は日本人にとても親切ですし、日本人だからといって差別したり攻撃したりすることはありません。南京に住んでいる私が言うのですから間違いありません。
私はいろんな国で仕事をしてきて自分自身や知人が犯罪にあったこともあります。アメリカのマイアミでは財布からお金を抜かれましたし、コロンビアのボゴタでは銃声に身を伏せたこともあります。物取りみたいなのにしつこくつけ回されたことは南米でも東南アジアでも何度もあります。(悲惨なのではコロンビアで職場の先輩が偽警官に銃殺されました。)そんな国々を経験をした後の中国でしたから当然かなり警戒して臨んだのですが、拍子抜けするほど平和でビックリしました。それから16年間以上も中国とお付き合いしていますが、私が経験した最も危険なことといえば、尖閣問題の時に長春で酔っ払って大声で騒いでいた日本人のおじさんが中国人に殴られたというのを聞いたくらいです。長春では東北人の気の荒さなのか大声で口喧嘩する人をよく見かけましたが、南京に来てからは本当に何もありません。空手を教えに大学に行くことがありますが、大学の構内は更に平和で、女子学生が部屋着で洗面グッズを片手に構内の銭湯に向かっていたりします。
もちろん我々は外国人ですから常に気を引き締めていなければなりませんが、過度に恐れるような治安状況ではないので、その点は安心して訪問すれば良いと思います。
ただ、近年では経済発展に伴って貧富の差が拡大し、それにつれて治安は徐々に悪化していると聞きます。外国人、特に日本人はスキが多い金持ちにみられて狙われ易いですから、無駄に目立つことをしない、荷物は肌身離さず等々、基本的な防犯知識と行動は身に付けて訪問するようにしましょう。
日本人が中国に行きたがらない理由の一つに水質の悪さがあります。大気は改善に向かっていますが、水の方はまだまだ改善しているとはいえない状況です。
多くの先進国の水道水が飲める基準に達しているのに対し、中国では水道水は飲めません。それどころか、肌が弱い人がシャワーを使うとかぶれたり痒みが生じたりします。私は肌のトラブルが少ない方ですが、長年中国に住んできたにもかかわらず、未だにシャワー後に痒みを覚えることがあります。日本人はもちろんのこと、中国人でも日本に長期滞在した後に中国に戻ると肌のトラブルが発生したという話はよく聞きます。ホテルで湯船にお湯をためると黄色く見えることすらあります。日本人が行きたがらないという以前に、中国人の健康被害が懸念される状態なので、早急に改善する必要があります。
汚染の原因は大きく①水源が少なく汚い、②浄化施設が古く十分に浄化できない、③送水管が古く錆や汚物が混入する、の三つのようです。①は工業化の過程で汚染物質を垂れ流してきて、更に水源が枯れて水が滞留していることもあって、河川水も地下水も飲用処理が難しいレベルになっているそうです。近年垂れ流しの禁止の厳格化や河川浄化活動が進められているので、時間はかかりますが改善に向かうと思います。②は浄化装置やプロセスは他の先進国と大差ないそうですが、元々の水源の汚染が酷すぎるので十分ではなく、より高度な処理技術や設備が必要です。また、③は1950年代に設置された鋳鉄やプラスチック製のものが多く耐用年数が超過していたり継ぎ目が割れたりしているそうです。②③を対策するには大規模な工事と予算が必要で、抜本的に手をつけるのが難しい状況のようです。
そんな状態なので、今のところ水については自己防衛に努めるしかありません。飲料水は必ず信頼できる会社のものを購入すること、生活用水はできるだけ煮沸したものを使うこと、水道水を直接使うのはできるだけ避けること。決め手はないですが注意するしかありません。そして地元の人が大丈夫だからといって真似をしてはいけません。日本のきれいな水で慣れている人の体は汚染に対する抵抗力が弱いので、同じことをして大丈夫とは限りません。自分で考えて判断するようにしましょう。
南京では河川の浄化に力を入れるようになってきました。以前はヘドロで悪臭が漂っていた近所の川も最近ではなんとか底が見えるレベルに改善してきています。早く安全に水が使えるようになって欲しいものです。
中国全土だと思いますが、全季酒店という中級クラスのホテルがすごい勢いで増えています。2005年に創業した華住酒店集団が比較的大きな都市に展開しているホテルチェーンだそうで、南京の中心街である新街口周辺にも建設中のものも含めてたくさんあります。先日二時間ほど散歩したら5軒見付けました。
私は昨年このホテルに長春で泊まりましたが、白を基調とした落ち着いた清潔な部屋で、広さもそこそこ、価格が250元くらいでした。南京の全季に泊まった人も同じように好印象をもっていました。一泊100元以下の格安ホテルは一般の日本人にはまず耐えられませんし、高級ホテルは当たり外れが多かったのが中国のホテルです。超豪華な演出をしながらも衛生やメンテナンス状態、サービスが悪く、幻滅することが多々ありました。そんな中で全国どこでも同じレベルの質をリーゾナブルな価格で提供できるのは大きな強味だと思います。
新型コロナの影響で中国でも観光・宿泊業は大きな打撃を受けています。何とか乗り切って中国に安定品質・低料金のホテルチェーンを確立して頂きたいものです。
私だけが感じていることかもしれませんが、中国の運転者が交通ルールを守るようになるにつれて、大らかさがなくなってきた気がしています。以前は他車が割り込んでも追い越しても、先に頭を入れられたらその時点で仕方がないといった様子で、たいして怒りもせず避けていました。クラクションも以前からよく鳴らしますが、それは「私が通るからね気を付けてね〜」というお知らせみたいなもので、他車を非難したり警告したりするものではありませんでした。日本人に比べて中国人は寛大だなあと思っていたものです。
