昔の中国人の「失敗は他人のせい」というロジック、というか屁理屈には眼を見張るものがありました。「成功は自分のおかげ」までは言わないにしても、面子のためなのか失敗を認めたら良からぬ処罰がなされてしまうからなのか、とにかく自分の失敗は認めない。これにはとても困惑させられました。
そもそも彼らは非常に安易にものごとを引き受けます。そんな能力はないと思われるのに大して考えもせず「没问题」「可以的」と引き受けます。できるという根拠を聞いてみると「○○ができると言ったから」みたいな部分に行き着きます。不安に思いながらも仕方がないので任せるのですが、その後経過を確認するたびに特に何かを確認する様子もなく「没问题」「○○さんは心配し過ぎです」と即答してくれます。そして夜は「谢谢合作」とお決まりの乾杯です。不安を覚えながらも任せて、しばらくしてまた確認すると、ある時いきなり「できません」に変わってしまっている。「没问题」が「没办法」に変わる瞬間です。ここから「自分のせいではない」ロジックが展開されます。
まずは「こちらのせいではない」から始まります。計画を合意した際に言ったことなどすっかり忘れて(あるいは完全に無視して)、「そんな合意はしていない」と言い出します。サイン入り議事録等を示すとサイナーが当事者ではない場合は「そんな合意は私は知らない」とか「その人はもう担当ではないから無効だ」です。あるいは「○月○日までに完了するなんてそもそもあり得ない。だから、そんな要求をしたそちらが悪い」とか「難しいと分かっているのになぜ支援してくれないのか?支援契約を違反をしたそちらが悪い」です。要するに「こちらが悪いとでも言うのか?」といった論調で一方的なロジックが延々と展開されます。
いよいよ自分たちの非を認めざるを得ない状況になると今度は「私のせいではない」です。「私はやるように指示してあの人ができると言ったのだから、できなかったのはあの人のせい」です。これはもう必死、絶対に認めません。中国には人がたくさんいて代わりなどいくらでもいるので、彼らにとっては失敗≒失職なのです。なりふり構わず、子供のような言い訳をしてまでも、決して認めることはありません。あまりの見苦しさに腹がたつのを通り越して呆れてしまい、こちらも彼をクビにすることが目的ではないので議論する気が失せてしまいます。そうして彼は遂に逃げ切ることになります。
根拠のない安請け負い、没问题いつの間にやら没办法(川柳風に)、失敗は他人のせい、これらの特性をしっかり認識して、想定される上記のような言い訳を全て加味した上で仕事に当たれるのが、昔の中国ビジネスの達人でした。この能力も時代と共に不要になってきて、私としては残念な限りです。