愛すべき老中国 : 決まらない実行しない

近年では会議の様子も随分変わってきて、目的を明確にして議論を結論に導き、議事録を作ってそれに基いて実行する、ということができるようになってきました。しかし昔の中国では会議をしても決まらない、決まったことがあっても実行しないというのが普通でした。

まず「決まらない」です。明確な目的が告げられないままメンバーが集められます。そして上位職者と思われる誰かが何かを延々と話します。次にそれに関連する人が自分の意見を延々と話します。その多くは問題を指摘されたことに対する言い訳です。そして参加しているびっくりするほど多くの脇役(何も発言しない人たち)が発言をノートに黙々とメモしていきます。(ついでにいうと「人の話はちゃんと最後まで聞きなさい」と教育されてきている多くの日本人が黙って聞いている。)これが続いていき終了時間がきたら解散です。つまり全員が単に自分の考えを一方的に喋るだけで、誰にも合意や結論を導き出そうという意思がないのです。当然何も決まらないし、発言をもれなく書き込んだノートを読み返す人もいません。中国人の部下になぜこうなのかを聞いてみると、「(当時の)中国では会議は打ち合わせではなく偉い人の演説を聞く場です。学校でも家庭でも先生や親が一方的に喋り、子供はそれを黙って聞いているだけでした。そうやって育ってきているので議論をするなんてことはなく、あるとしたら自分が窮地に立たされる時だけで、自分はこう思うと話せば終わりです」ということでした。面子を大事にする人たちなので相手を非難することになる議論を避ける思いもあるのだと思います。

そして「実行しない」です。やっとのことで結論を導き出したのでそれを議事録に残そうと指示するのですが、出てくるのは自分がノートにメモした各人の発言の羅列。全く意味がありません。そこで議事録の書き方を指導してなんとか意味を成すものを作らせて配布するのですが、これを誰も実行しない。公式なビジネス契約ですら経営責任者が「こんなものはただの紙。守る必要はない」などと平気で宣っていた時代です。当然といえば当然なのですが、それでも決議事項を実行させるにはこの方法以外になく、議事録を示して「◯月◯日にみんなでこう決めたよね?」としつこくしつこく説得するとしぶしぶやるという状態でした。

そんな様子だったので、目的を明確にして議論を方向付けできる、実行に導ける日本人は重宝がられて、不思議な信頼を集めていました。たぶんどの方面の人からも味方のように思えたのだと思います。私たちの仕事はパートナー会社の技術支援だったのですが、いつの間にやら先方社内の調整役になり、その腕を買われて何度も支援要請を受けるようになっていました。「あれ?私の仕事はこういうことだっけ?」と考えることも度々ありました。少なくとも技術屋の仕事ではないことをたくさんやっていたと思います。

近年、中国の会社の会議室に「効率的な議論を」とか「win-winを」とか書いてある貼り紙を見たりすると、昔を思い出して微笑ましい気持ちになったりします。あっという間に経済大国になれたのにはこういう基礎部分の成長が貢献していると思います。

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