しかし最近では、割り込まれないように頭を入れられそうになったら妨害したり競り合ったりします。それに負けたら後ろから煽ったりクラクションを鳴らしたりパッシングしたり、激昂した人が怒鳴り合う光景まで見られるようになってきました。日本とほぼ変わらない状態になってきたと思っています。
以下私の仮説です。以前は誰もがルールを守らなかったので誰もがなんでもありで自由に運転していました。自分も好き勝手やるのだから他人が好き勝手するのも仕方がないという感覚だったのだろうと思います。それが自分がルールを守るようになると、他人が好き勝手して得をする(=自分が損をする)のが許せないという感覚に変わってきたのだと思います。自分がルール通りに並んでいたら他人がどんどん割り込んできて、自分の順番がいつまで経っても来ないということになれば、許せないという感覚だと思います。(私は中国初渡航、海南島の空港のチェックインカウンターで経験しました。)
やはり日本人でも中国人でも、環境によって言動が異なるだけで、人間の本質は同じなのだと思います。社会の発展は喜ばしいと思う一方、個人的には世知辛い中国になってしまうことが少々残念です。
日本人が中国に行きたがらない理由の一つに大気汚染があります。中国の大気汚染は90年代初頭から経済発展と共に顕在化し始め、2012年から2013年頃には中国各都市で深刻な状態になりました。特に健康被害をもたらす問題はPM2.5と言われる有害な微粒子物質です。肺の奥や血管に入り込みやすく、気管支炎を引き起こしたり喘息を悪化させ、肺癌を引き起こす要因になります。中国では癌の中で肺癌が死因のトップであり、特に都市部の羅患率は農村部をはるかに上回っているそうです。気管支炎、喘息も増加し、死者まで出ています。
原因は火力発電や各種工場、自動車からの排気ガス等の人位由来のもの、黄砂や森林火災等の自然由来のものがあります。大気の対流が少ない内陸の都市では汚染大気が滞留し蓄積していく状態でした。経験のない方は驚くと思いますが、真っ白で視界が5mもないような日もあり、自動車の運転は禁止、道路は閉鎖、学校は休みになったりしていました。2014年に北京に出張した時には空気清浄器がなかったためかホテルの部屋の中まで真っ白で逃げ場がない状態でした。部屋にいても同じなので外に出て北京大学や清華大学に散歩に行ってみましたが、そんな中でもマスクをしているのは外国人だけ、ほとんどの中国人はマスクをしていませんでした。マスクをした方がいいと言っても笑って聞かない人が多かったです。近い将来中国では関連の病気が多発するだろうと考えたものです。
ただ、その状態も徐々に改善が進んでいて、2014年をピークに数値は大きく下がってきています。都市部におけるPM2.5の平均濃度は2018年〜2019年で20%低下したそうです。私が近年住んできた南京は以前はあまり見られなかった青空が、2018年頃からは晴れた日にはほぼ毎日見られるようになっています。AQI値もPM2.5で30から50くらいで安定しています。とりあえず健康被害に怯える状態からは脱してきていると思います。
それでも2019年のWorld Air Quality Reportによると、汚染が深刻な国で中国は11位、汚染が深刻な都市のトップ200に117の都市が入るなど、まだまだ良いとは言えない状況です。中国から日本に帰国すると外がクリアに見えて急に目が良くなった気がする感覚はまだ続いています。
政府による環境政策も進んでいて、そこに新型コロナの影響で環境衛生意識が上がっていますので、今度は更に改善が進むものと期待しています。
中国のエネルギー転換による環境保全分析―学際研究による大気汚染(PM2.5)の改善効果
中国の自動車市場は現在世界一の規模です。国産・外資・合弁の自動車会社が乱立し、EV車等の先進技術への移行に取り組んでいて、経済と科学技術の発展に大きく寄与しています。
1931年が中国が最初に車を作った年、張学良の指示でトラックを試作したそうです。その後その工場は満州事変で日本軍に奪われ、同和自動車という名で月300台程度の生産をしたそうです。1936年には上海に中国汽車製造公司が設立され、ベンツとの技術提携でトラックを2000台程度生産したそうです。
1950年が本格的なモータリゼーションの始まりの年、中華人民共和国建国の翌年です。旧ソ連の協力のもとで準備が開始され、1951年に第一汽車製造廠の建設計画が承認され1953年に長春で着工、4トントラックを年間3万台の規模で生産していたそうです。現在の中国ビッグ3の一つ、第一汽車です。
1958年からはメーカーが乱立して南京汽車や北京汽車などが一汽と並ぶメーカーになりました。乗用車が試作されましたが販売は振るわず、クライスラー車をベースに開発した一汽の紅旗モデルだけが細々と生産を続けました。1968年には湖北省に第二汽車製造廠が設立さえてトラックの生産を開始しました。現在のビッグ3の一つ、東風汽車です。
1978年からの改革開放期に、政府は乗用車の国産化を目指して外資との合弁企業を企画しました。いち早く応じたのがフォルクスワーゲンで、1984年に設立した上海汽車との合弁の上海VWは大成功を収めました。フォルクスワーゲンはその後一汽とも合弁し、「中国で車といえばフォルクスワーゲン」と言われるほどの不動の地位を築きました。一方の上海汽車は90年代にGMとも合弁会社を設立し、こちらも大成功を収めました。上海汽車もビッグ3の一つです。
日本の会社は輸出を続けていました。中国はトヨタに現地化を強く求めましたが、技術の流失を嫌ってか高コスト化を懸念してか、応えませんでした。この時にトヨタが進出していたら今のフォルクスワーゲンの地位はトヨタのものだったのでは?と言われています。
その後は外資企業が次々と参入し市場が拡大し続け、現地メーカーも次々と興り、激しい競争で淘汰統合されながら現在に至ります。
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