愛すべき老中国:交通にまつわる話

中国高度発展期の90年代からしばらくは、新旧が入り混じった不思議な状態でした。多くの途上国と同じく、中国も固定電話が発達する前に携帯電話が導入されたので、携帯電話の普及が非常に速く、馬車に乗ったおじさんが携帯電話を弄っているという、日本人から見たら不思議な光景がたくさんありました。

当時は車といえば大きな黒塗りのセダンで、アウディが大人気でした。公務員は自国開発車である紅旗を使うよう推奨されていたそうですが、多くがアウディの高級車に乗っていました。不動産投資で大儲けする人が出始めていましたので、ビックリするような高級車もたくさん走っていました。そんな中、リヤカーに積載量の10倍くらい(見た目)の大量の荷物を載せて自転車に乗ったおじさんやおばさんが、自動車道をノロノロと横切っていました。

ルーフの上にカメラが搭載されている車をよく見かけていました。何かと聞いてみると、運転免許の路上試験用の車両とのこと。当時はお金さえ払えばほとんどのことがOKになる時代でした。運転免許の路上試験では、運転技能が不十分でも試験官にお金を握らせれば合格認定を得ることができました。それをさせない(実際の運転映像を第三者が見て合否判定する)ための車載カメラでした。お金といえば、夜の街で違法営業をしている飲み屋等でも、警察が見回りに来たらお金を握らせて見逃してもらっていました。店のオーナーが「定期的にやって来て小遣いをせびるのです。困ったものです。」と笑って話していたのを思い出します。

交通ルールもあってないようなものでした。もちろん飲酒運転は当たり前です。ある朝三車線ある道路の真ん中を超低速でふらふら走っている車を見付けました。こんな時間に酔っ払い運転は珍しいなと思って運転席を覗き込むと、おじいちゃんが膝に孫のような幼児を乗せていました。おじいちゃんがアクセルを踏んで幼児にハンドルを操作させていたのです。二人がキャッキャとはしゃいでいる様子を見て、呆れはしましたがちょっぴり微笑ましい気持ちにもなりました。

そんな光景が繰り広げられている中、突如として新幹線が現れた時には心の底から驚きました。未開の地に巨大なマシーンが現れる、まさに未知との遭遇の感覚でした。しかし、その新幹線も技術やシステムの育成途上でバンバン営業を始めたので事故が相次ぎ、脱線転落した車両を原因究明が不十分なまま待たずに(諸説あり)埋めてしまったという、証拠隠蔽が疑われるような事件もありました。

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